(本記事は、ジョージ・S氏の著書『MINE』冬至書房、2018年4月26日刊の中から一部を抜粋・編集しています)

SF映画に「お金」が出てこない本当の理由

MINE
(画像=Faiz Zaki / Shutterstock.com)

僕はあまり映画は見ないほうです。映画を作りたいとは思っています。ただ『ブレードランナー』は、よく観ました。

父のお気に入りだからです。

この映画でハリソン・フォードが屋台でソバかなにかを食べるシーンがありますが、あのとき彼は、ソバを差し出す日本人としか思えないソバ屋の親父に、何か手渡してるような渡してないような?もう一度、あのシーンだけズームインしてよく見てみたい気がしています。

もしハリソン・フォードが手渡しでお金を払っていたとしたら、どんなお金・貨幣・通貨だったのか、ぜひ知りたいと思いませんか?

何せこの映画の時代設定は、西暦2019年なので。

ソバ屋の代金はとりあえず忘れることにして、SF映画には「お金」は出てこない、というのは本当でしょうか?

映画に詳しい方は、SFに限った話じゃない、オードリー・ヘップバーンとか、吉永小百合とかが、札束数えてたり、小銭じゃらじゃらしてたら様にならないからですよ、世知辛い世の中を忘れるために映画見るんだからと言うでしょう。

たぶんこの人は僕の父よりも年上です。

しかしたしかに「お金」は絵にならない、スマートじゃないと感じているところは一般にどこかにあると思います。なんだか「めんどくさい」ものと思えることはあります。

この「お金」というか貨幣、小銭や紙幣には、そういう面倒なものを感じさせる何かがあるのは確かでしょう。

だから同じ映画でも、銀行強盗ものの金庫破りや、ギャング映画では、逆にドル札の山がこれでもかというくらい大写しになったりするのではないかと。

日本でも2017年の10月に劇場公開された『ブレードランナー2049』という映画でオープンカフェのような場所に設置された自動販売機が出てくるシーンがあります。

「ラーメン」とか「コーラ」とか食べ物や飲み物のパネル表示が並んでるところは、現代の自販機の風景と、ほとんど同じに見えます。しかし、今と大きく異なり、いかにも近未来的なのはコインの投入口が見当たらないことです。

自販機の利用者は、ほしい商品のパネルに手のひらを当てるだけ。すると取り出し口にペットボトルとか缶とかカップが落ちてくる。

一種の生体認証ですが、おそらくその背後で、未来のお金の仕組みを動かすエンジンが動いているのだろうと想像させてくれるシーンでした。

すでに「キャッシュレス」という言葉だけは使われています。

しかしこの映画が描くような世界こそ、完全な「キャッシュレス」世界です。

「キャッシュで払いますか」「カードにしますか」という選択肢はありません。 それどころか、MINEカードのようなカードさえ存在していません。

このシーンを見るかぎり、西暦2049年にはもう「お金」、と言っても財布に入れて持ち歩くコインやお札は、完全に消えています。

サトシ・ナカモトの2008年の論文Bitcoin:A Peer-to-Peer Electronic Cash System も、キーワードはタイトルからはっきりわかるように、Electronic Cash「電子現金」、デジタル化された「キャッシュ」です。

エレクトロニックとデジタルの違いとか、言葉を気にし始めるときりがないのですが、すくなくともサトシペーパーのどこにも仮想通貨という語は見当たらず、ただシンプルに『ブレードランナー2049』が描くような、キャッシュ(現金)を持ち歩かなくてすむ「キャッシュレス」な世界を作りたかったのではないかと思います。

そしてこの発想を受け継いで「買い物」という「お金」の介在する「契約」からさらにその範囲を拡張してさまざまな「手続き」にまで応用範囲を広げているのが、イーサリアムのSmart Contract の「スマート」だろうと考えています。

「スマート」と「自動化」は密接にリンクしています。

「マイニング経済圏」というのは、このリンクを技術の面から見ると「オートメーション化された」世界です。

MINE
ジョージ・S(George S)
1984年、東京に生まれる。2歳のとき総合商社技術部門で重責を担う父の海外赴任に伴いフィリピンに移住。父の影響で幼少のころからプログラミング言語に親しみC言語の手ほどきを受ける。当地の高校3年生(フィリピンの高校は6年制で日本の中学3年生に相当)の時、SNSのプログラムを書きウェブ上に実装、注目される。イーサリアムを使う開発コミュニティ、エンジニアチームのリーダー的存在だが発案者、ビジョニストの立場を守り表に出ることはほとんどない。 ※画像をクリックするとAmazonに飛びます