(本記事は、ジョージ・S氏の著書『MINE』冬至書房、2018年4月26日刊の中から一部を抜粋・編集しています)

100年の時を超えて語り継がれる自動化の夢物語

MINE
(画像=Seksan 99 / Shutterstock.com)

現在、カード型のデビットカードやクレジットカード、スイカやICOCA、PASMO、さまざまな店舗のポイントカード、アマゾンや楽天市場などネットショップのポイントなどあらゆるものがあります。

それらが、どう便利なのか、そして、どういう仕組みで便利なのか、不満足が残るのはどんなところかを、総ざらいしていくと、はっきり実感できているということがわかってきます。

いまあるデビットカードやクレジットカード、スイカやICOCA、PASMOなどの利便性は、部分的には少し未来の《マイニング経済圏》でのスマートさの経験、ユーザエクスペリエリンスとしては、ほとんど変わらないはずなのです。

しかし、その便利さは「電子マネー」としてもっとできるはずのことが、チャージされているのが法定通貨であるために、電子だからできるはずのことを、まだまだやり残してしまっています。

いま現在の貨幣にくらべれば圧倒的に便利になるはずの電子マネーへの移行は、遅々として進んでいません。

むしろ貨幣というものを造ってしまったがために、電子マネーへの移行がむずかしくなってしまった、と言いたくなるほどです。

それでも、ただ「便利」であるからという理由で、仮想通貨の利便性をユーザエクスペリエンスすることになる予告的なサービスが、すでにこれだけあるということを時代を追ってみておきたいと思います。

すべて日本で使われてきた、いま現在もさかんに使われているものばかりです。世界史的なエピソードも含めて登場順に並べています。

・1961年 クレジットカード

クレジットというのは「貸し方」という意味ですが、これがカードとして普及し始めるのは、さすがアメリカが早く、150年の歴史があります。

日本では富士銀行(現:みずほ銀行)と日本交通公社(現:ジェイティービー)が日本ダイナースクラブ(シティコープダイナースクラブジャパンを経てシティカードジャパンに分割)を設立しJCBとほぼ同時期にサービスを開始しました。1961年のことです。

1970年代に入って丸井、高島屋など百貨店系のクレジットカードが登場していきます。

・1969年 ATM銀行カード

『銀行ATMの歴史』によると、1967年に紙製の小切手スタイルのカードによるCD(キャッシュディスペンサーがイギリスのバークレーズ銀行ロンドン支店に設置されています。これが世界初のATMの原型です。

1970年には、日本でも同型のディスペンサーが三井銀行東京数寄屋橋支店に設置。磁気カード式のものでは、1968年に米国ニューヨークのケミカル銀行に設置。

日本で磁気ストライプ付のプラスティックカード、いわゆるキャッシュカードが導入されたのは、1969年住友銀行が最初です。

この頃から、「仕送り」も現金書留ではなく、銀行口座から銀行口座への送金に変わっていき、お父さんの給料も振り込みになり、ATMから引き出すスタイルが定着していきます。

・1982年 テレホンカード

僕はテレホンカードが、ポイントカードとならんでサトシ・ナカモトのElecitronic Cashの利便性にもっとも近いユーザエクスペリエンスを提供していたと思っています。

テレホンカードは日本では1982年(昭和57年)12月に、旧日本電信電話公社(電電公社)が発行・発売を開始し、テレホンカード対応の公衆電話は首都圏から全国に普及していきました。

カードなので小銭が不要であり、1度数(10円)単位で引き落とされるためムダがなく、長時間通話でも硬貨を投入し続ける必要がないという、かなり未来的なカードでスマートコントラクトの「スマート」を体現するものの1つではないかと思います。

・1989年 ポイントカード

これは仮想通貨が実現する利便性にとって、誰もが身近に利用しているカードとして重要です。

今さら説明の必要はないかもしれませんが、正確には「ポイントプログラム」がカードの形をとったものです。

ポイントプログラムまたはポイントサービスと呼ばれるもので、「各種の商品・役務の購入金額あるいは来店回数などに応じて、一定の条件で計算された点数(ポイント)を顧客に与えるサービス」です。

顧客は、ポイントを次回以降の購入代金の一部に充当したり、商品と交換することができるのはみなさんご存じのとおり。

これをカードの形態で初めて導入したのは、日本ではヨドバシカメラとされています。1989年のことです。

「ベルマーク」もポイントプログラムの一種だったのです。

MINE
ジョージ・S(George S)
1984年、東京に生まれる。2歳のとき総合商社技術部門で重責を担う父の海外赴任に伴いフィリピンに移住。父の影響で幼少のころからプログラミング言語に親しみC言語の手ほどきを受ける。当地の高校3年生(フィリピンの高校は6年制で日本の中学3年生に相当)の時、SNSのプログラムを書きウェブ上に実装、注目される。イーサリアムを使う開発コミュニティ、エンジニアチームのリーダー的存在だが発案者、ビジョニストの立場を守り表に出ることはほとんどない。 ※画像をクリックするとAmazonに飛びます