(本記事は、呉 暁波の著書『テンセント 知られざる中国デジタル革命トップランナーの全貌』プレジデント社の中から一部を抜粋・編集しています)

「大きいサイズのQQショー」

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(画像=HelloRF Zcool/Shutterstock.com)

香港人の湯道 生 は2005年9月末にテンセントに入社した。入社当時は標準中国語をまったく話せなかった。アメリカから香港に戻ったばかりの頃は、毎日バスで3時間かけて往復していた。それまでの生活とは大きく変わった。湯道生はミシガン大学電子工学科を卒業し、その後はスタンフォード大学の大学院で学んだ。オラクル社で働きながらデータベースと企業経営への応用を専攻した。通信ネットワークやメールシステム技術にも詳しい。

湯は劉熾平に誘われてテンセントに入り、アーキテクチャ部に配属された。「最初の2カ月はQQの技術アーキテクチャにしっかり慣れるとともに、ピンインIMEで標準中国語を勉強していた」

年末のあるとき、インターネット付加価値サービス事業を統括していたシニア・エグゼクティブ・バイスプレジデントの呉宵光が突然湯の部屋に飛び込んできた。「ドーソン、インターネット事業部のあるプロジェクトで、今大きなトラブルが起こっている。手を貸してほしい」

トラブルが起きていたのはQゾーンだった。アーキテクチャ部からすでに2回にわたり複数の応援スタッフを出したが、解決できないまま戻ってきたのだった。湯道生はそれ以降インターネット事業部に異動してQゾーンの技術ディレクターに就任した。

Qゾーンは呉宵光の部門が新たな変化に対応するための試みだった。部門級のプロダクトにすぎなかったが、これがのちにテンセントのピンチを切り抜ける道になるとは誰も予想してい なかった。

2005年のテンセントは、MSNとリアルタイム通信クライアントをめぐって戦いに明け 暮れていたが、インターネットの世界ではこの時期にもう一つの劇的な転換が生じていた。ソ ーシャルネットワークと呼ばれるモンスターが誕生して底辺から頂点に向かって攻めていき、 巨人たちに支配される世界を撃破したのだ。

ソーシャル的な性質を持つプロダクトのうち、中国で最も早くネットユーザーに受け入れられたのはブログだった。2003年6月、「木子美」と名乗る女性ネットユーザーがブログサイト「中国博客網」で性愛日記を書き始めたため、「ブログ現象」についての全社会的な議論 が沸き起こった。これ以降、ネットユーザー一人ひとりがコンテンツの創造者となり、インタ ーネットは一般人がお祭り騒ぎする時代に入った。

2003年末から2004年初めにかけて、アメリカではマイスペースとフェイスブックが 相次いで誕生した。前者が急速にブームに火をつけ、後者が2007年以降に前者に取って代わった。アジア地域では韓国のサイワールド(CYworld)が早くも2001年に「ミニホム ピィ」という個人用のミニホームページ機能を設けた。2年余り後には、ブログと友達作りのトレンド化に伴い、サイワールドは韓国最大のオンラインコミュニティとなった。

2004年12月、戦略発展部の主導でインターネット付加価値部門がプロジェクトを立ち上げた。チームがすぐに結成されて許良が総責任者となった。当時QQプロダクトマネージャーだった林松濤がこのチームに異動となりプロダクト開発を先導した。しかし新プロダクトの 方向を検討する際に皆がある選択を迫られた。

許良の記憶によると「当時討論で取り上げたモデルはブログとサイワールドの二つだった。 我々はフェイスブックには関心を向けていなかった」。ブログには強力な媒体化属性があったが、議論に加わっていた者はブログの経験がほとんどなかった。逆にサイワールドのモデルは 決して見ず知らずのものではなかった。「要は大きいサイズのQQショーを作ればいいんだろう?」。ある技術者が大きな声で言った。

その意見に皆が同調した。しかし林松濤とプロダクトチームは、プランを立てる過程で強化版のQQショーでははるかに及ばないことに少しずつ気がついた。まず、ユーザーが皆に自分を見せる際は、ソーシャルベースでなければならない。QQショーはそもそもQQプラットフ ォームで成長したものであるが、Qゾーンは自身のコミュニティの雰囲気づくりとインタラクティブな方法が必要だ。また、ショーのやり方も時代とともに進化させる必要があり、画像を選択するだけの単純なものであってはならず、ユーザーの参加が強まり、コンテンツに貢献してくれるようでなければならない。さらに、こうしたデコラティブな付加価値サービスに対してユーザーに課金してもらうには、ユーザーの帰属感を醸成してここが自分の家だと心から思 ってもらえるようにする必要がある。したがってチームはQゾーンの位置づけを「自分を見せ、 他者と交流するプラットフォーム」と決定し、ブログ、サイワールドのいずれとも異なる道を 進んでいった。

Qゾーンの実績は開始直後から予想外に好調だった。ユーザーは急速に増え、アクティブ度は高く、収入も予想を上回った。しかし問題もすぐに見えてきた。

開発された初期のQゾーンプロダクトは、多機能な個人サイトシステムに近いものだった。 スキン変更、日記、アルバム、掲示板、ミュージックボックス、対話、プロフィールなど十数個の機能が搭載され、技術的には比較的大型のウェブページ系プロジェクトと言えた。しかし クライアントプロダクトの開発経験しかない許良チームにとっては、運営の複雑さは想定外だ った。ユーザーが増えて60万人同時接続となった頃、システムが動かなくなってしまった。Q ゾーンは一見すると単なるウェブページの集合と思える。しかし、ユーザーの使用習慣がそれ ぞれ異なるため、ユーザー生成コンテンツ(UGC)が大量に生じたとき、特に写真のアップ ロード量が等比級数的に増えたときは、当初のシステム下層部分の設計上においてそうした圧力を考えていなかったため、速度が非常に遅くなってしまう。

湯道生はプロジェクトチームに入ってから、まず技術的難題の解決プロセスを変更した。「それまでのやり方は、頭が痛ければ頭を、足が痛ければ足を診てもらう対症療法のようなものだった。だが私がアメリカで働いていた頃に職場で採用していたのはデータマネジメント方式というものだった。問題をシステマチックに考え、あらゆるディテールをすべてリストアップする。それから順序づけをして精細に解決していく。そうしないと『見えていない問題』は発見できない」

湯道生の主導により、Qゾーンは急速なイテレーションの段階に入った。2006年4月、Qゾーンのバージョン3.0が配布され、アーキテクチャ、性能の包括的な最適化が完了した。6月のバージョン4.0はフルスクリーンモードが搭載された。7月には日記用テキストエディタの新バージョンが配布され、動画やオーディオなどマルチメディアコンテンツをサポートした。9月には、情報センターと「好友圏」をリリースした。当時の業界ではSNSプロダ クトの定義はまだあまり明確ではなかったが、Qゾーンにはすでに友達とやりとりできる機能が多数備わっていた。たとえばQQクライアントの友達リストでは、友達が日記を更新したり写真をアップしたりすると、その友達のアイコン横の黄色い星がキラキラしているので、すぐ 閲覧やコメントしに行ける。実は、これはまさにのちのSNSプロダクトに必ず搭載されている「友達の動態」のひな型であり、フェイスブックのニュースフィード機能よりも開始時期が 早かった。

さらに9月には、マイクロソフト中国で業務を担当していた鄭志昊も呉宵光MSN Spacesに声をかけられてテンセントに入社し、湯道生が推進していたSNS事業の拡大と展開に協力することになった。Qゾーンの登録ユーザー数は7〜9月期に5000万を突破し、月間アクティブユーザー数は約2200万に到達、1日の訪問者数は1300万を超えた。

イエローダイヤモンドと段階型会員体系

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(画像=Khongtham/Shutterstock.com)

Qゾーンの成功は、テンセント社内方針決定者たちも予想していなかった。のちに筆者が取材した際も、馬化騰(ポニー・マー)、 張志東から劉熾平まで皆がその点に何度も触れた。

2005年にソーシャル化ブームが次第に高まる中、中国の三大ニュースポータルはいずれもブログモデルを選択した。うち新浪が最も積極的で、上げた実績も最大だった。2006年半ばの新浪ブログ月間アクティブユーザー数は2000万を超え、完全にポータル系チャンネルに代わって新たなユーザーポータルとなった。しかしビジネスモデル上の先天的欠陥により、ユーザーの蓄積価値はまったく現金化が不可能だった。このため、三大ポータルはソーシャル化転換を図る際に正しい道を進めず、これが直接ポータル時代の終結をもたらした。

グーグルがヤフーを追い越したのは、単にユーザー数で上回ったからではなく、主にキーワ ード広告モデルを応用したことが原因だった。テンセントもそれと同様で、Qゾーンに依拠して突如台頭したが、本質的には収益モデルのイノベーションが決定打であった。湯道生はのち に「2006年のバージョン4.0配布以降も、QゾーンはまだQQのブログコーナーと定義されていた。しかし形態上はすでにSNSコミュニティの基本が備わっていた」と総括した。

Qゾーンが徐々に戦略級プロダクトとなっていった後、呉宵光と湯道生はまた別の問題を考え始めた。「どうやってQゾーンの収益化を実現すべきか」

彼らは何度も熟考して、広告モデルと会員制モデルから選択することにした。

2006年5月、Qゾーンは「イエローダイヤモンド貴族」サービスを開始した。QQショーの「レッドダイヤモンド」に続く、第二の「ダイヤモンド」体系だ。イエローダイヤモンドの月額料金も10元で、加入するとゾーンのスキンのカスタマイズ、成長値を示す花の蔓の成長加速、写真加工、パーソナルドメイン名、動画日記、ダイナミックアルバムなど十数項目の特権を得られる。その運営ロジックは「レッドダイヤモンド」とそっくりそのままだ。

2007年のテンセントは、ワイヤレス付加価値事業のどん底を脱してはいたが、低成長を維持するのが精いっぱいだった。オンラインゲーム事業はまだ苦難の模索状態にあり、「基盤 構築の年」(2007年テンセント財務報告書の記載)だった。こうした情勢のもと、Qゾー ンが突如力を発揮したことは、全社にとって大いにエキサイティングな出来事だったのは間違 いない。

2007年度の財務報告書にはこう書かれている。「当グループが2007年に上げた主な実績は、Qゾーンを非常に重要なソーシャルネットワークプラットフォームに成長させたことであり、年末のアクティブユーザーは1億500万人となった。(略)QQ会員はバンドル戦略(会員になったユーザーは機能が追加されて特権も得られるため、顧客ロイヤリティーが高 まる)が奏功して、力強い自然増を見せた」。この年、テンセントのインターネット付加価値サービス事業収入は、前年同期比37.7%増の25億1400万元に達した。

呉宵光が率いるインターネット付加価値サービス事業は、QQ会員、イエローダイヤモンド、 レッドダイヤモンド、グリーンダイヤモンドという四つの定額料金事業を擁している。その後 数年間は急速に拡大して収入も伸びていき、テンセント最大の収入源だった時期もあった。定額料金事業の4チームはそれぞれ異なるプロダクト部門の中にある。各チームはプロダクトの機能や運営に関して自身で進化を追求しており、各自が業績も収入も最高の定額料金事業を目指している。また、いい雰囲気で学び合い、成功体験を取り入れ合っている。

同年9月、テンセントはQQ会員サービスの全面的なグレードアップを実施し、「QQ会員成長体系」を立ち上げた。「QQ会員成長値」というコンセプトを打ち出し、会員ユーザーがますます継続的に料金を支払いたくなり、最も質が高く忠実なユーザーが会員体系にとどまる ようにした。こうしてQQ会員はQQユーザー体系の中で最も価値が高いユーザー群となった。 彼らは、テンセント各事業が最も獲得したいターゲットユーザー群でもあった。

やがてイエローダイヤモンド、レッドダイヤモンド、グリーンダイヤモンドも相次いで同様 の成長体系を構築し、定額料金事業の経営理念と運営体系を共同で模索することになった。テンセントのこうしたイノベーションは、世界のインターネットが広く認めるところとなった。

グローバルなインターネット界の視点で考察すると、Qゾーンの収益化モデル上のイノベー ションは、どの企業にもない極めて独特なものだったことがわかる。モルガン・スタンレーの インターネット研究報告書によると、アジアインターネット企業の仮想商品における探求は、 長年にわたり欧米の同業者に先んじているという。2005年までは日本と韓国の企業がイノベーションを牽引し、その後はテンセントを代表とする中国企業が台頭して両国に取って代わ った。ビジネス規模が拡大しただけでなく、サービス体系も多彩になった。

2006年の中国のゲームを除く仮想商品販売額は2億5200万ドルだったが、2007 年は3億9900万ドル、2008年は6億2300万ドルとなり、2年で倍以上に増えた。 その主な要因はQQ会員とQゾーンの成長だ。

「インターネットの女王」と称されるモルガン・スタンレー社の女性アナリスト、メアリー・ ミーカーは研究報告(2009年)の中で、独立したテーマとしてテンセントの収益モデルを 取り上げている。ミーカーによれば、仮想商品(単なる小さな玩具ではない)で発生する小額決済が巨額の収入を形成しうるという。この点について「中国は仮想商品マネタイズの世界的な代表にしてトップランナーであり、中国の成功(一部はテンセントの成功といえる)は、『仮想商品』が巨大な商機を意味する可能性が高いことを示している」と述べている。

iTunes とは異なるグリーンダイヤモンド

ソーシャルネットワークにおいて、会員制による収益化はテンセント成功の秘密の一つだ。

次に音楽配信の例を挙げよう。

テンセントの音楽サービスは2005年2月に始まり、10月には専門のデジタルミュージック部が創設された。インターネット事業系統(B2)下の部署で、インターネットリサーチ部、コミュニティプロダクト部と同列だ。呉宵光は部門マネージャーの 朱達欣に「君は音楽業界 で中国のジョブズになれるかもしれない」と言った。

西側の音楽業界では、ジョブズは「悪魔で天使」のような存在だった。2001年11月10日、 アップルはデジタルミュージックプレーヤー iPodを発表し、音楽の聞き方を変えようとした。2年後にはミュージックストア iTunesを正式にオープンし、ジョブズがレコード会社を口説き落として iTunes での楽曲販売を実現した。2005年末には「iPodとiTunes」のセットで生じたアップル社の収入が60億ドル弱となり、同社総収入のほぼ半分を占めた。iPod はア メリカの音楽プレーヤーで70%以上のシェアを獲得し、iTunesはウォルマートを超えて、世界最大で最も成功したオンラインミュージックストアとなった。

呉宵光のデジタルミュージック部への期待は、iTunesモデルへの期待であった。

長年、中国のインターネットは海賊版音楽の天国だった。無数の楽曲をネットにアップロー ドする「愛好家」が山ほどいて、各大手ウェブサイトも無料プラットフォーム提供によりユーザーをつなぎとめていた。消費者は音楽を聞くために金を払おうと考えたことがまったくなく、 テンセントはここで新たな天地を切り開けるかもしれなかった。

しかし朱達欣がEMI、ソニー、ユニバーサル、ワーナーの四大レコード会社と個別に交渉したところ、反応はいずれも冷ややかだった。どのレコード会社もネットの海賊版に対しては恨み骨髄に徹していたが、その一方でQQ音楽の努力が実るとも思っていなかった。いずれの 会社も朱達欣にこう尋ねてきた。「バイドゥMP3に行って無料で音楽が聞けるとしたら、ネ ットユーザーはどういう理由があればテンセントに金を払おうと考えるのか?」

朱達欣がレコード会社を説得しようがないのは明らかだった。よってQQ音楽はリリース初日から苦戦を強いられた。レコード会社がテンセントに与えたサービス権限は、30秒までの楽 曲無料試聴だけだった。月10元の定額料金サービスだけでは、楽曲の購入はできなかった。こうしたサービス内容では、海賊版が横行する市場で生き残れる可能性はほとんどない。このためQQ音楽は2年にもわたって気息奄々となり、利用率が低すぎるため、呉宵光がQQクライ アントから機能を外すところまでいった。

転機は2007年に訪れた。Qゾーンの流行に伴い、QQ音楽は以前とは違う道を歩むこと になったのだ。

「我々はある問題を考え始めた。ネットユーザーは、どういうシーンや条件ならお金を払って 正規版の楽曲を買うのか。我々の答えは、買うのは楽曲そのものではなくサービスである、だった」。では音楽サービスとはどんなものであり、かつどんなサービスなら金額にかかわらず ネットユーザーに必要となるのか。朱達欣たちは、ウェブページBGMという新たな需要点を見いだした。

「Qゾーンはユーザーが仮想世界で独り楽しむプライベートな空間だ。自宅の応接間のように、 誰かが訪ねてきたら音楽でもてなすのは、礼儀としてごく普通のことである。つまり、人々が音楽を購入するのは特定の人に自分の気持ちを示すため、という可能性が存在する」

こうした推理はやや回り道ではあるが、真実を突いているし「東洋的」である。

朱達欣は四大レコード会社との新たな交渉を開始した。「当社はレコード会社に対する姿勢をがらりと変えた。私は彼らに対し、当初の提携モデル継続は完全に無理なので、決め直しが どうしても必要だ、と伝えた」。新たな提携の取り決めに基づき、QQ音楽は全作品を無料で 聞けるようにし、オンライン聴取については広告収入でレベニューシェアを実施することにした。また有料部分については、最低額保証型のレベニューシェアを行う。朱達欣のチームは「グリーンダイヤモンド貴族」というサービス体系を構築した。

2007年6月、新しく配布したQQ2007ベータ3バージョンにおいて、QQ音楽の定額料金サービス「音楽VIP」が正式に「QQ音楽グリーンダイヤモンド貴族」にグレードアップされた。料金は月10元で、このサービスを購入したユーザーは十数項目のサービス権限を得られる。権限には、音楽の無料使用、QQ無料楽曲リクエスト、ゲーム音楽の特権、コンサ ートチケットの割引、歌手のサイン入り写真ゲット、好きな楽曲をQゾーンのBGMとして設定できる、などが含まれる。

のちに朱達欣に続いてQQ音楽の責任者に就任した 廖 珏 は「半分以上のユーザーは、QゾーンウェブページのBGMを設定したくて『グリーンダイヤモンド』メンバーとなった」と明かす。2008年7月、QQ音楽はさらに高品質ダウンロードができるサービスをスタートさせた。

2013年末の時点では、中国のインターネットは海賊版音楽がまだあふれかえっており、状況は根本的には改善されていなかった。ジョブズの iTunes 的なモデルも登場しないままだった。しかしテンセントは、自身のやり方によって正規版の音楽で収入を得る唯一のインター イー ネット企業となった。テンセントが具体的な収入データの公表を拒んでいるため、調査会社易観国際のデータを参照すると、2012年1〜3月期の国内ワイヤレスミュージック市場80億元のうち、三大通信事業者が96%のシェアを占める。残り4%は主にテンセントが確保して いる。易観国際は「わずか4%ほどではあるが、テンセントは類似の業者がリソース(カラーリングバックトーン)を独占していない状況でも多数の有料ユーザーを得られた。そのマーケ ットプランニング力には敬服せざるを得ない」とコメントしている。

QQ音楽はその後、全速でデジタルミュージックの正規版化を推進するとともに、会員が音 楽を使用可能なシーンと特権を増やした。現在のグリーンダイヤモンド会員は、さまざまなシ ーンを対象とした特権を39項目得られる。またQQ音楽の著作権戦略提携企業は計200社余りに達し、1500万曲を超える正規版楽曲をストックしており、有料会員数は1000万を 超えた。さらに、QQ音楽はデジタルミュージックアルバム配信とオンラインコンサート開催の新たなエコシステム構築にも取り組んだ。2014年末には周杰倫(ジェイ・チョウ)がQQ音楽独占配信の形で初のデジタルアルバムを発売し、1週間弱で販売数15万枚を突破した。 周杰倫に続き、鹿晗(ルハン)、李宇春(クリス・リー)、竇靖童(リア・ドウ)、林俊杰(リ ン・ジュンジエ)、韓国のグループBIGBANG、世界的人気歌手のアデルなど40以上のミ ュージシャンおよびグループがQQ音楽でデジタルミュージックアルバムを配信し、累積販売 数は2000万枚を突破した。野放しだった中国のデジタルミュージック配信の制度が整備さ れていく過程において、QQ音楽が初めて実施した正規版化戦略および有料化エコシステム構 築に向けたさまざまな行動は、次第に業界全体に受け入れられて広がりを見せていった。

テンセント 知られざる中国デジタル革命トップランナーの全貌
呉 暁波(ウー・シァオボー)
著名ビジネス作家。「呉暁波チャンネル」主催。「藍獅子出版」創業者。中国企業史執筆や企業のケーススタディに取り組む。著書に『大敗局』(I・II)、『激蕩三十年』、『跌蕩一百年』、『浩蕩両千年』、『歴代経済改革の得失』など。著作は『亜洲周刊』のベスト図書に二度選ばれる。
箭子喜美江(やこ・きみえ)
中国語翻訳者。ビジネス全般、時事経済、学術研究論文・資料等の実務翻訳および訳文校閲、連続ドラマやドキュメンタリー等の映像字幕翻訳など、幅広い分野の翻訳に従事。サイマル・アカデミー東京校中国語翻訳者養成コース非常勤講師として後進の育成にも携わる。東京外国語大学中国語学科卒。訳書に『謝罪を越えて』(文春文庫)。

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