カニバリゼーションを恐れず、トップランナーを目指す

古森重隆,佐藤英志,対談
(画像=THE21オンライン)

「本業消失」という非常事態の中、化粧品や医薬品など新たな分野へ果敢に挑戦し、見事、V字回復を成し遂げた富士フイルム。それをモデルにしたノンフィクション小説『奇跡の改革』が、この1月に発刊される。発刊を前に、トップとしてそのV字回復を成し遂げた富士フイルムホールディングス代表取締役会長・CEOの古森重隆氏と、『奇跡の改革』著者の江上剛氏との対談が実現。「前代未聞」の挑戦の裏にあった思いとは?(取材・構成:杉山直隆、写真撮影:遠藤宏)

「自分たちがやらなければ、他の人がやるだけだ」

江上 本作は御社をモデルに書かせていただいた作品です。現実でも、富士フイルムは2000年頃から、デジタルカメラの普及によって、売上の約6割を占めていた写真フィルムの市場が急速に縮小するという、未曾有の危機に見舞われました。当事者の危機感は、小説の表現以上のことだったと思います。

古森 そうですね。ただ、突然、危機的な状況が襲いかかってきたわけではありません。かなり以前から、デジタルカメラの登場によって、写真フィルムの需要が縮小することは、わかっていたことです。我が社は、1976年に世界初の高感度カラーフィルム「F-Ⅱ400」を開発し、フィルムの性能と品質では世界一を自負していましたが、一方で、デジタル化の進展によって、我々の存在が根源から揺さぶられることも自覚していました。

そこで、フィルムを開発する一方で、デジタルカメラに関しても、1970年代から研究を始めていました。1988年に、世界初のフルデジタルカメラである「DS―1P」を開発。また、デジタルカメラだけでなく、レントゲン写真や印刷技術などのデジタル化も進めていました。

江上 他のフィルムメーカーがカニバリゼーション(自社製品同士が共食いし、売上を奪い合うこと)を恐れて、デジタルカメラの開発を躊躇したのとは対照的に、動き出しが早かったのですね。

古森 確かにそうですが、自分たちがやらなければ、他の人がやるだけです。どうせ誰かがやるのならば、自分たちが挑戦し、トップランナーになったほうが良い。そんな考えが社内にありました。

デジタルカメラの品質やコストはなかなかフィルムに追いつけませんでしたが、1998年に我々が開発した150万画素の「Finepix700」は、数万円の価格で初めて銀塩フィルムに匹敵した画質を持ったコンパクトデジタルカメラで、これがデジタルカメラ市場の火付け役となりました。撮像素子であるCCDを自社開発するなど、早くからデジタルカメラの開発を進めてきたことで、我々はそこから数年は、世界のデジタルカメラ市場で約30%のシェアを持つというリーディングカンパニーでした。