◆雇用条件・報酬の推移
一方、給与など、労働者の雇用条件はどうなってきたのかを見てみると、厚生労働省の『毎月勤労統計』によりますと、1996年には月あたり28万5000円ほどでした。それが実はその後ずっと下がってきていて、平均給与で26万円まで下がりました。これを会社の人たちに話しますと、わが社においては、社員の給与は、伸びてはいないけれど下がってはいないとよく言われます。
そこでこれを、一般労働者、要は多くの正社員を含む労働者と、短時間労働者(パート労働者)の二つに分けてみたらどうか。
一般労働者は、確かにリーマンショックの後に大きく減少することはありましたが、長期的に見ると伸びているか横ばいと見て取れます。さらにはパート労働者の月あたり給与で考えますと、むしろ右上がりです。個別に見ると右上がりになっているのに、どうして全体では、全雇用者の給与は右下がりなのでしょうか。
言うまでもなく、パートの月給の低い人たちの比率が大きく増加した、まさに構成比が変わったからで、企業においては、この分だけ1人当たりの給与は、パート労働者を増やすことによって、ある意味では節減することができたと言えるかもしれません。
ただし、パートはあくまでも短時間労働者、労働時間の短い人ということなので、時間当たりに換算したらどうかということはまた別のもので、ここではあくまでも月給というレベルで考えています。
こちらは総務省の統計で、民間給与総額ということで見てみると、確かに1980年から1997~1998年まで右上がりでした。ところが、その後はほぼ横ばいです。あるいは消費者物価の方は下がって、実質の民間給与総額は上がっていることになるかもしれません。
われわれ労働経済学をやっている者がよく言うことは1997~1998年、ここに労働市場の大きなターニングポイントがあったということです。
1997~1998年というのは何があったときか。一つは北海道拓殖銀行の倒産、あるいは山一證券の倒産という金融危機がありました。「まさか北海道の日銀が倒産するとは」と、地元の人たちは北海道拓殖銀行のことを比喩して言ったわけですが、そういった大きな変化が起こっています。
特にどうも企業のガバナンスがこの辺から変わってきたのではないかと言われます。思い出しますのは、トヨタ自動車の当時の会長で、日経連、その後、経団連の会長であった奥田氏がおっしゃった言葉、「どうも世の中、大きく変わってきている。今までは企業がリストラを進めると、その企業の株価は下がった」と言っていました。
いよいよ人に手を付けなければならないところまで企業は経営的に追い込まれたのかというメッセージとして受け止めていたということでした。
ところが、1996~1997年から起こるようになったのは逆の現象で、企業がリストラをやると言うと、今度は株価が上がる。逆にリストラをやらない、わが社は人が大切だと言うと株価が下がってしまうというような、どうも株価とリストラの関係が、リストラをすると株価が下がるという関係から逆転するというようになったと言われるぐらい大きく変わってきました。
その分だけ、実態として見てみると、株主の間に大きな変化が起こってきている。それは特にファンドを中心とした、外国人株主のウエイトが1998~1999年から急激に上がってきたといわれています。
そこではROEが大切だということから、人件費をもし削減できるのだったら、それを進めるべきではないか、企業の利益を優先させるべきだ、企業が誰のためにあるのかというところまで言われるようになった。まさに株主のためです。それまでは社員のためですと言っていて、そこに大きな変化があったのではないかと言う人たちもいる。
それぐらい、人件費総額の抑制が好むと好まざるとに関わらず、強く望まれるようになりました。
これは「経済好循環のための政労使会議」の中で使われた図ですが、この動きを見ていきますと、リーマンショックの後は経常利益がガタンと落ちましたが、これを除いて見ると、どうも増えてきている。にもかかわらず雇用者報酬という総額で見ると、必ずしもこれが連動しないという動きになってきていることが表れています。
よく日本では生産性三原則の重要性が労使の間で主張されてきました。労働者と企業の経営者の間に、まずは労使が協力して企業の生産性を上げるという労使の協力の重要性が確認されてきました。そして同時に、それによって生産性が上がって企業収益が上がったら、今度はそれを労使で配分していくということで、これによって共に豊かな関係が築かれていく、日本でいう良好な雇用関係、労使関係の背景にそういったものがあったということです。
それはまさに、企業収益、経常利益と雇用者報酬が割と似たようなパラレルの関係を描いてきたからですが、1998~1999年から、その間に大きく乖離が生まれてきているということがいえます。
これが今度の一昨年、去年に開かれた政労使会議でも、企業がもし儲かっているのであれば、その部分を設備投資とともに、労働者に配分してください、そして、労働者の賃金を上げることによって、生産性の向上と消費支出を増やし、内需を拡大することによって、まさに景気の好循環をもたらしていく必要があると主張されるようになっていったということだと思います。
公益(代表)の3人が政労使とともに参加していましたが、私もその1人でしたが、そういった議論がこの場で確認され、春闘に少なからず影響を及ぼしていったのではないかと思います。
この議論の背景にどんなものがあったのか。この図は名目賃金を2000年から各国の水準を取っています。ここでは製造業について描かれていますが、製造業で見るとほぼ横ばいの水準が続いています。一方、ドイツにしろ、イギリスにしろ、アメリカにしろ、フランスにしろ、賃金は上がっています。この差が消費者物価であった、デフレであったのかもしれませんが、こんな動きがどうも見られそうだ。
左側のグラフが日本を示しています。ピンクの線が生産性、グリーンの線が消費者物価、ブルーの線が1人当たりの雇用者報酬です。これで見てみますと、生産性の方は確かに他の国に比べると上がりは遅いかもしれない、あるいはヨーロッパと同じ程度であったかもしれません。
それに対して1人当たりの雇用者報酬(名目)は下がりました。この位置関係、生産性が一番上で、賃金(雇用者報酬)が一番下となっています。
他方、EU、ヨーロッパの各国を平均で見ると、一番上に来ているのが1人当たりの雇用者報酬、そして労働生産性が一番下で、位置関係が日本とは逆転していることが分かると思います。アメリカにおいても同じです。一番大きく伸びたのが1人当たりの雇用者報酬です。ところが、下の方に生産性がある。生産性以上に、名目の賃金(雇用者報酬)は大きく増加していたのだと思います。
ただし、ここで注目しなければいけないのは、先ほどの企業の経常利益で、これが日本国内の労働者が働いて稼いだ所得なのかということが問題になってきます。
海外で営業、生産活動をして、そのお金・利益が国内の方にもたらされている可能性があるということになると、まさにそこが議論の分かれてくるところです。日本社員の賃金を考えていくのかどうかというところも議論の対象で、全社的に考えてみますと、もしかしたらシェアリングが労働者と会社の間でなされているかもしれない。
この図では、なるべく日本国内における生産性と賃金をとっています。日本国内だけで見ると、収益は上がっているように見えるのだけれども、給与の方は横ばいか下がっているという状況もあるかもしれないという、かなり複雑な動きになってきています。これも春闘等々で考えていかなければならなくなるのではないかということです。