「いつも考えていた」から発見できた

重大な発見がなぜ偶然のきっかけで得られたかについて、ニュートンが明確に答えています。彼は、「どのようにして万有引力の法則を発見できたのか?」と尋ねられて、「いつもそのことを考えていたから」と答えたのです。

つまり、彼は、その問題について思索を続けており、解決の一歩手前まで来ていたのです。そのとき、たまたまりんごが落ちるのを見たのがきっかけとなって、大発見に導かれたのです。りんごが落ちるのを見てから引力の概念を考え始めたのではありません。ですから、きっかけはりんごでなくともよかったのです。ものが棚から落ちるのを見ても、同じ発見に導かれたことでしょう。

実際、りんごが木から落ちるのを見た人は、人類の歴史において、ニュートン以前に数え切れないほどいました。しかし、彼らのうち誰一人として万有引力の法則に思い至りませんでした。ニュートンだけができたのです。それは、ニュートンだけが発見の近くまで思索を進めていたからです。

アルキメデスの場合も、同じことです。風呂に入って湯が溢れるのを見た人は、アルキメデス以前にいくらでもいました。しかし、浮力の原理は発見できなかったのです。ポアンカレの場合も、ペンローズの場合も、ケクレの場合も、すべて同じです。重要なのは、きっかけではなく、彼らが「考え続けていたこと」なのです。

「モーツァルトの音楽が発想に役立つ」といった類のことが、よくいわれます。もしそうなら、オーケストラの団員から素晴らしい発明がつぎつぎに出てきそうなものですが、実際にはそういう話も聞きません。

モーツァルトの音楽そのものが原材料になるのではなく、発想作業が進んでいたときに、モーツァルトの音楽がもたらした環境変化が発想を呼ぶのでしょう。

ポイント ある問題について考え続けていたために、偶然からの出来事がきっかけとなって、大発見に導かれる。