苦労して合格したのに肝心の仕事がない!

超難関の希少資格を手にした天達氏だが、そこから前途洋々―とは行かなかった。

「相変わらずレストランで働いていました。天気予報は色々な業種に関わるのですが、気象予報士の求人はとても少ない。

資格を取る前になぜ気づかなかった?って、思いますね。資格さえ取れば自分は変われるって完全に思い込んでいたんです」

民間の気象会社を片っ端から受けるが、採用には至らなかった。しかし、ある日、以前研修を受けた会社から、日本気象協会でメディアに天気情報を提供する仕事のポストが空いたとの連絡が舞い込んできた。

「実は最初、断ったんです。自分はパソコンができないので原稿を作ったりするのは無理だと思ったんですね。

でも、親や友達から叱り飛ばされて。正直にパソコンがほとんどできないことを伝えて採用していただきました」

入社後、必死にパソコンを覚え、同期より一周遅れで、天気予報の原稿を書いたり、ラジオで解説したりする仕事を任されるようになる。

「僕が原稿を打っていると、何人も集まってくるんですよ。『違う違う! ここはバックスペースじゃなくて、エンターだろ!』と手取り足取り教えていただいた。

そのうち『お前、打つのが遅いから、コレやっとけ』と、ブラインドタッチを鍛える『北斗の拳 激打』(トリスター)というタイピングソフトをポンと渡されました。

それからは仕事後に終電まで自分の席に残って、ブラインドタッチの練習をしていましたね」

天達氏の人柄が成せるわざなのか、周りの人が応援したくなるタイプであるらしい。30歳にして朝の情報番組『とくダネ!』でキャスターデビューするチャンスをつかんだのも、周囲の後押しによるものだった。

「『とくダネ!』で気象予報士の募集があり、僕がいた部署も声をかけられましたが、該当者がいなかったんですね。部署として応募者を出さないといけないから、お前行って来いよと」

天達氏曰く、「自分はあがり症」。キャスターなんてとんでもない!と断ったが、「俺たちもお前が受かるとは思ってない」と逆に太鼓判を押されたという。

「絶対受かるはずがないと思っていたので、あがり症なのに緊張しなかったのが良かったようです。

『とくダネ!』はバイト時代からいつも見ていたので、主婦向けの企画を提案しました。1分間スピーチも、たまたま前日聞いた先輩のお天気原稿の小ネタをいただきました。

しかも、職場の先輩が天達という苗字にかけてつけてくれた『天気の達人』とキャッチフレーズが大いに受けたようで、オーディションに受かってしまったのです」

かくして『とくダネ!』のお天気キャスター・天達武史が爆誕したのだ。