あまりに親切なフィジー人に魅せられる

学校を卒業後、親の会社で働いたり、仲間と起業してビジネスを始めたりした谷口氏だったが、仕事は楽しいものではなかったという。そんな中、フィジーと出合ったきっかけは、「運転免許証を取るため」という意外なものだった。

「当時、フィジーなら旅行者でも運転免許証を取れると知り、そのために渡航したのですが、フィジーの運転免許センターで申請を待っていると、そこで出会った親切なおじさんから『暇なら家に遊びに来ないか?』と誘われました。そうしておじさんの家で夕食をご馳走になっていると、今度はその家に来ていたおばさんから誘われ、翌日はそのおばさんの家で昼食をご馳走になることに。

そんなことが繰り返され、ほぼ1週間、ほとんどお金を使うことなく過ごすことになったのです。しかもその間、ずっと笑って過ごしていました」

当時、日本での仕事に疲れてしまっていた谷口氏は、すっかりフィジーに魅せられた。そこで、なんとかフィジーでビジネスができないか、模索を始めた。

「いろいろ調べているうちに、ある問題が見えてきました。フィジーは少子化が進んでおり、学校の校舎の半分が使われなくなっていたのです。さらに、子供の数が少ないため、大学を卒業して教員の免許を取っても働き口がない人が大勢いるという問題もありました。

一方、フィジーの公用語は英語。しかも先ほどご紹介したとおり、非常にフレンドリーな人ばかりです。余っている校舎や働き口のない人々を活用することで語学学校ができるのではないか。そう考えたのです」

そこで谷口氏はフィジー政府と交渉し、使われなくなっている教室を安く借り上げることに成功。2004年、仕事のない先生たちを雇用し、日本人の学生を中心に非英語圏の留学生たちに英語を教える語学学校をスタートした。

「スタート直後から人気で、2年後には2校目を開設。気が付けば世界で2番目に大きな語学学校になっていました。格安の授業料が支持されたことはもちろんですが、フィジー人たちの温かいホスピタリティーのおかげで、学生たちの英語力が予想以上に伸びたことが評価されたのだと思います」

人員整理の危機を乗り越えた「裏ワザ」

アスペルガー,谷口浩
授業風景。英語を公用語とし、かつフレンドリーなフィジー人の授業に対する評価は高い。(画像=THE21オンライン)

2007年、日本で開催されたベンチャービジネスの大会でプレゼンを行なうと、投資家から増資の話が殺到。上場も視野に入り、ビジネスは順風満帆に進むかに見えた。だが、そこでリーマンショックに直面。学生数は急激に落ち込み、社員の人員整理の話も出た。

「それでも、僕は『諦める』ことができません。どうしても社員の首を切りたくなかった。そこでいろいろ考えた結果、『社員に無料でフィジー留学してもらうことで、景気が回復するまで待機してもらう』という方法を思いついたのです。これなら社員を首にせずに済み、かつ、無為に過ごしてもらうこともなくなります。

すると、その話をどこかで耳にした某大手商社の人事部から問い合わせが入ったのです。その会社では景気の悪化で50名ほどの大学生が内定切りを迫られていたのですが、それはさすがに忍びない。そこで同様に、フィジーで1年間ほど英語を勉強させながら、待機させておきたいという話でした。

この商談がきっかけで流れは一変。こうして、一度は身売りさえ考えた会社はV字回復を果たしたのです」