宇都宮餃子VS浜松餃子~ブームを支えるマシン
栃木県宇都宮市といえば、言わずと知れた餃子の街。駅前には餃子のビーナス像が立つ。畑の中にある古民家風の人気店、「宇都宮餃子さつき」。店内で始まったのは餃子の手作り体験だ。宇都宮餃子の特徴は、肉に対してキャベツやニラなどの野菜が多め。皮で包むのは意外と難しい。なかなかうまくいかないが、出来上がったものを店が焼いてくれる。
実際にはこの店では機械で餃子を包んでいる。皮を手動で送り込むと次々に綺麗な餃子が出来上がっていく。そのスピードは2秒におよそ1個と圧倒的な速さだ。マシンの名前は「餃子革命」(1台138万円)。忙しい時には4台がフル稼働すると言う。代表の山下登貴雄さんは「餃子を安価でお客さまに堪能してもらいたいので、この機械は必須です」と言う。だからこそ「さつき餃子」を6個260円という安さで提供できるのだ。
餃子と言えば、消費量で宇都宮とトップを争うのが静岡県浜松市。市内には80軒の専門店が軒を連ね、毎年、餃子祭りも開催されている。
そんな街で行列のできる人気店が「石松ぎょうざ」。元祖浜松餃子をうたっている。浜松餃子といえば、餃子を丸く並べ、中央にもやしを盛り付けるのが特徴。このやり方を「石松」の初代が始め、定着したと言われている。「石松餃子」は15個900円。中の餡はキャベツが多めで軽い食感。若い女性客も目立ち、いくらでも食べられるという。
この店も「餃子革命」を使っていた。20年前までは女将の大隅幸江さんが一つ一つ包んでいたと言う。しかし、店舗拡大に伴い「餃子革命」を導入した。
「人間は疲れますが、機械は頑張ってくれますからね。この機械のおかげで、出店を増やしても、技術がない人でも操作を覚えれば機械が握ってくれます」(大隅さん)
魅力は速いことだけではない。この機械で作ると、餃子の焼き面が違うと言う。皮に落ちてくる餃子の餡は、落ちる直前に表面が削られ、平らになっている。だから皮で包んだ時も、焼き面はフラットになり、焼き上がりがパリパリになるのだ。
また、餃子作りで難しいのが、ちょっと水を付けて行う皮の貼り合わせだが、この機械は画期的な方法でクリアした。包む瞬間に具材の水分を押し上げ、綺麗に貼り合わせる。
餃子の東西横綱を支えるこのマシンを作ったのが、浜松にある東亜工業だ。創業56年で従業員は43人。餃子の機械だけを作り続けている町工場だ。
工場内には長さ4メートルの長いマシンも。1時間に1万個の餃子を製造する全自動の餃子製造機「TX-16」だ。東亜工業は餃子専門店、ラーメンチェーン、冷凍食品会社などと取引。国内シェアは60%にのぼる。「餃子革命」は累計6300台が売れたという。
「うちの機械はオーダーメード。受注生産です。」と言うのは社長の請井正。店によって餃子は大きさや形が違うので、餃子を包むパレットと呼ばれる部分はオーダーメードでしか作れないのだ。
「餃子の形を作るところは機械加工ができないので、手作業で1グラム、1ミリ単位で作りこみます」(請井)
請井の餃子にかける情熱は並大抵ではない。地元・浜松で珍しい餃子があると聞けば、すぐに出向く。東京に出張すれば、夜は取引先と一緒に餃子酒場で一杯。年間100軒以上の店で餃子を食べ歩いていると言う。自称、日本一餃子を食べている社長なのだ。
人気ラーメン店も居酒屋も~頼りになる餃子マシン
最も安い「餃子革命」でも138万円する機械をどうやって売っているのか。
この日、営業技術の山下真治は、千葉市の「家系ラーメン王道いしい」に向かった。家系ラーメンを出す人気店だが、サイドメニューの餃子にも力を入れている。しかし、手作りしているため仕込みが間に合わず、すぐに売り切れ状態になるのが悩みの種だった。
店主の石井陽介さんは、餃子革命の噂は聞いていたが、1台138万円はさすがに高いとためらっていた。そこへ山下が実演の営業に駆けつけたのだ。
「手では1時間に200個ぐらいしか作れない」と言う石井さんに対して、「この機械だと1000~1500個作ることができます」と山下。早速、石井さんも試してみる。今まで苦労してきた餃子があっという間に。肝心の味も、店員一同「おいしい」と声を揃える。
1ヶ月後に再訪すると、店内の一番目立つ場所に「餃子革命」があった。
「売り切れにしないことを前提に、もっと機械を活躍させて餃子を広めていければいいと思っています。138万円の元をとっていきましょう!」(石井さん)
思い切った決断をして大成功を収めた店もある。生餃子のテイクアウト専門店「目黒ぎょうざ宝舞」。以前は手で包んでいたが、人件費がかさみ廃業の危機に。「餃子革命」を購入したことで、経営を立て直すことができたと言う。
「餃子革命」を使って新たな業態に参入したチェーンが「磯丸水産」だ。海の家をモチーフに121店舗を展開する海鮮居酒屋だが、ここ数年、拡大戦略は頭打ちになっていた。そこで餃子ブームに目をつけ、餃子を看板メニューに据えたチェーン「いち五郎」を2年前に出店した。その際に欠かせなかったのが「餃子革命」だった。
「アルバイトさんを中心に営業しているので、機械があると量も安定します」(SFPホールディングス商品開発部長・木村哲博さん)
「餃子革命」を使ったメニューも考案。「チーズ極み餃子」「Wパクチー餃子」(ともに5個464円)など、人気メニューを続々と作った。今や餃子だけで13種類もある。
餃子居酒屋は当たり、2年間で13店舗に。今後は50店舗を目指すと言う。
東亜工業の餃子マシンのおかげで蘇った名店もある。
宇都宮餃子の中でもトップクラスの人気を誇る「香蘭」。いつも満席で、2人前12個を頼む客が多い。値段は1人前6個250円で、2人前頼んでライスをつけても600円。あまり見かけない「揚げ餃子」(250円)も宇都宮の名物メニューだ。
この店は2008年に1度閉店している。創業者の腰原宏一さんが一人で餃子を作り続けていたのだが、70歳を超えてリタイアした。3年後、その店を蘇らせたのが東亜工業の大型機械「TX?16」だった。これで大量生産が可能になり、店の味を守ると共に、地元のスーパーや通販でも餃子を販売できるようになった。
町工場の逆転劇~餃子マシン誕生秘話
東亜工業の創業者は現社長の父親・請井由夫。若い頃は丸正自動車というメーカーに勤め、1950年代に一世を風靡したバイク、ライラック号の開発に当たったエンジニアだった。
だが、その丸正自動車は倒産。由夫は1963年、優秀な技術者と共に東亜工業を立ち上げた。当初は自動車の部品などを下請けで作っていたが、「内に秘めた思いがありました。世の中に自分が作ったもので認められたいという思いが強かったようです」(請井)
そこで由夫はさまざまな商品を作り始める。その一つ、「プレジャーボート」は広告の写真まで撮ったが、発売には至らなかった。そんな中、ある日入ったラーメン店が転機になった。
黙々と餃子を包む店主に声をかけると、「朝早くから店が終わった後まで餃子作り。大変なんですよ」と言う。由夫は「餃子を自動的に包む機械があれば、きっと喜んでもらえる」と思った。バイクのマフラーを作る金型の技術を応用できると考えたのだ。
当時、共に餃子製造機の開発に当たった元技術顧問の白柳伊佐雄さんは「ちょっとした天才のところがありました。普通の人がやらない、やれないことができた」と言う。
6年の試行錯誤を経て1975年、餃子マシン1号機「T-8」が完成。由夫は「自社商品を作る」という夢を叶えた。すると、これまで下請けしていた部品の製造をやめ、餃子マシン一本でいくことを決断。続けて始めたのが、小型機の開発だった。
「最初のコンセプトが電子レンジ並みの大きさにすることでした。どこの店にも厨房には電子レンジがある。その大きさなら置いてもらえるだろうと」(請井)
小型の餃子製造機は1988年に完成。しかし、画期的な商品の割に売り上げは伸び悩む。営業が下手だったのだ。
「普通の会社で上手にやったら、もっと独占的に大きくなったでしょう。経営者がエンジニア過ぎたんです」(白柳さん)
その由夫は2007年、病で帰らぬ人に。現社長の請井が後を継ぐのだが、追い討ちをかけるようにリーマンショックが勃発。餃子製造機は売れなくなり、在庫が溢れた。
そんなピンチをなんとかしようと、請井が作ったのが「浜太郎餃子センター」だ。
その店内では、二人組の客の前で請井が餃子のうんちくを語っている。実は彼らは飲食店を開店しようとしているプロ。請井は自分の会社の機械を売るアンテナショップとして店を作ったのだ。餃子の味見の後は、実際に作っているところを見てもらう。これが何より説得力を持つ。
この営業戦略は見事に当たる。浜太郎の開店後、会社の売り上げは急上昇した。
開店から9年、今や浜太郎はすっかり浸透している。店で出しているのは従来のニンニクが入った浜松餃子「赤餃子」とニンニク抜きの「白餃子」(ともに12個756円)。これが仕事中のサラリーマンや女性客など新規開拓につながった。
請井は今も時々店に立ち、客の反応を確かめている。ここが請井の餃子戦略の最前線なのだ。
イギリスで餃子がブーム?~世界が注目の餃子マシン
イギリスの地方都市のブリストル。ロンドンから2時間のこの街に、昼時、客が殺到する店「イーチュー」がある。客のお目当ては餃子だ。
オーナーのガイ・シダルさんが餃子作りに使っているのは「餃子革命」。シダルさんはもともと大の日本好きで、「新婚旅行で行った原宿で食べた餃子に感動したんだ。それで自分でも餃子の店をやってみようと思ったんだよ」と言う。
最初は手で包んでいたが、数が作れなかった。そんな時にインターネットでたまたま「餃子革命」を見つけ、購入したという。「餃子革命」を導入後、昼だけで150人の客が詰めかける人気店となった。
ただし、そこで出されていたのは餃子にマヨネーズ。おまけに青海苔までかけている。これが口に合うようで、テイクアウトする客も多い。
女性客が買っていった餃子弁当もかなり変わっていた。「トリ餃子カブの漬物のせ」(約830円)は餃子の上にカブの漬物が乗っている。「きのこ餃子そばセット」(1200円)は餃子の下に日本蕎麦が。「餃子のパリパリした食感とそばの食感が合うのよ」と言う。
首都・ロンドンでも餃子は大人気。専門店やラーメン店で、「餃子革命」を使って客を呼び込んでいる店が増えている。「TONKOTSU」もその一軒。今や、餃子にかじりつくのは日常の光景となった。
餃子ブームはイギリスだけではない。日本で開かれた食品機械の見本市で、東亜工業のブースを覗いてみると、いろいろな国の人々が詰めかけていた。今や東亜工業の餃子マシンは42の国と地域に広がっている。
~村上龍の編集後記~
餃子は、よく見ると不思議な形、大きさだと思う。そしてどこか謙虚な佇まいがある。偉そうに自己主張したりしない。
東亜工業の餃子包み機は興味深い経緯で誕生した。先代は自動車部品など金型技術の達人で、マフラーが作れるのだから餃子もいけるだろうと開発をはじめた。
その後、もともと調理人に憧れ、店を開きたいと考えていた請井氏が、営業で苦労し、アンテナショップを開業して、少しずつ成功をつかみ、今に至る。
人間ドラマに彩られた東亜工業だが、主役は餃子だ。餃子は、飽きない。たぶんこんな食品は他にない。
<出演者略歴> 請井正(うけい・ただし)1967年、静岡県生まれ。1993年、和食レストランで修業していたが、父・由夫の意向で東亜工業入社。2008年、代表取締役就任。
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