この記事は2023年8月31日に「テレ東BIZ」で公開された「失敗を恐れない!~老舗文具メーカーあくなき挑戦:読んで分かる「カンブリア宮殿」」を一部編集し、転載したものです。
目次
家庭や職場で愛される定番に~機能性重視のアイデア商品も!
千葉・松戸市に住む上杉千裕さん。5歳と6歳の男の子がおり、パートにも出ていて毎日大忙し。そんな生活で欠かせないのがコクヨのスケジュール帳。重宝している理由は、1日分のスペースがページの縦いっぱいにあり、細かく書き込むことができるからだ。
▽1日分のスペースがページの縦いっぱいにあり、細かく書き込むことができるコクヨのスケジュール帳
他にも愛用しているコクヨの商品がある。例えばリングが柔らかい樹脂でできている「ソフトリングノート」(638円)は、手があたっても気にならないという。テープのりの「ドットライナー」(462円)は、のりづけするとハートが浮かび上がる。
「コクヨは使いやすい商品が多く、文房具に対する見方を含めて生活がすごく変わりました」(上杉さん)
一方、山梨・南アルプス市のドラッグストア「クスリのサンロード」八田店で働く滝田亜侑さん。商品の品出しの現場で欠かせないのがコクヨの「ハコアケ(ハサミタイプ)」(1,320円)。一見、普通のハサミだが、レバーを押すと先端にカッターの刃が少しだけ出る。この部分でカッターのように段ボールを開けている。もちろんハサミのほうが楽な作業は、ハサミに切り替え。ハサミとカッターをいちいち持ち替えなくていいから効率アップになる。この商品はシリーズ化され、コンパクトなモデルもある。
「日常のふとした悩みを解決してくれる商品が多いと感じています」(滝田さん)
コクヨはノートや筆記用具などを幅広く手がける総合文具メーカー。累計販売数34億冊以上という「キャンパスノート」をはじめ、のりやハサミなど定番商品のメーカーというイメージだったが、アイデアの効いた商品もある。
「グルーテープカッター」(1,155円)は片手で切れるテープカッター。底に吸盤が付いていて、テープを切る時はしっかり固定。でも持ち上げると楽に取れる。また、角がいっぱいの消しゴム「カドケシ」(209円)は細かい部分を消すことができ、美大生など絵を描く人たちに刺さっているという。
以前はなかった商品を世に送り出すことで、コクヨはユーザーを開拓しているのだ。
商品のアイデアを拾い上げる場所もある。2年前にリニューアルした東京・品川区のコクヨの品川オフィスの1階は、自社商品を揃えた直営店になっており、誰でも立ち寄れる場所にした。スタッフは接客が終わると、聞き出したことを書き込んでいる。ここはユーザーの声を拾う場所なのだ。
外国人の声を拾う店もある。羽田空港の商業施設の中に今年オープンさせた専門店「コクヨドアーズ」。和のテイストのノートなど、ここだけの限定商品も並ぶ。訪日客の声を今後の海外展開に活かそうとしているのだ。
文房具の口コミアプリ「ミーケット」も自社で開発。ユーザーの困りごとなどを拾っている。こうした声から、かゆい所に手が届くアイデア商品を生み出しているのだ。
今や文房具だけじゃない!~オフィス家具に空間設計も
月に2回、大阪本社で開かれている新商品の検討会議。この日は中高生からの「スマホで撮影しやすいノートを」という声に応える商品を検討する。従来のノートはのり付けの関係で、最初のほうのページがどうしても浮き上がってしまう。そこで新たなキャンパスノートを試作した。これまでは強度を保つため表紙にのり付けしていたが、それをやめたのだ。
仮のキャッチコピーは「気持ちよくフラットに」だったが、創業家出身の5代目社長・黒田英邦(47)は、「すごさ」をもっとアピールしたほうがいいと言う。
▽月に2回、大阪本社で開かれている新商品の検討会議
「喋れば喋るほど嫌われてしまう気がして、いつも緊張しながら喋っています」(黒田)
創業118年のコクヨのオフィスには歴史を伝えるさまざまなパネルが。その中に大切にしているという言葉があった。「人より先に失敗する」。この言葉を残したのは、黒田の祖父にあたる2代目社長・暲之助だ。
「新しいことに取り組むための勇気をもらえる言葉だなと思っています」(黒田)
「失敗なしに新しいものは作れない」は、2代目の頃から50年以上続くコクヨの企業文化。そのチャレンジ精神で未知の分野に挑み、ヒットさせた商品もある。
ネットにつなげて使う、その名も「しゅくだいやる気ペン」(6,980円)。中にセンサーがついていて、鉛筆を動かした時間が計測され、お尻部分の色が変わっていく。宿題が終わったらスマホのアプリ画面に向かってジョウロの水を注ぐように動かすと、鉛筆を動かした時間に応じてリンゴが実る。このリンゴで、すごろくに参加でき、いろいろなアイテムをゲットできる。やっているうちにもっとアイテムが欲しくなるから宿題をやるしかない、というわけだ。
▽ネットにつなげて使う「しゅくだいやる気ペン」
ネットとつながる文房具はコクヨにとって初めての分野で、開発も手探りだった。完成までに作った試作品は50個近くに。延べ100組以上のモニターに使ってもらい、まさに失敗の連続で作り上げた。
「ユーザーさんに自分が思うことを問いかけてフィードバックをもらい、新しく仮説を立ててもう1回チャレンジします」(学びソリューション事業部・中井信彦)
完成までに約3年の月日を費やしたが、これまで3万5,000個以上を売り上げた。
コクヨは文房具の他にオフィス家具も手掛けている。全体の売り上げは3,000億円に上るが、実は文房具は2割程度。オフィス家具や空間設計などの事業が4割以上を占める。
この分野でも、人より先に失敗して新しいものを生み出している。
例えば前後左右に動くのが特徴の椅子「イング」(12万1,770円)。開発したものづくり本部・木下洋二郎は、自分が腰痛持ちだったため、長時間座っても腰が痛くならない椅子を作ろうと思い立った。「試作は山のように作りました」と言う。
▽前後左右に動くのが特徴の椅子「イング」
初めは地面を起点に、揺れる椅子からスタートした。
「揺れる動きを地面ではなく座る部分で表現するのが難しかったところです」(木下)
完成まで実に約7年がかり。特許も取得し、コクヨにしか作れない椅子が生まれた。「イングシリーズ」の価格は1脚10万円からだが、年間1万脚以上が売れていると言う。
「コクヨのユニークさを出し続けるための一つの条件が『人より先に失敗する』なんです」(黒田)
「人の3倍働きなさい!」~創業家に伝わる決死の覚悟
コクヨの創業は1905年。黒田善太郎が大阪で開いた紙製品の店が始まり。それを大企業に育て上げたのが2代目の暲之助だ。
「僕らの中では神様みたいな人」(黒田)という暲之助は1960年、オフィスで使うスチール製のファイリングキャビネットを発売。その後、1965年にはスチールデスクを発売し、オフィス家具事業に本格参入した。ただしこの分野では後発。そこで暲之助は「生きた実験ビル」と名付けた本社ビルを建て、注目を集める。それは社員が働いている様子を見学できる、ショールームを兼ねたライブオフィスだった。
「コクヨは物を売るだけではなく、物の使い方や物から得られる体験を、お客に売る会社なんだ、と」(黒田)
文房具の分野では1975年、キャンパスノートを発売。これも暲之助の発明品だった。
それまでの一般的なノートは中心部を糸で止める「糸とじ」で作られていた。ただ、これだと1ページだけ千切ろうとするとバラバラになることもあった。そこでコクヨが開発したのが糸を使わずノリで留める「無線とじ」という製法。ノリの成分や接着する工程は誕生から50年近く経った今もトップシークレットだ。耐久実験では、適当にめくった1ページを固定して吊るし、そこに2キロのペットボトル8本、計16キロをかける。
黒田は大学を卒業後、コクヨに入りたいと4代目社長の父・章裕に告げる。すると「黒田家の人がコクヨに入る時は祖父に頼まなければいけない。祖父からは『人の3倍働きなさい』と言われる、と」(黒田)。黒田家の人間はコクヨでは人の3倍働かなければ認められない。それくらいの覚悟を持てと諭された。
入社後はオフィス家具販売部門の営業に配属された。転機は7年後。リーマンショックからオフィス部門は売り先を失い36億円の赤字に陥った。黒田はその立て直しを託され、オフィス家具の製造会社の社長を命じられた。当時、製造部門と販売部門はそれぞれ別の会社になっていたのだ。
入社以来、販売会社にいた黒田は、そこで初めて製造現場の声を聞く。「販売会社が安売りするから利益が出ない」と、製造現場では赤字を販売会社のせいにしていた。
一方、以前にいた販売会社では「製造会社がいいものを作らないから売れない」という声を聞いた。お互いに責任をなすりつけ合うばかりだった。
当時、販売会社にいたチャネル推進本部本部長・笹野芳英によれば、「何が何でもコクヨ製品を売らなければ、という思いはなかった。コクヨ製品以外も仕入れて売ることをしていました」。そのやり方に当時、製造会社にいたものづくり本部本部長・森田耕司は「在庫がどんどん余っていく。非常に仲は悪くなりますよね」と、憤っていた。
一番の問題は、仲の悪さから、販売会社の営業が接する客の声が製造会社に届いていないことだった。そこで黒田は製造と販売の会社をコクヨファニチャーというひとつの会社に統合し、自ら社長に就任する。客がどんなオフィス家具を求めているのか、営業から開発まで一気通貫で伝わるようにしたのだ。
このやり方で結果を出したのが10年前に開発した「サイビ」。木目の入った天板やアルミカバーなどで高級感を出したシリーズ家具だ。
▽木目の入った天板やアルミカバーなどで高級感を出したシリーズ家具「サイビ」
「外資系企業をターゲットにした時、クオリティーの高い商材に需要があると分かっていました」(笹野)
このことを開発に伝えると、これまでの商品より3割ほど高い価格帯となったが、狙いはあたりヒットした。
「お客様に認めていただいて売り上げを伸ばした時は本当にうれしかったです」(森田)
こうした成功事例を重ね、赤字転落から3年後、オフィス事業は黒字に転じた。
元オムロン社長のメッセージ~「be Unique.」な事業とは?
黒田が社長に就任する際、陰で動いた男がいる。電子機器メーカー、オムロンの元社長・作田久男さんだ。黒田の父・章裕が自分の次の社長を決める人事委員会を作った際、社外から呼んだ。
オムロンと言えば、創業一族の立石家が3代で業界でも有数の大企業に成長させた会社。作田さんはオムロンのプロパー社員で、創業一族以外から初めて社長になった。章裕は三顧の礼で作田さんを迎え、社長選びに際してこんなことを言ったという。
「『自分としてはそんなに黒田家にこだわっていない。コクヨの社員を引っ張ってくれる人が社長になってくれたらいい』と」(作田さん)
▽創業一族以外から初めて社長になった作田さん
早速、作田さんは新社長の候補者たちと面談した。候補者は3人で、創業家の黒田、社内のプロパー、そして社外の経営のプロだった。
面談してみると、黒田以外の二人からは「やれと言われれば……」「推薦いただければ……」という受け身な答えが返ってきた。だが黒田に「やりたいか?」と聞くと、「ぜひ僕にやらせて下さい。コクヨは今、停滞期です。自分が先頭に立って変えていきたいんです」。
「やはりトップが『やりたい』と思わないと。経営のトップというのは、パッションが大事だと思います」(作田さん)
かくして人事委員会は次期社長に黒田を指名。2015年、黒田は39歳で5代目社長に就任した。黒田はオフィス事業を進化させ、宣言したとおり会社を変えていく。
「いろいろな働き方ができるように、実験をやっています」(黒田)
まず自分たちで試し、その結果を元に他社のオフィスの空間設計を行っている。例えばテントを張った会議室。リラックスできてアイデアが出やすくなったという。このアウトドアテイストの会議室は、すでにいくつかの大企業が採用している。
▽アウトドアテイストの会議室は、すでにいくつかの大企業が採用している
作田さんは現在、中堅社員向けの勉強会で講師を務め、コクヨをバックアップしている。
「僕の現状での彼の社長としての評価は70点ぐらい。いい意味で現社長は何でも自分でやりたがる。ただ、それは良し悪し。社員からすると、社長が細かい指示を出すと社長に頼ってしまう」(作田さん)
黒田は2年前、コクヨの新しい企業理念を掲げた。「be Unique.」。直訳すれば「ユニークであれ」。そしてこれまでとは全く違うユニークな事業も立ち上げた。
東京・品川区内の高齢化が進む戸越公園駅南口商店街。和菓子店「御菓子司 越路」を営む商店会副会長の若井知之さんは「活気がどんどん失われて危機的な状況」と言う。
そんな場所で、コクヨは以前、社員寮だった建物を改装し、実験的な集合住宅を作っている。39戸の居室があるが、一番の特徴は8つのスタジオを用意したこと。入居者はこの場所を使って、やってみたかった副業に週1日から挑戦できる。
例えばヨガやフィットネスの教室。営業許可付きのキッチンがあるスタジオもあり、週1のスナックの開店も可能だ。
この場所を起点に人が集まる流れを作れれば町は元気になると、商店街の人たちの期待も膨らむ。 「うまく重なりあえば面白い。非常に期待しています」(若井さん)
※価格は放送時の金額です。
~村上龍の編集後記~
2代目社長は「人より先に失敗する」という言葉を掲げた。会社全体を「実験場」にしようとした。
スチール製のオフィス家具を開発したが、毎朝それを撤去する人がいた。初代だった。黒田さんは、父の時代まではカリスマ的な人物が会社を率いたと言う。
今は、多様性の時代であり、社員一人一人が新しいことにチャレンジできる環境を作ること。そして背中を押してあげること、それがリーダーの役割だと。be Unique.という理念を作った。beという文字が小文字であるのが大事だ。ユニークであり続けなければならない。