元プライベートバンカーで、現在はフィンテック企業の経営者として金融情報に精通する著者が、その知識と経験を初めて公開する 『プライベートバンクは、富裕層に何を教えているのか?』 がついに発売! この連載では、同書の一部を改変して紹介していきます。

今回は、「スイス銀行」という言葉が生まれた背景ともいえるスイスのプライベートバンクの特殊性と、その転換の歴史を紹介します。

スイスがプライベートバンクの聖地になったわけ

冨田和成,プライベートバンクは、富裕層に何を教えているのか?
(写真=ダイヤモンド・オンライン)

スイスが長年プライベートバンクの聖地とされてきた背景には、その誕生の地である、ということに加え、もう1つ理由があります。

それが約300年前にスイスの銀行法で定められた顧客情報の秘匿義務。
警察からの依頼であろうと、よほど犯罪性の高いものでない限りは顧客情報を漏らさないことがスイスのプライベートバンクのこだわりでした。口座を氏名ではなく番号で管理する「隠し口座」も、いまだに小規模なプライベートバンクでは存在します。

その守秘性がよくわかるスイスの銀行の特徴をいくつか列挙してみます。

・口座の持ち主を知っているのは顧客担当者とごく一部の上層部のみ。口座番号が漏れても身元を割り出すことができない
・口座番号さえ知っていれば入金は誰でもできるが、入金先を間違えても守秘義務があるためお金の返還は受け付けない
・顧客同士が顔をあわせることを防ぐために、プライベートバンクを訪問する際は決められた時間に来訪しないといけない。エレベーターも担当者が待つ階にしか止まらない

「お金の傭兵として、何がなんでも顧客とその資産を守る」という強い意思が感じられます。プライベートバンクと聞いて「犯罪の匂いがする」「マネーロンダリングの温床」といったマイナスイメージを持たれる方がいるとしたら、この秘匿性の徹底ぶりがその原因かもしれません。

ちなみに「スイス銀行」という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、それはスイス銀行法に基づいて運営されているスイスのプライベートバンクのことを指します。実際にそのような名前の銀行があるわけではありません。

プライベートバンクの一極集中を転換させた「スイス・リークス事件」

ただ、300年続いた秘匿性の歴史はここ10年ほどで大きな転換期を迎えています。

その1つの発端となった出来事が起きたのは2007年でした。スイスのジュネーブに拠点を置くHSBCの子会社、HSBCプライベートバンクの顧客データが外部に漏洩する「スイス・リークス事件」が起きたのです。2015年に世界中のメディアに公開された文書によると、HSBCは200ヶ国の顧客に対して脱税をしたとされています。

そして2008年には、ドイツ財界の超大物で、同国の郵政事業の民営化を成功させたドイチェ・ポストのクラウス・ツムヴィンケル社長が脱税の容疑で検察庁から摘発を受けます。彼はリヒテンシュタインのプライベートバンクを使っていましたが、同国は国家機能をほぼスイスに依存する小国のため、スイスに対する風当たりもきつくなりました。

こうした動きを受け、2009年には米国のオバマ大統領(当時)自ら、スイスのUBSに対して米国人の顧客リストの開示を要求。米国でのビジネス停止をチラつかされたためにUBSはその要求をのみ、大手プライベートバンク各行もそれに従うことになります。

さらに2010年になると、スイスと国境を接するイタリア政府が動きます。スイスに資産を移し脱税をしていると疑われるイタリア国民に対して、「この先、1年の間に資産をイタリア国内に戻せば、過去の詮索はしない」とする異例の措置を発表。このときもかなりのイタリア人富裕層がスイスから資金を引き上げました。

こうした一連の流れを機に、富裕層の資産だけではなく、スイスやフランス、ドイツなどで活躍してきた優秀なプライベートバンカーも、新しい挑戦の場を求めて、成長著しいアジアの金融センターであるシンガポールや香港に流れました。

これによってスイスの地位が劇的に下がったとは言いませんし、いまだに世界一であることは間違いありませんが、オフショア資産の行き場がかなり分散したことは事実です。

私がシンガポールに留学していた時代は、まさにシンガポールがスイスからの資金と人材の受け皿になっていた時代で、現地のプライベートバンクの幹部と話をするたびに、口をそろえて「絶好のチャンスなのに人が足りない!実績は多少目をつぶるのでいい人がいたら紹介してくれ!」と嘆願されたのが印象に残っています。