本記事は、グウェンドリン・スミス氏の著書『考えすぎてしまうあなたへ』(CCCメディアハウス)の中から一部を抜粋・編集しています。
べき思考
私:何か報告はありますか? 良いこと、悪いこと、その他、何でも構いません。
あなた:メールに対して過剰に反応してしまい、最近は実家のソファで寝起きしています。「認知何とか」というのはいつになったら効き目が出てくるのですか。自分の感情をコントロールするのに役立つと思っていたのですが。
私:私たちはまだ2回しかお会いしていません。認知療法について学ぶのは、新しい言語を学ぶようなものです。唯一の違いは、認知療法では思考の言語を中心にしているという点ですね。もう少しの
「べき思考」という思考ウイルスには少し注意が必要です。私は前著『知ることについての本』で、これらの思考から生まれる認知の歪みについて詳しく述べました。ここでは前著にある文章を拝借しながら、もう一度その内容を解説しようと思います。
第一に、「べき」や、それに近い意味の言葉を用いると、ある一定の感情、身体反応、行動が生じます。
下の表からは、「べき」という言葉がいかに多くのストレスを作り出しているかがわかります。この言葉はとくに、自分自身や他人、世界についての感じ方に大きく関係しています。楽しそうな感情がたくさん並んでいますね! (冗談ですよ!)。見てください、この不快な感情、身体に走る緊張、苦痛の数々を。人びとが依然としてこれらの言葉を信じ、思考に大きな影響を受けているという事実には驚いてしまいます。「べき」という言葉に対し、私は強い思い入れがあり、次のような持論を持っています。
「『べき』とは、支配に基づいた言葉である」
伝統的な宗教のいくつかは、何世紀にもわたってこのような言葉を使い、支配力と罪悪感のもとで信者をコントロールしてきました(たとえば、「汝なんじ〜べし」/「汝〜なかれ」といった言い方がありますね)。
私は長年、この「べき思考」に取り組んできました。世の中には、もし私たちの思考や信念から「べき」という支配の言葉を取り除いたら、社会が混乱状態におちいってしまうと言う人びとがいます。例を挙げましょう。
私がかつて一緒に仕事をしていた男性は、控えめな性格で、ネガティブ思考を持つ完璧主義者でした。
「あなたの思考の
次に、「べき」という言葉に関する、認知理論のふたつの区分を紹介します。
指導の「べき」(Instructional ‘Shoulds’)
ここでの「べき」は、子どもに指導をするときに使われます。たとえば、子どもたちは、コンセントにフォークを差し込んではいけないと教わる「べき」です。教わっていれば、子どもが感電してしまう危険性を最小限に抑えられます。つまり、これは役立つ「べき」なのです。
指導の「べき」は、コンピューターや機械の使い方を説明する際にも使われます。「コンピューターの故障を避けるため、ソフトウェアを起動する前には必ずこのスイッチを入れる『べき』です」
このような指示における「べき」は有益ですし、情報も事実に基づいています。
指導の「べき」は役に立つ。
道徳の「べき」(Moralistic ‘Shoulds’)
ここで問題が発生します。次の例を見てください。
「私のやり方が正しいのだから、あなたもそれに従うべきだ」
「私の神が正しいのだから、別の神を信じるべきではない」
「あの車を運転するべきではない。なぜなら……良くないからだ」
道徳の「べき」は、価値観、信念、期待に基づく。
問い:「誰の信念が正しいのか」
答え:「誰の信念も正しくない。信念、つまり思い込みは事実でないのだから」
「べき」を意味する言葉を強く意識するようにしてください。その言葉は人に重圧を与え、その重圧は病気の原因になります。
また、「べき思考」が期待という形で現れると、人間関係にも問題が生じます。他人は自分と同じように考え、行動すべきだという前提だからです。言うまでもなく、その前提は間違っています。例を挙げてみましょう。
私があなたの隣人だと想像してください(もしそう考えるのがちょっと難しいなら、私をラクダに置き換えてもいいです)。
私が近づき、こう言います。
「あなたが先週買ったばかりの新しい芝刈り機を貸してほしいんです」
あなた:(不安そうに)いいですよ。でも、扱いに気をつけてくださいね。新品なので。
私:大丈夫です。ありがとう。
一週間近く経ってから、私が芝刈り機を返しに来ました。あなたは、芝刈り機が何度か雨ざらしになっていたのを見ていましたが、言い争いを避けたかったので何も言いませんでした。しかし、その一週間ずっと、あなたはこう考えずにはいられませんでした。
「あんなふうに芝刈り機を扱うべきじゃない。せめてカバーを掛けるべきだ。彼女は自分のしていることに気づいているはず。あんな人に貸すべきじゃなかった!」
ここには「べき思考」が見られますね。何が起こっているのかわかりますか? 恨み、失望、落胆、怒りといった感情が盛んに刺激されているのです。
あなたは、自分が誰かのために何か良いことをすると、相手はその恩を返すという信念を持っています。また、みんながあなたと同じような丁寧さで所有物を取り扱うとも信じています。しかし、つねにその法則が当てはまるとは限りません。私の同僚はこう言っていました。
「もし、自分の思うとおりに他人が動いてくれる星があったとしても、それは地球ではないね」