今日は、インターネットや書籍、セミナーなどで、さまざまな「お金の貯め方・殖やし方」を知ることができる。NISAやiDeCoといった制度を活用したり、融資を受けて収益不動産を購入したりするのはもちろん、不要なものをフリーマーケットアプリで売却できるなど、テクノロジーの進化によって、その方法は多様化している。

しかし、その根本にある考え方は、それほど昔と変わらない。実は、明治から昭和にかけて活躍した「本多静六 (ほんだ・せいろく) 」という人物は、その考え方を忠実に実行し、巨万の富を築いた。お金について真剣に考えるなら、普遍的な「お金の思想」そのものを身につけることが重要だ。

今回は、本多静六の生き様について説明するとともに、その蓄財術の思想を紹介したい。

明治神宮や日比谷公園を設計した「公園の父」本多静六

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(写真=PIXTA)

本多静六 (1866~1952) は、明治期から第二次大戦前後にかけて活躍した林学博士であり、造園家である。今では投資家としての側面が有名になったが、経済学・経営学の研究者や企業経営者ではない。

本多静六は東京の日比谷公園や明治神宮をはじめ、北海道の大沼公園や福岡県の大濠公園など、全国の大規模公園の設計に携わった。東京帝国大学農科大学 (現在の東京大学農学部) の教授を長年務め、近代日本の林学の発展に貢献した。日本の「公園の父」と称され、その名をとどろかす偉大な研究者の一人だ。

貧乏少年から巨万の富を築いた本多静六の蓄財術

そんな本多静六は、幼少期に父を亡くし、青年期までは苦しい生活を余儀なくされた。苦学を続けて大学を首席で卒業したものの、「何とか貧乏から脱出しなければ……」という思いから節約と貯蓄、資産運用に励むようになる。

その蓄財術を象徴する言葉が「四分の一天引き貯金法」だろう。これは給料の25%を貯蓄し、残りの75%で生活するというものである。また、ボーナスのような臨時収入は全て貯蓄する。定期収入の25%を貯蓄するということは、さらに限られた予算の中で生計をやりくりしないといけない。本多家では、靴下や重ね着のシャツには継ぎを当てて使用するなど、モノやお金を無駄にしない生活を長く続けていたという。

上記の貯金法を続けていくと、そのうち貯金がある程度の額になってくる。本多静六は、これを元手として株式、不動産に幅広く分散投資することを勧めている。この方法は元々、ドイツ留学時の恩師ブレンタノ教授の教えに基づいたものだ。本多静六は著書で、ブレンタノ教授から「財産を作ることの根幹は、やはり勤倹貯蓄だ。その貯蓄がある程度の額に達したら、他の有利な事業に投資するがよい」と言われたと記している。

実際に、本多静六は、日本の株式や不動産に分散投資を行った。もちろん「四分の一天引き貯蓄法」は続けていったので、一定期間経つと、新たな資金が貯まる。それを再び株式や不動産に分散投資していった。投資思想は、社会情勢を鑑みて「好景気時代には勤倹貯蓄、不景気時代には思い切った投資」というものである。

日清・日露戦争後の好景気の波にも乗って資産規模は急増し、40歳の頃には大学からもたらされる給与収入より、貯金の利子や株式配当の方が多くなったそうだ。大学を退官する頃には、現在の資産価値で約100億円前後の財産を所有するに至った。

蓄財術は極めてシンプル

このように、本多静六の蓄財術は極めてシンプルであるが「勤倹貯蓄」「分散投資」「長期投資」「複利効果」といった資産運用の重要な部分をしっかり押さえている。だからからこそ平成の世でも決して古びていない。

もちろん、本多静六が莫大な資産を形成するに至ったのは、彼が大学教授という比較的高給を得られる職に就いたことや、明治~大正期のインフレにうまくはまった面もあるだろう。特に、安値で購入した各地の不動産の価値が、日本の経済成長に伴って大きく上昇したことは大きかった。

だが、貧乏少年から巨万の富を築いたことは事実だ。そうした「運」の部分だけを強調するのはあまりフェアではない。現代に生きる私たちも「四分の一天引き貯金法」や「好景気時代には勤倹貯蓄、不景気時代には思い切った投資」などの考え方は参考になるはずだ。(提供:大和ネクスト銀行

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