2月6日に映画「新劇場版 頭文字D Legend3 -夢現-」が公開される。実家「藤原とうふ店」の配送を手伝う藤原拓海がトヨタ スプリンター・トレノAE86に乗り、様々な人と出会うなかで走り屋としての運転技術だけでなく、内面的にも成長する姿を描いたストーリーである。原作者のしげの秀一氏による漫画の連載がはじまったのが1995年であるが、この時代の自動車文化とはどのようなものだったのか。日本の自動車産業の歩みとともに振り返ってみよう。
日本の自動車産業「黄金期」の80年代
1980年代は、60年代のモータリゼーション、70年代の輸出競争時代を経て、日本の自動車産業が黄金期を迎えた時期でもあった。「一家に1台」が広く定着し、休日は家族や恋人と海や山へドライブするのが定番といえる時代だった。
日本の自動車生産台数は80年に1100万台を超え、トヨタをはじめとする日本勢のクルマは、生産性と品質の高さで世界から賞賛された。しかし、ブランド力に関しては欧米勢に劣っており、グローバルな宣伝やPR活動に課題を残す時代でもあった。同時に80年代は日本メーカーの海外現地法人化が加速した時期でもある。
そうして迎えた90年代。グローバル化が進むなかで、日本メーカーの世界生産台数は1600万台となり、そのうち30%以上を海外での現地生産で占めるようになった。
90年代のスポーツカーブーム
今回の映画で登場する車種は、主人公のAE86を筆頭に、FC3S(RX-7 アンフィニⅢ)、FDS3(RX-7 Type R)、BNR32(スカイラインGT-R V-specⅡ)と、1980年代から2000年初頭にかけて販売されていたものである。90年代は頭文字Dの影響もあって、軽快なコーナリングを楽しめるFR(後輪駆動)車に人気が集まった。
頭文字Dのストーリーで最もイメージに近い人物といえば、元レーシングドライバーの土屋圭市氏である。自身も峠の走り屋を経験し、後にレースに参戦、華麗なドリフトでファンを魅了したことからドリフト・キング(ドリキン)と呼ばれた。そのような背景もあってクルマ好きの若者がAE86、シルビア、180SXなどを求めたのが90年代であった。
90年には、ホンダのスーパーカーNSXや三菱のGTOが、91年にはアンフィニRX-7やスバル アルシオーネSVXが発売されるなど、スポーツカーが華やいだ時代でもあった。NSXは、オールアルミボディのMR、エンジンは3LのV6DOHC VTECとなり、5MT車が280psというパワーを発揮した。GTOの3LV6ツインターボでは、280psを発生するなどハイパワーマシンが次々と登場した。
WRCを背景としたラリーカーブーム
一方で、この時期はWRC(世界ラリー選手権)で日本車が活躍し、ラリーカーブームも迎えていた。1973年に世界各国で行われていたラリー戦を、FIA(国際自動車連盟)が統一することで、注目度が高まってきた時期でもある。トヨタのセリカGT-FOUR、スバルレガシィおよびインプレッサ、三菱のランサーエボリューションが好成績を納めることで、ラリー仕様のクルマの人気も高まった。
92年に発売されたランサーエボリューションは、250psを発揮する直列4気筒DOHC16バルブにターボユニットを積み、後のランエボラインの基礎を築いた。また、トヨタのセリカGT-FOURには、94年にコンバーチブルタイプも販売され、クーペの3ドアリフトアップと異なったモノコックボディを纏うことで軽量化を図り、話題となった。ほかにも、97年には、パリダカラリーで三菱パジェロに乗った篠塚建次郎が、日本人として初優勝を遂げた。
大きな転換点を迎えた90年代後期
91年に軽のオープンカーであるホンダ ビートが生まれ、熱狂的なファンを獲得した。ビートはご存知のように、2015年にS660として生まれ変わって再度我々の前に姿を見せることになる。この年はスズキ カプチーノのほか、日産のパイクカーの代名詞的な存在でもあるフィガロが発売されるなど、個性的なクルマが数多く登場した。
しかし、その個性的なクルマのなかでも最もユニークなのは、90年発売のトヨタ セラであろう。メルセデス300SLやランボルギーニ・カウンタックの専売特許だと思われていたガルウィングを、1500ccの3ドアクーペに採用したのである。商業的には決して成功とはいえなかったセラだが、そうしたユニークなクルマが登場したのも90年代の特徴といえる。
90年代は、FR車やハイパワーマシン、ラリーカー、個性派など自動車文化の多様化が進み、クルマ好きのための様々なニーズに応えた車種が相次いで登場した時代といえる。
しかし、その一方で限りあるエネルギーや地球環境など、エコロジーについての問題意識も年々高まりを見せていた。97年に発売された初代プリウスを契機に、それまでのある種牧歌的ともいえた日本の自動車文化は終わりを告げ、燃費や環境重視の視点がクルマの開発に欠かせない要素となったのである。(ZUU online 編集部)