目次

  1. 低価格を武器に、大手の営業が手薄な海外や地方都市を攻めて販売を拡大
  2. 2014、2015年の停滞期を経て急成長
  3. 超積極経営がすべて成功 奇跡的な成功を何度も繰り返す会社
  4. 株価の面からいえば割安水準 李書福会長の経営手腕を信じる

吉利汽車(00175、香港メインボード)は李書福会長が率いる吉利控股集団の中核傘下企業であり、主に「吉利」ブランド車のセダン、SUVを製造販売している。

李書福会長は1963年生まれ。浙江省台州市の出身である。若い頃は冷蔵庫の部品から始めて冷蔵庫や内装建材などを手掛け、1993年にはバイク製造に転身、1997年には潰れかけた自動車会社を1400万元で買収。これが吉利控股集団の実質的な前身となった。以下は親会社である吉利控股集団の発展の状況である。

図1

低価格を武器に、大手の営業が手薄な海外や地方都市を攻めて販売を拡大

創業当時の中国は、自動車産業を国家の基幹産業に育てようと考えており、産業を保護、育成するために、三大三小二微政策を実施していた。第一汽車、東風汽車、上海汽車など三つの大型車メーカー、北京ジープ汽車、広州プジョー汽車、天津微型汽車など3つの小型車メーカー、長安機器製造、貴州航空工業など2つの軽自動車メーカーに製造を制限し、これらの企業に対してだけ、外資との合弁プロジェクトを認めるといった政策が取られていた。

同社はこうした国家戦略からは大きく外れており、他の零細メーカー同様、淘汰されるか吸収されるかしか道がなかったはずである。そうした逆境の中から、価格の安さを武器に、農道を走るような自動車で市場を開拓するところから始め、逆境から這い上がっている。

2001年のWTO加盟を契機に国家の自動車産業政策は、なし崩し的に自由化、国際化を余儀なくされた。それによって、公平な競争がある程度保障されるようになると、低価格を武器にして、大手の営業が手薄な海外や、地方都市を中心に、販売を拡大させていった。

2006年にはイギリスの黒塗りタクシーの製造で有名なマンガニーズ・ブロンズ社に資本参加、その後、株式を買い増し、子会社化している。

2010年にはフォードからスウェーデンのボルボを買収、これによって一躍世界から注目される企業となった。買収金額は破格の安さと言われたものの、18億ドル(122億元相当、1ドル=6.8元で計算)で、2010年12月期の純利益は14億元、純資産は91億元、総資産でも125億元に過ぎないは中堅の自動車メーカーである同社にとって、負担は大きかった。(これらのデータは親会社ではなく、同社の決算状況)。しかし、2014年、2015年の危機を乗り切ると、低価格路線からボルボブランド、技術導入による高級化路線へとシフト、折からのSUVブームに乗り、業績を急拡大させた。

2017年にはマレーシアのプロトン、イギリスのロータス社に出資。2018年にはメルセデス・ベンツの発行済み株式総数の9.69%を取得、筆頭株主に躍り出ている。同社は強烈な積極経営によって快進撃を続ける異端の民営企業である。

2014、2015年の停滞期を経て急成長