人材育成における3つのジレンマ
日本の大企業では、厳しい採用選考を経て新卒で入社してから、20~30年程度の長期的なタームで人材育成がなされるケースが多い。こうした大企業で人材育成がうまくいっていない理由として、筆者は、企業が人材育成において「3つのジレンマ」を抱えていると考えている。
本稿では、これらのジレンマを「優先順位のジレンマ」「配分のジレンマ」「同質性のジレンマ」と命名することとする。以下、これらのジレンマの内容と、筆者が考える対応の方向性について、順番に述べることとしたい。
◆優先順位のジレンマ~当面の課題を優先せざるを得ず、人材育成が先延ばしになる
(1)人材育成優先×当面の課題優先
ここでいう「優先順位のジレンマ」とは、企業や職場の上司が人材育成の重要性を理解しているものの、業績の維持・向上、企業全体にかかわるリスクや目の前のトラブルへの対処、といった「当面の課題」を優先せざるを得ず、結果として育成が先延ばしになってしまう一方、「育成優先」を決断しなかったことによって、中長期にわたって甚大な損害を被ることになるというジレンマである。
人材育成に必要な成長機会は、OJT(仕事を通じた教育訓練)と、Off-JT(仕事以外の研修等を通じた教育訓練)から構成される。OJTにおいては、上司の育成への関わりが成長機会の量・質に大きな影響を与える。しかしながら、前述した厚生労働省「能力開発基本調査」で、人材育成に「問題がある」という大企業があげた具体的な問題点(複数回答)をみると、「指導する人材が不足している」(51.2%)、「人材育成を行う時間がない」(50.9%)が上位2位にあげられている(図表3)。
「指導する人材が不足している」という結果からは、グローバルな視点や多様な人材のマネジメント能力等が、特に幹部候補に対してより強く求められるようになってきた一方で、その上司がそういう視点・能力等を十分に備えていないという状況が透けて見える。
「人材育成を行う時間がない」については、1990年代以降に進められた上司のプレイングマネジャー化の弊害、コンプライアンスに代表されるリスクマネジメント業務負担の増大が背景にあると考えられる。つまり、幹部候補の育成に必要な能力を持つ上司を育成できていない、上司が育成以外の業務で忙しいといった課題が、OJTによる成長機会の量と質の低下につながっている。
また、Off-JTによる成長機会についても、コスト削減の候補に真っ先にあげられやすい領域であり、量・質ともに低下している懸念が大きい。前述の人材育成に関する具体的な問題点に関する調査結果をみても、「育成を行うための金銭的余裕がない」(13.9%)が5位にあげられている。このような企業では、Off-JTの機会が抑制され、内容も不十分なものになることが危惧される。
このような現状に陥っているのは、業績やリスクマネジメントといった当面の課題が優先順位の高いものとして位置づけられ、これらの当面の課題に上司のパワーや予算等が重点的に配分されるという構造が続いてきた結果だと考えられる。
業績の維持・向上、企業全体にかかわるリスクや目の前のトラブルへの対処等、当面の課題は放置できないし、課題が深刻であるほど、その解決のためにより大きな力を割かざるを得ない。
一方で、人材育成については、すぐに対応しなかったからといってにわかに甚大な損害を被るわけではなく、逆にすぐに対応したからといってにわかに効果が実感できるわけでもない。こうした構造が、企業や職場の上司を「人材育成優先」から遠ざけ、「当面の課題優先」に走らせてしまう。
(2)優先順位のジレンマへの対応~「当面の課題優先」からの脱却に向けて
「優先順位のジレンマ」から脱却するのは実際には容易ではないが、少なくとも当面の課題に対処しつつ、人材育成に上司のパワーや予算等を極力配分できるような仕掛けを、企業のなかに作っていく必要がある。
まず必要なのは、育成の効果をできる限り「見える化」することである。「当面の課題優先」という声に抗弁するためには、研修受講の効果測定のみならず、育成政策の変更によってたとえばグローバル人材や幹部候補の人材プールが何人増加したか等を定量的に追跡していく必要がある。
少なからぬ大企業で検討・導入され始めたタレントマネジメント(人材を競争力の源泉と位置づけ、採用から配置、育成、キャリア形成といった一連のプロセスを効果的・戦略的に管理・支援する仕組み)も、育成の効果の「見える化」と通じるものだと考えられる。
次に、当面の課題に対する対処の体制を見直し、上司の負担を軽減することによって、上司が育成に時間を振り向けられるようにする必要がある。具体的には、上司の評価基準における業績と育成のバランスを見直し、業務改革や要員の補強によって、コンプライアンス等のリスクマネジメント業務の負担軽減を図る必要があろう。
上司の評価基準において育成のウェイトを高めることは、前述の育成の効果の「見える化」とセットで検討する必要がある。要員の補強は現実的には難しい面もあろうが、たとえば定年後継続雇用されている元管理職等に、コンプライアンス等のリスクマネジメント業務を配分することも考えられる。
また、上司が限られた時間のなかで効果的な人材育成を行えるように、上司に対する教育を強化していくことも重要である。女性活躍推進の一環として、管理職教育を強化する動きが一部の企業でみられるが、これも効果的な人材育成に向けた有効な取組の一つだといえよう。