(本記事は、安達裕哉氏の著書『すぐ「決めつける」バカ、まず「受けとめる」知的な人』=日本実業出版社、2019年2月10日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

無能にペナルティを課しても、無能は組織からなくならない。では、どうするか。

 すぐ「決めつける」バカ、まず「受けとめる」知的な人
(画像=『 すぐ「決めつける」バカ、まず「受けとめる」知的な人』※クリックするとAmazonに飛びます)

いろいろな会社で仕事をしていると、「ケアレスミスをする人」「同じミスを繰り返す人」にけっこうな割合で遭遇する。

やれるのにやらない、わかっていてもできない、大事なことを忘れる、そのような行動を繰り返す彼らにつけられる名前は、無慈悲そのものだ。すなわち、「無能」である。

無能にペナルティを課しても、無能は組織からなくならない

そして、世間は「無能」には極めて厳しい。ハーバード大学公衆衛生学部の教授、のアトゥール・ガワンデは『アナタはなぜチェックリストを使わないのか?』で、次のように表現する。

私たちは、そのような「無能」の失敗に対しては感情的になってしまいがちだ。「無知」による失敗は許せる。何がベストなのかがわかっていない場合は、懸命に頑張ってくれれば私たちは満足できる。しかし、知識があるにもかかわらず、それが正しく活用されていないと聞くと、私たちは憤慨せずにはいられない。

ガワンデの述べるとおり、「知っているのにやらない」ときや、「わかっていてミスをした」ときには、組織はミスをした人物に非常に冷酷な仕打ちをする。

叱責で済めばまだいい。時には罵倒され、左遷され、「使えないヤツ」の烙印を押される。

組織の内部で「使えないヤツ」とみなされることは、どんな人であっても、耐え難い苦痛となろう。

仕事が個人のアイデンティティの多くを占めるような今の状況下では、なおさらである。

だが不思議なことに、ペナルティを課しても本質的に「無能を排除できた組織」はほとんど見ない。

「無能はクビにすればいい」と言う過激な経営者も見たが、クビにしたところでまた別の人間が無能とみなされるだけである。

・上司の指示を忘れる
・クレームを繰り返し受ける
・遅刻する
・資料の提出を忘れる
・伝達ミス

「なんでこんな初歩的なミスを……」ということまで、多くの組織では一向に「無能」が減る気配はない。

なぜ無能を組織から排除できないか

では、いったいなぜ、無能はなくならないのだろうか?

結論から言うと、「無能は、個人に紐づくのではなく、組織に紐づいているから」である。

無能は、個人の能力の欠如ではなく、組織の能力の欠如にもとづくので、個人を排除しても、いつまでも無能は組織に残り続ける。

逆に言えば、無能な組織は、無能な(とみなされる)個人を生み出し続ける。

中小企業の経営者で「うちには優秀な人が来ない」と嘆く人がいるが、それは「私のマネジメントは無力だ」を言い換えているにすぎない。

したがって、組織が「ミス」を人間の能力の欠如が原因だとしているかぎり、無能は組織からなくならない。

だから、「やる気を見せろ」「気をつけろ」「同じミスを繰り返すな」といった言葉は、まったく改善につながらないし、結果的に無能はなくならない。

結局のところ、「意志力」や「注意力」、あるいは「やる気」に頼るのがいかに危険なことか、「無能」を排除できていない会社は、わかっていないのである。

たとえば、同じ事象を見ても、次の(1)と(2)のように、会社によってミスへの対処は分かれる。

・部下が日報を書こうとしたタイミングで、お客さんから電話が入り、その対応をしているうちに日報のことが頭から抜けてしまったらしい。そこで……。

(1)叱責して書くように言う
(2)日報のリマインドが定時に入るようにする

・営業マンへ、お客さんから住所変更の連絡があったにもかかわらず、それを社内のデータベースに反映するための手続きをとらず、あと回しにしてしまったらしい。そこで……

(1)定例会などで注意喚起する
(2)住所変更の担当を一元化する

・お客さんに不明な点を質問していたが、回答が遅く、それを忘れたままプロジェクトが進行していたので、あとになって大きな問題となった。

(1)ミスをした個人の評価を下げる
(2)宿題を記録するフォームをつくり、メンバー全員と顧客とで共有する

どちらのマネジメントが優れているかは、自明だろう。

無能を排除できた組織は何をしているか

先述したように、「無能」を排除できた組織は、何をしているのかと言えば、それは「意志力」を当てにしないことに尽きる。

「人はミスをする」
「人は忘れる」
「うまくいかないのが普通である」

それらを前提として組織をマネジメントすることでしか、ミスを減らしたり、なくしたりすることはできない。

昔ながらの「気をつければミスはなくせる」と言う人もいるかもしれない。だが、気をつければいい、というのはほとんどの場合、過信である。

ガワンデが次のように指摘するとおり、ミスは、複雑作業でも、単純作業であっても、能力が高かろうが、低かろうが、危機的状況だろうが、余裕のある状況だろうが、絶対に繰り返し発生する。

それは、たとえ、高名な大学病院で、人の命がかかっているような重大な局面であってもである。

心肺停止状態から奇跡的に一命を取り留める者もいる。だが、助からない者の方がずっと多い。

救助が遅すぎる場合もあるが、それ以外にも機械がうまく作動しなかったり、スタッフがなかなか集まらなかったり、誰かが手を洗うのを忘れて感染症になったりと、うまくいかない原因はいくらでもある。

そのような失敗例は医学誌に投稿されないから、人にはあまり知られない。だが、うまくいかないのが普通なのだ。

さらに、こうも述べている。

毎年5000万以上の手術が行われ、15万人が手術の後に亡くなる。交通事故の死亡者数の3倍以上だ。さらに、それらの死や主な合併症の半数は防げるものであると数々の研究が示している。

どうすれば無能は直せるか

では、どうすれば無能は直せるか?

もちろん、これは簡単ではない。しかし、決して不可能ではない。

最初に大事なことは、無能の改善を個人にまかせてはいけないということだ。前述したガワンデはこう述べている。

「人」は誤りやすい。だが、「人々」は誤りにくいのではないだろうか。

その言葉どおり、無能の改善には組織力が必要とされる。逆に言えば、「組織力とは、無能な個人を改善する能力」と言ってもよい。

そして、「組織力」の中核は、「何を測定するか」にある。実際、ドラッカーは『マネジメント〔エッセンシャル版〕』で、強く測定の重要性を説く。

管理のための測定を行うとき、測定される対象も測定する者も変化する。測定の対象は新たな意味と新たな価値を賦与される。したがって管理に関わる根本の問題は、いかに管理するかではなく何を測定するかにある。

ドラッカーの洞察は素晴らしい。

たとえば、あるサービス業でこんなことがあった。

「無能」とみなされている1人の営業マンがいた。

彼は絶望的にクロージングが苦手で、抱えている顧客の受注率において、常に最下位争いをしていた。

上司は口を酸っぱくして「クロージングをしろ」と言うのだが、彼は意識していないのか、商機を逸してしまっていた。

話を聞くと、「ついつい、あと回しにしてしまう」と言う。

そこに、ある1人の営業コンサルタントが入った。

彼は、過去2年間のすべての営業データを見て、9割の受注が営業開始から3週間以内に終わっていることを発見した。

彼は「無能」の営業マンにひと言、言った。

「自分のお客さんの名前と、営業開始日をこのエクセルシートに入れること。そして毎日退社する前に更新して、私にメールするように」

1ヵ月後、彼の営業成績は格段に改善した。

エクセルシートには、「営業開始日から2週間が経過したお客さんのセル」が赤くなるように関数が入っていた。

その営業マンは言った。

「自分で表に記入すると、クロージングすべきお客さんが、赤くなるんです。次の日の朝イチで、お客さんに連絡するように心がけました」

このコンサルタントは、ドラッカーの言う「測定」を行った。

また、「無能」を個人の責任にせず、ツールと仕組みによって、行動の変革を促した。

このツールはのちに、全社的に使われるようになり、会社全体の営業の生産性も向上した。

「無能」は、解決したのである。

「無能」の根本的原因は、組織のあり方。

「無能」を直すのは、測定と、それを実現するツールと仕組みである。

 すぐ「決めつける」バカ、まず「受けとめる」知的な人
安達裕哉(あだち・ゆうや)
1975年東京都生まれ。筑波大学環境科学研究科修了。世界4大会計事務所の1つである、Deloitteに入社し、12年間コンサルティングに従事。在職中、社内ベンチャーであるトーマツイノベーション株式会社の立ち上げに参画し、東京支社長、大阪支社長を歴任。大企業、中小企業あわせて1000社以上に訪問し、8000人以上のビジネスパーソンとともに仕事をする。その後、起業して、仕事、マネジメントに関するメディア「Books&Apps」(読者数150万人、月間PV数200万にのぼる)を運営する一方で、企業の現場でコンサルティング活動を行う。

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