日本へのインプリケーション
本章で紹介した韓国の勤労奨励税制は、従来のセーフティーネット機能の改善を検討し、打開策の模索をしている日本にとっても、導入の検討の意義はあるだろう。
実際、日本でも勤労奨励税制に対する関心は学識者を中心として以前から持たれており、導入の意義やそれに伴う問題点などが熟議されてきた。森信(2008)は、勤労奨励税制を導入する場合の課題として、以下の4点を挙げている。
(1)政策目標としてどのようなことを掲げ、ターゲットをどの層にするのかを明確にすること。
(2)制度や政策を十分に議論・検討し、ばらまき型の政策にならないようにすること。
(3)制度の悪用による不正受給をどのように防止するかの策を講じること。
(4)税務署が管理や給付を行うので、所得情報を明確に把握できる体制を構築する必要があること。
この課題に関して、韓国のケースと照らし合わせて考えてみると、まず、(1)に関しては、日本でも韓国と同様に労働力の非正規化の進行により女性労働者や若年世帯の勤労貧困層が急増しているので、働く女性や若年世帯を政策の主なターゲットとして、韓国と同じ政策目標を掲げて制度を構築することに意義があると考えられる。さらに、韓国政府が最近取り入れた「子どもの数による勤労奨励金の差別政策」は、同様に少子化問題を抱えている日本においても十分得策といえるであろう。
(2)に関しては、両国ともにばらまき型の政策を実施するよりは一人でも長く安定的に働ける雇用を創出する政策に力を入れるべきであり、それこそ、政府の財政を安定させる近道であるだろう。お金をばらまくことが安定的な雇用の場を創出するより簡単だということで、財源を無駄使いしてはならないだろう。
(3)や(4)に関しては、日本では2006年1月からスタートしたマイナンバー制度を十分に活用することで対応すべきである。但し、日本より先に全国民に住民登録番号制度を導入し、個人の資産や預貯金等を把握することが可能であった韓国でも不正受給が発生しており、自営業者の所得捕捉は未だに政府の課題として残されている。このような韓国の事例を参考し、日本ではより効果のある制度の構築を願うところである。
また、一部ではあるものの、軽減税率の代替案として給付付き税額控除を導入すべきだという主張も出ている。安倍政権は公明党の提案を受け入れ、2017年4月に消費税率を10%に引き上げると同時に軽減税率を導入する方向に舵を切っている。しかしながら経済学者を中心として反対の声も少なくない。
軽減税率を反対する理由としては、「軽減税率の適用を巡っての政治的ロビー活動が増加する」、「価格体系が歪むことにより資源配分を歪める」、「消費水準が高い高所得者の減税額が多く、結果的に高所得者に有利な政策になる」、「すでに海外で失敗を経験している」などが挙げられる。
2015年12月10日、自民、公明両党は、軽減税率の対象となる品目を酒と外食をのぞく「生鮮食品と加工食品すべて」とすることで合意しており、このまま軽減税率が導入されると消費税率を8%から10%に引き上げた際の税収は約1兆円減ることになる。
このうち、4千億円は、消費増税に伴って低所得者向けに使う予定であった財源を利用することで対応可能であるが、残りの6千億円に対してはその財源を確保する方法が全く決まっていない。財源が確保されないと社会保障費の削減も検討されるだろう。
実は、軽減税率の導入費用1兆円は白石が2010年に推計した給付付き税額控除制度の導入費用約1.3兆円にほぼ匹敵する金額といって良い。川口(2015)は、白石の推計結果に基づき、軽減税率の実施と給付付き税額控除制度の導入費用に大きな差がないと説明しながら、給付付き税額控除制度は日本で十分実行できる制度であり、今後その導入に向けて活発な議論が行われるべきであると主張している。
軽減税率の基本的趣旨は消費税率の引き上げに対する「低所得者対策」である。しかしながら、低所得者対策は軽減税率だけではなく他にもある。本文で紹介した給付付き税額控除制度もそのよい例であるだろう。
さらに、給付付き税額控除制度は低所得層の労働市場への参加率を高めるという効果も出ている。日本政府が軽減税率の導入だけに偏らず、アメリカや韓国などで先立って実施され、一定の成果を挙げている給付付き税額控除制度の導入も同時に検討しながら、より効果の高い政策を実施することを願うところである。