新1万円札の肖像となることが決定した、日本の起業家の先駆け・渋沢栄一の思考を、彼の玄孫(やしゃご)でありコモンズ投信会長の渋澤健さんにインタビューしている。

約500もの会社設立に携わった渋沢栄一は怒りを抱いていたといい、コモンズ投信を創業した渋澤健氏自身も創業時には日本社会への怒りがあったそうだ。起業家を駆り立てる怒りの正体とは?(取材・山本信幸/写真・森口新太郎)

渋澤健さん
1983年テキサス大学卒業、日本国際交流センター入社後、1987年UCLA大学MBA経営大学院卒業。ファースト・ボストン証券で外国債券を担当。JPモルガン銀行、JPモルガン証券、ゴールドマン・サックス証券を経て、1996年ムーア・キャピタル・マネジメント入社。2001年シブサワ・アンド・カンパニー、2007年に現在のコモンズ投信を創業。社会貢献活動にも積極的に関わっており、2016年にアフリカで起業する若手日本人を支援する「アフリカ起業支援コンソーシアム」を創設、事務局を務める。

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渋沢栄一が追求した「私利」と「公益」

渋沢栄一の資本家思考#2
(写真=森口新太郎、ZUU online編集部)

――渋沢栄一は「公益」を追求したといわれています。私利私欲では動かなかったということでしょうか。

公益という言葉はあまり好きではないのですが、彼は公益と言いながら、私利のためにやっていた部分もあります。私利とは、自分が大もうけをするということではなくて、自分がやりたいことを徹底的にやるということです。『論語と算盤」には「公益となるべきほどの私利でなければ真の私利とは言えない」とあります。

――「論語と算盤」は論語(倫理)と算盤(利益)を両立させて経済を発展させるという考え方です。なぜ論語を基盤に置いたのでしょう。

渋沢栄一だけが倫理や道徳と利益の両立を考えたわけではありません。英国の経済学者アダム・スミスは「国富論」で知られていますが、その前に「道徳感情論」という本を書いています。アダム・スミスも利益だけを見ていたわけではなかった。

彼が論語を基盤としたのは、紀元前から続く儒教の教えであり、普遍性があったからでしょう。論語をそのまま用いず、「論語と算盤」という平易な内容の本を書いたのは、江戸時代までの論語は「儒教学者がこねくり回して難しくしてしまった」という怒りが根底にあるためのようです。

起業家にとって怒りは不可欠です。彼は武士が「士農工商」という階級を勝手につくって、汗水垂らして働いている商人を下に見て、上前をはねていたと怒っています。おそらく土佐の下級武士だった岩崎弥太郎も同じ怒りを抱いていたでしょう。下級武士は上司のいいなりになるしかありません。二人とも武士の時代に生まれ、その時代の縛りの中で育ち、怒りをため込んで、明治維新によってはじけて、実業家として成功した。「なんとかなるんじゃないか」と逃げていたのではだめ。この怒りはパッションと言い換えると分かりやすいですね。

渋澤健氏が抱いていた、日本社会への怒り

渋沢栄一の資本家思考#2
(写真=森口新太郎)

――渋澤さんは2001年にシブサワ・アンド・カンパニー、2007年にコモンズ投信を創業しています。どのような怒りを抱いていたのですか。