(写真=PIXTA)
秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる (古今和歌集)
暦のうえではとうに立秋を過ぎ、この週末は二十四節気の処暑である。暑さが処(や)む頃ということだ。今年の夏は記録的な猛暑となり、異常気象とも言われたが、この二十四節気は不思議と実際の気候に合致していて、毎年甲子園での球児たちの熱闘が終わる頃、涼しい風が吹いてくる。
中国ではなおさら二十四節気に実際の気候が合っていて、今週初めに僕が訪れた北京の気候は非常に爽やかであった(但し、大気汚染を除けば、という条件付き)。聞けば、ここ数日で急に過ごしやすくなったのだという。そもそも二十四節気は昔の中国で太陰暦による季節のズレを正し、春夏秋冬の4等区分にするために考案されたものだから、中国のほうがぴったり合うのは当然であろう。
今、僕が滞在している上海は北京よりずっと南だから、南方特有の湿気があるものの、それでも暑さは苦にならない。上海でも秋を感じることができる。本当は帰国してから出張報告をまとめるつもりにしていたのだが、なにやら急速にマーケットの雲ゆきが怪しくなってきた。とりあえず、今回の北京・上海訪問で感じたことを述べる。
結論として、中国景気減速に対する市場の反応は行き過ぎである。マーケットにおけるリスクとは、「わからないこと」であるが、今回もまた、この「わからない」という「リスク」を市場は過大に捉えているようだ。なんだかわからないけど不安だ、なにやら中国では大変なことが起きている、実体経済は報道されるよりも大幅に減速しているのではないか、この先もっとひどいことになる、云々、といった一部の市場関係者やメディアの論調に踊らされていると思われる。
中国景気の、いったい、どこが問題なのか?
無論、中国景気は減速している。それは指標からも、現地のひとびとの話からも、明らかで否定のしようがない。
で、それで?
英語で言うと、So what? それが何か?という感じである。
確かに米国に次ぐ世界第二位の規模のGDPを持つ国の経済成長が減速するというのは、世界経済に与えるインパクトとマグニチュードは大きいに違いない。しかし、ここでのポイントは、中国の景気減速は今、突然に始まったのか?という点である。それは想定外の事象なのか?この先、さらに悪くなる材料や確信があるか?いずれもNoである。
中国景気の減速は今に始まったことではない。ずっと減速してきたのである。それはいわば、既定路線であり、驚くことでもなんでもない。中国は習近平による指導体制のもと、「高速成長」から「中高速成長」へのソフトランディングを目指している。いわゆる「新常態」への経済モデルの転換である。
安い人件費を利用した、労働集約的な産業による経済 - すなわち、「世界の工場」と言われた、原材料を輸入し加工組み立てして輸出で稼ぐモデル - から、台頭する中間層の消費に的を絞った内需主導の成長を目指している。輸出に頼っていたのは過去の話である。また、リーマンショック後に4兆元を投じた大規模な財政政策を行ったが、今はその反省機運も強い。財政出動による資本形成が伸びないのは、そういう背景である。
過剰生産能力を抱えた業種・企業の統廃合も不可避であるし、不動産市場の調整もまだじゅうぶんでない面が残る。そして何よりも厄介なのが地方政府の債務問題である。しかし、こうした構造的な要因による下押しもまた、想定の範囲であり中央政府の監視下にある問題である。
こうした現状を中国では「三期重複」と呼んでいる。1)成長速度の変換期、2)構造調整の陣痛期、そして3)過去の刺激策の消化期の3つが重なっているという認識である。さらに言えば、過去垂れ流しにしてきた公害問題への取り組みなど(中国版グリーンディールと言われる)環境に配慮する姿勢もみられている。成長率が落ちるのは当然である。
中国政府が最も気にするのは社会不安の増大である。共産党指導部への不満が爆発するのを最も恐れている。経済成長は手段であって、目的は社会の安定なのだ。人口が伸び、農村から出稼ぎ者が都市部に押し寄せていたころは8%の経済成長がなければ雇用を安定させられなかったから政府が経済対策を頻繁に出して景気を支えた。今はサービス産業が伸びているし、そもそも人口動態からいっても7%程度の成長でじゅうぶん雇用を吸収できる。むしろ人手不足ですらある。
なにしろ賃金が年率2桁で伸びている。そもそも労働集約型産業モデルが成り立たない段階にきている。内需主導経済の転換は必然と言える。では安定した雇用、高い賃金の伸びに裏打ちされて消費は伸びているかと言えば、加速はしていない。
小売売上が10%台の半ばで伸びていたころに比べれば鈍化しているものの、しかし、それでも10%程度の伸びはある。GDPの内訳としても消費の寄与は安定しており、消費は堅調といっていい。自動車販売の不振についての報道が目立つが、これにはいろいろな特殊要因もあり別の機会にまた報告したい。
というわけで、中国経済のスローダウンというのは、共産党指導部の計画通りのことが起きているだけである。だから政府は静観しているかといえば、それはそれなりに景気対策を実施しているのである。
度重なる利下げもそうだし、関税の引き下げ、公務員の賃上げ、地方政府プロジェクトへの締め付けを緩和、など「派手」ではなく、むしろ「地味」な施策は打ってきている。いざとなれば、もっとアクセルを吹かせばいいだけで、今はまだそれほどのことではないという認識なのだろう。
重要なことは、なんだかんだ言っても中国経済というのは「計画経済」であるという点である。そして習近平政権にとって、2020年という年は非常に重要な意味を持つ。
今の中国は日本の1960年代にそっくりとよく言われるが、60年に池田内閣が打ち出した「所得倍増計画」と同じことを中国政府も掲げている。それは2020年までにGDPを倍増させるという目標である。あと5年でこの目標を達成するには、逆算するとGDPが平均6.6%で伸びていけばよい。逆に言えば6.6%で成長しないと目標は達成できない。
習近平政権にとってこの目標の「未達」はあり得ない。なぜなら2020年は建国70周年に当たるメモリアル・イヤーである。しかし、習近平政権にとっての本当のターゲットはその翌年、2021年の中国共産党結成100周年であろう。この偉大な年を祝うには、GDP倍増計画の目標達成は必須であろう。なにがなんでも平均6%台半ば~7%程度の経済成長を保つことになるだろう。繰り返すが中国経済というのは「計画経済」なのだ。
と、いうわけで、中国景気は減速しているし、それはさらに続く。しかし、すべて計画された範囲内のことであり、間違っても「大変なこと」が起きるわけではない。不動産バブル崩壊、地方政府の財政破綻、不良債権による金融危機、そういったことが大きな問題に発展するリスクはほとんどないというのが、今回、中国でミーティングを重ねた結果、得た感触である。
中国景気はただただ「普通に」減速しているだけだが、そこに株式市場の急落、人民元切り下げ、天津市での爆発事故などが重なり悪いイメージが膨らんだことも実態を見えにくくしている要因であろう。なにしろ中国経済の規模が大きい。少し秋風が吹いても、その風の音に驚くのは無理がない。しかし、目にはさやかに見えないものを過大に捉えてはいないか。今の市場の反応は中国景気悪化という幻影に振り回されていると考える。
広木隆(ひろき・たかし)
マネックス証券
チーフ・ストラテジスト
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