「職住近接」「都心回帰」が住宅選びのキーワードになる中、人気を集めているのが江東区の豊洲だ。「湾岸エリア」と呼ばれる一帯にはタワーマンションが建ち並び、この少子化の時代に付近の小学校はパンク状態ともいわれる。また、豊洲市場や隣接する飲食店、物販スペース「にぎわい施設」の開業など、話題に事欠かないエリアでもあるのだ。今回は、そんな豊洲エリアの過去・現在・未来を見ていこう。

関東大震災後に誕生した豊洲、刻々と移り変わる町並み

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(写真=whitemt/Shutterstock.com)

豊洲の歴史は、1923年(大正12年)の関東大震災にさかのぼる。豊洲は、関東大震災で発生した大量のがれきを埋め立てて作られた街なのだ。このエリアが豊かな土地になることを祈って「豊洲」と名付けられた。

その後、豊洲は主に工業地帯として発展していく。石川島播磨重工業(現IHI)の造船工場や東京ガス豊洲工場、東京電力新東京火力発電所などが作られ、そこで働く人々の社宅なども整備された。
実は、日本初のコンビニエンスストアとして、「セブン―イレブン」の1号店が開業したのも豊洲なのだ。

1988年(昭和63年)6月に地下鉄有楽町線が延伸し銀座などの繁華街に直結すると、オフィスビルや商業施設、マンションの建設ラッシュが始まり、「生活エリア」として豊洲の町並みは変貌する。

2002年に造船所が閉鎖になると、ドック跡地を使った再開発プロジェクトが始動。2006年には「アーバンドック ららぽーと豊洲」などの大型複合商業施設や高層マンションが誕生した。同年には、新交通ゆりかもめの有明~豊洲間も開通している。
そして、2018年10月には築地市場が83年の歴史に幕を下ろし、2年遅れで豊洲に移転した。

観光地化する豊洲、外国人客も続々訪問

昨今、豊洲というとタワーマンションの集積地として話題に上ることが多いが、観光地としても今後は注目を集めそうだ。

まずは昨年10月の豊洲市場の開業。日本の台所として世界に名をはせる築地市場の後継となった豊洲市場だが、引き続き一般客の見学も受け入れている。外国人観光客に人気のマグロの競りも見学可能だ。ただし、築地市場と違って、競りに参加する業者と見学者は完全にエリアを区切られている。築地市場から一部の飲食店も移転した。すしを楽しむ観光客も今後増加しそうだ。

また、東京都は4月上旬、豊洲市場に隣接して開業を予定している観光拠点「千客万来施設」の完成までの暫定施設「にぎわい施設」を2020年1月に開業する。千客万来施設に隣接する5街区にまたがる平屋造りの建物で、飲食、物販、イベント開催をメインとした「和」の空間で、食べ歩きや買い物が楽しめるようになるという。2023年開業予定の千客万来施設については、日帰り温泉などを運営する万葉倶楽部が運営者として決定している。

東京五輪後、湾岸エリアにマンションの大量供給

豊洲にもほど近い晴海エリアには、来年に迫った東京五輪の選手村が建設される。その跡地は、デベロッパー大手11社が参画し、大規模なマンション群として再開発される計画だ。

豊洲をはじめとする湾岸エリアでは、今後も大量のマンション供給が予定されている。住宅のストック数が積み上がることで、新築・中古ともに売買のチャンスは増えそうだ。
人気のエリアとはいえ、今後、大量供給されるマンションの中には最寄り駅から遠い立地のものも出てくる。住宅地としての湾岸エリアの強みは、都心にある職場への交通の便の良さであり、高収入の若年層や共働きのパワーカップルなどが主な購買層だ。それが、駅から遠いとなるとターゲットが限られてくる。大量供給で在庫が積み上がる中で実需向けの売買価格・賃料を維持するには、交通の便の改善が課題になりそうだ。

豊洲の未来はさらなる変貌をとげる

海を埋め立てて誕生した豊洲は、工業地帯から住宅地、さらに商業地・観光地へと長年にわたってその町並みを変えてきた。豊洲市場の開業と東京五輪の開催というエポックメイキング的な出来事を経て、豊洲の未来はさらなる変貌を遂げるだろう。(提供:百計ONLINE

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