人手不足がより強まっている。教科書的には、これが賃金上昇のエネルギーになると理解されるが、実情は少し違う。生産性が上がらないから、人手を集められない職種があることや、人材投資が長く手控えられてきた結果、技能労働者が手薄になってきたという事情である。日本的雇用は、短期養成・短期報酬還元の人材育成のパイプを太くしていくことになろう。

サービスの低生産性

 最近は、相変わらず、内需不振なのに、人手不足が進んでいる。教科書的な解釈に沿えば、人手不足によって賃金上昇が起こるとされるが、どうも事情は違っているようだ。

 2つのグラフを参照して、人手不足が必ずしも賃上げに結び付きそうにないメカニズムをお伝えしたい。まず、人手不足の状況である(図表1)。日銀短観9月調査では、雇用判断DI が前回よりも「不足」超の方向へと強まった。業種別に、「不足」超幅が大きい順にリストアップすると、最も人手不足に苦しんでいるのが、宿泊・飲食サービス業であることがわかる。次が、対個人サービス、そして対事業サービスと続く。

デフレだから人手不足になる
(画像=第一生命経済研究所)

 一方、人手不足感が強いサービス産業の就業者1人当たりの生産性について調べて、その順位を並べてみた(図表2)。すると、労働生産性が特に低いのは、飲食店や対個人サービス(洗濯・理容・美容)となっていた。この関係は、労働生産性の低いサービス業種ほど、人手不足感が強いというものである。この関係を解釈すると、人手不足を解決するために賃金水準を引き上げればよいが、現状労働生産性が低すぎて、賃金水準を上げるに上げられないということだろう。なぜ、人手不足なのかと言えば、労働生産性が低水準なので、企業が提示できる賃金もまた低くなり、人が集まりにくいからである。

デフレだから人手不足になる
(画像=第一生命経済研究所)

 多くの人が、人手不足になれば賃金は上がると考えるのだが、かなり広範囲の分野において因果関係は逆になっていて、低賃金だから、人が集められないという図式が成り立っている。問題の本質は、そうしたサービス産業で事業者にはほとんど儲けがないために、賃上げもままならないという構造である。

社会保障は強い需要を生み出せない

 人手不足ならば、賃上げを実行すれば済むという意見はあろう。もしも、飲食・宿泊や個人サービスで賃上げを強制的に行えば、消費者に提示するサービス料金もまた引き上げられるだろう。直感的に、それは困ると考える事業者は多いはずだ。なぜならば、値上げをすると、消費者が逃げてしまい、収益を失うと感じているからだ。消費者の需要はまだ弱いのである。

 こうした論法について、賃上げをすれば需要は付いてくる、賃上げをしないから需要が付いてこない。最低賃金はもっと積極的に上げるべきだと反論する人も居るだろう。しかし、需要(消費者)の中には、賃上げとは距離の遠い年金生活者が居る。彼らは、公的年金や医療給付など社会保障を通じて需要の大方が決まってくる人々である。すでに家計消費の半分程度が世帯主60 歳以上のシニア世帯が占めており、彼らの需要は財政再建の下で成長が制約されている。

 日銀の黒田総裁が円安を軸にして2%の物価上昇を演出したが、うまく行かなかったことも同根の問題である。公的支出に支えられたシニア消費は、たとえコスト・プッシュ作用を強めたとしても、それに連続して消費拡大には向かわない。いくらインフレ予想を人為的に高めようとしても、シニア世帯の消費意欲は買い急ぎには向かわないのも同様の理屈である。

 人手不足の背景に、価格メカニズムが公的にコントロールされていて、需給を反映しなくなっている分野は、建設、医療、介護などほかにもある。生活者が公的サービス価格の値上がりを嫌がるので、それが関連する人件費の下押し圧力になって、賃上げを許さない。言い換えると、財政再建がデフレ圧力になって、働き手の低報酬、そして人手不足の一因になっている。

人材不足の原因

 人手不足は、サービス業種と並んで技能労働者でも深刻である。この中には、医療関連も多く含まれるが、ソフトウェアや情報通信分野なども多い。もっと広範囲に、特定分野に精通した知識労働者、専門職を含めて不足と言ってよいだろう。要するに、長い経験を経て、特定スキルを身に付けた人材が応募しても中々集まらなくなっている。中小企業でベテランが引退した後、後継の人材を養成しようとしても、適当な人材が採れないことも似た現象である。

 なぜ、技術労働者が採れないかと言えば、新規供給が乏しいことがある。かつてのように大企業が新卒を大量採用して育てないから、人材の層が厚みを維持できなくなってきた。また、そこから中小企業へと転職していく人数も限られてくる。

 大企業が技術労働者の内部養成を以前ほどは熱心にしなくなってきたことが背景にある。新卒採用は一頃に比べて枠が広がったと言われるが、一方で選別も厳しくなったと言われる。企業サイドからすれば、育成コストを増やしたくないから、優秀とみられる新卒者だけを厳しく選抜する。昔に比べて、若手正社員は短い年数で能力発揮を求められるという。90 年代までは大企業にまだ余裕があって広く内部養成を施していた。社内に教育された若年人材がプールされていて、年数をかけて内部昇進するとともに能力発揮を求められた。そうしたキャリア形成のパイプは近年、細くなってしまっている。

 日本的雇用は、人材の内部養成により企業内に蓄積されるスキル(人的資本)を厚くすることが強みだと言われた。2000 年代以降は、非正規化が進み、この日本的雇用の強みとされた特質は過去のものとなりつつある。企業がコストをかけて人材を育てなくなった傾向は、非正規化と同根である。わかりやすく言えば、「正社員を増やせ」と表現される言葉の意味は、雇用者にもっと長期間の教育投資をかけて、スキルを有して賃金の高い社員を育成して欲しいと訴えているのと等しい。一方、企業は育成コストをかける余裕を十分に持っていないので、正社員を昔のようには増やさない。だから、表面的に非正規労働をルールで禁じても何も成果が生まれない。非正規に似た正社員を代わりに生み出すだけである。

 技能労働者の不足感や止まらない非正規化の流れの背景には、幅広い対象に人的投資(人件費コスト)をかけないという企業のデフレ的姿勢があるだろう。

雇用改革の視点

 最近、「人材」への関心が高まっている。第四次産業革命が唱えられ、技術革新を担う人材が経済成長を牽引していくという脈絡からなのだろう。しかし、日本企業では「人材」に支払う対価は海外企業に比べて僅かだと言われる。AIを研究する学者は、日本の若手研究者に支払う年間給与はせいぜい500 万円であり、競争相手の海外企業との間で強烈な格差があると語っていた。日本企業では長期雇用を前提として、賃金体系の序列が年功を柱にして決まっていることが多い。そうなると、海外との人材獲得競争で応しい待遇を提示しにくい。「グローバル人材」なる新語がもてはやされるのに、その人材への対価はグローバル・スタンダードを外れているという皮肉である。

 その序列を変えられない一因として、序列のトップに居る経営者の報酬の問題がある。日本人経営者は、欧米経営者並みの報酬を得てはいけないという不文律のようなものがある。従って、いびつな状態として、グループ企業の海外子会社の外国人トップが、日本人のCEOよりも何倍もの報酬を得ているという、笑うに笑えない話になる。そうした集団的規範が確立すると、組織内序列の下の方に位置する高度人材も、報酬が高まらないことになる。人材不足によって賃金上昇が促されるという可能性は、目に見えないガラスの天井にぶち当たる。

 思考実験として、高度人材には、短期間の成果に応じて高報酬を配分するようにしたと考えよう。すると、海外企業との間での人材獲得は有利になる。反面、そうした人材が目先の成果を出せなくなると報酬は切り下げられる。すると、人材はより高い報酬を求めて、他社に転職していく。結果的に労働市場は流動化する。この状態では、日本的雇用が部分的に長期雇用を諦めるということになる。長い内部養成のコストを、後々、時間をかけて回収するというシステムが成り立ちにくい点で、人材育成を考え直すことになるだろう。おそらく、落とし所は、部分的に日本企業も、需給によって高度人材を遇していかざるを得ないと言ったところだろう。

 以上の論点をまとめると、人手不足・人材不足だから賃金が今後上がっていくだろうという展望にはならず、雇用改革を進めながら隠れた低生産性の環境を是正しなければ、供給面での需給ミスマッチは治せない。わが国の人手不足・人材不足は構造改革に時間をかけてゆっくりとした解決法を継続する限り、ストレスがたまり続けることであろう。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 経済調査部
担当 熊野英生