2018年の大河ドラマは、明治維新で活躍した西郷隆盛が主人公だ。そんな西郷隆盛と日本銀行には、実は関連があることをご存知だろうか。西郷隆盛が指導した西南戦争によるインフレーション (インフレ) が日本銀行の設立に関わっているからだ。明治初期の通貨制度と日本銀行が誕生するまでを振り返る。
日本銀行ができるまで、どのように貨幣を管理していたの ?
中央銀行 (日本銀行) の設立は、1882年 (明治15年) である。それまで、日本ではどのような通貨制度だったのかを簡単に説明する。
明治政府が始まったころ、政府には通貨制度を整備するゆとりがなかった。民衆は以前から使っていた金銀銭貨や藩札をそのまま使い、政府も「太政官札」や「民部省札」と呼ばれる不換紙幣を発行していた。不換紙幣とは、金や銀との交換 (兌換) が前提とされていた兌換紙幣と異なり、発行体の信用を基礎にした紙幣のことだ。そのため、紙幣を生産するのに兌換紙幣ほどの費用がかからない。
政府は、1871年 (同4年) に通貨制度の統一を目指して新貨条例を制定した。金を貨幣価値の裏付けとする「金本位制」を採用し、単位も両から円になり、十進法になった。実際には、外国との貿易のために銀貨を使っていたので、金銀複本位制であったとも言える。
1872年 (同5年) に、国立銀行条例を公布、1876年には改定され、全国に153の「国立銀行」という名前の民間銀行が設立された。一定の発行条件下で不換紙幣の発行も認められ、いくつもの国立銀行紙幣が発行された。
この国立銀行は、国から認可された銀行が一定の条件下でそれぞれ通貨発行権を持つというアメリカのナショナルバンクを基にした制度だ。ナショナルには「国立」という意味がある。「国民が設立した銀行」という意味であるため、民間銀行にも関わらず「国立銀行」という名称が付いていた。
1882年 (同15年) に日本の中央銀行である日本銀行が設立される。1885年 (同18年) には、銀の兌換紙幣として日本銀行券が発行された。この時期の日本銀行券は、今のような不換貨幣ではなく、銀貨と引き換えできる券だった。その後、1899年 (同32年) に国立銀行紙幣と政府紙幣は使えなくなり、日本の紙幣は、日本銀行券に統一された。
西南戦争によるインフレの解決策とは ?
日本銀行の設立と西郷隆盛の間に関係が生まれたきっかけは1877年 (同10年) に起こった西南戦争だ。上記の通り1877年は、国立銀行条例によって全国に多くの国立銀行ができ、それぞれが不換紙幣を発行し始めた時期であった。
財政的基盤がしっかりと固まっていなかった政府は、西南戦争の費用を調達するために、大量の不換政府紙幣や不換国立銀行紙幣を発行し続けた。前述のように、不換紙幣であれば紙幣の裏付けとなる金や銀を用意する必要がなく、増刷が容易だからだ。
しかし、一般的に紙幣増刷にはお金の価値が相対的に低下するインフレが伴う。さらに財政的基盤のない政府が発行する政府紙幣、乱立する国立銀行が発行する国立銀行紙幣ともに強固な信用力があったとは言い難く、激しいインフレが発生した。このインフレを解消するため、1881年 (同14年) に大蔵卿の松方正義がデフレ誘導の財政政策、いわゆる「松方デフレ (松方財政) 」を行った。
松方デフレでは、緊縮財政を行うと共に、不換紙幣の回収・整理に着手した。銀行券 (お金) は多数の発行体から発行されるより、一元的な管理によって通貨価値の安定を図るべきだと再認識されたのだ。それによって、日本銀行が生まれ、日本銀行が一元管理する日本銀行券が誕生した。
設立の影に偉人あり ?
このように振り返ってみると、日本の通貨の近代化と中央銀行 (日本銀行) の設立が、西郷隆盛や西南戦争と関係しており、今は普通になっている通貨制度の基礎が明治時代にできたことが分かる。
日本人にとって馴染みのある歴史上の偉人と、意外なものの設立が関連していることもある。興味があるものの歴史を調べてみてはどうだろうか。思わぬ発見があるかもしれない。(提供:大和ネクスト銀行)
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