よく「育児」は親自身の成長をもたらす「育自」だと言われる。子育てはさまざまな問題に直面しながらそれを乗り越えることで、子どもと親がともに成長するのだ。別人格である子どもを育てる「育児」は、親に対して辛抱強い忍耐を要求し、親は子どもによって鍛えられ、ひとりの人間としても成長を遂げる。なんど子どもを育てる経験をしても、親は育てる対象が変われば再びあらたな経験を重ね、子育ては常に新鮮で創造的な営みとなる。だからこそ子育てはおもしろいのだ。

育児,介護
(画像=Thinkstock/GettyImages)

一方、「介護」は「育児」と異なる点がある。「育児」は子どものできることが増え、親の支援は少なくなってゆくが、「介護」の場合は反対に対象の衰えとともにできることが減り、先行きも見通せなくなることも多い。同じ「ケアする経験」も反対方向のベクトルを持つのだが、両者の間には共通点もある。それは「育児」は子どもの潜在能力を伸ばすことであり、「介護」は対象の残存能力を活かすことである。さらに重要な共通点は、ケアが育児や介護をする“ケアラー”の成長に深く関わっていることだ。

ミルトン・メイヤロフ著『ケアの本質~生きることの意味』(原題:「On Caring」、ゆみる出版、1987年初版)は、子育てや介護などの「ケアする経験」が、全人格的な意義を持ち、自分自身の生をもっとよく理解することに役立つとしている。また、ケアは対象となる人の成長を援助することであり、援助者は「ケアする経験」を通して忍耐、信頼、謙遜、勇気などの資質を獲得する。忍耐は相手に余裕を与えるという関与のひとつのあり方であり、信頼は相手の独立性を尊重することであるという。

これまで主に「ケアする経験」は女性が担う非賃金労働であり、賃金労働である仕事に比してあまり社会的に評価されてこなかった。プリンストン大学教授のアン=マリー・スローター氏は近著*の中で、『キャリアの成功だけが人間の幸福の証でもなければ人生の功績の尺度でもなく、家族や友人を愛し気遣う生き方が尊重され、そこから深い満足を得られる社会であってほしい』と、「ケアする経験」の大切さを述べている。性別を問わず人間が活かされるのは、対価を伴う仕事だけではないのである。

子育てや介護と仕事の両立を実現する「働き方改革」は、労働生産性の向上、高い付加価値の創造、人材の多様性をもたらし、働く人の幸せを増幅する。「育児」や「介護」などのさまざまな「ケアする経験」が自らの成長につながり、自己実現をもたらし、人生を豊かにする。「ケアする経験」が男性も女性も、個人的にも社会的にも活かされないのは、とてももったいないことだ。個人が生きる意味を確認し、社会が持続可能であるためにも“「育児」と「介護」のススメ”が重要ではないだろうか。


土堤内昭雄(どてうちあきお)
ニッセイ基礎研究所 社会研究部 主任研究員

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