(本記事は、呉 暁波の著書『テンセント 知られざる中国デジタル革命トップランナーの全貌』プレジデント社の中から一部を抜粋・編集しています)

「ロコキングダム」からのスタート

昼間は政界という殺し合いの場で命を賭けて戦っているフランク・アンダーウッドだが、夜は自宅に戻るとすぐ床にあぐらをかいてコンピューターのシューティングゲームに興じる。よくプレーするのは『KILLZONE 3』だ。これは、アメリカのドラマ『ハウス・オブ・カード野望の階段』でたびたび登場するシーンである。

オンラインゲームは、欧米社会では映画に続く「第九の芸術」と呼ばれており、しかも唯一インタラクティブ性を持つモダンアートの形式だ。しかし中国では、オンラインゲームはずっと大人の社会に入り込めないままだった上、大きな原罪性も伴っている。それゆえにテンセントは中国そして世界最大のオンラインゲーム企業として、長期的に非難やそしりを受けてきた。

2010年以降、中国オンラインゲーム産業の急成長時代は人口ボーナスの終焉に伴って終結したが、モバイルインターネットがこの産業の進化に向けて新たな道を切り開いた。2011年7月の第7回中国国際アニメ・コミック・ゲーム博覧会において、テンセントグループ副総裁の程武が初めて「多領域エンターテインメント戦略」という構想を提起した。すなわち「IP」(訳注 Intellectual Property、知的財産の略語だが、中国エンターテインメント産業においては小説・映画・ゲームのもととなる「作品の中身そのもの」を意味することが多い)の運営を軸とし、ゲーム運営プラットフォームおよびネットワークプラットフォームを基盤とした、複数プラットフォームにわたる多領域ビジネス開拓モデルである。

程武はこう述べた。現在のネットワーク化、デジタル化、マルチメディア化などの流れに牽引されて、ゲーム、映画、アニメ・コミックはもはや個別の存在ではなく、密につながった有機的総体を形成している。この3業界を横断する産業チェーンはすでに構築されており、統合を続けながら前進している。国外では成功例が絶えず誕生している。どの業界にいる者も、皆がオープンで提携に積極的なマインドを持ち、業界を超えたカルチャー産業をともに形成する必要がある。それにより業界の枠を超えた中国自身のカルチャーブランドを構築するべきだ。

「実は私が『多領域エンターテインメント』を提起する前に、マーク(任宇昕)といろいろ議論していた。彼もこの考えに大賛成だった。『多領域エンターテインメント』は当時はまだ会社レベルの戦略ではなく、インタラクティブエンターテインメント事業部門が大きく躍進するための一種の探求だった」と、程武はのちに筆者に語っている。当時のテンセントには、この戦略を裏づけできるものは「ロコキングダム」しかなかった。

「ロコキングダム」はテンセントが自社で開発した子供向けのオンラインエンターテインメントコミュニティゲームだ。このゲームをもとに、インタラクティブエンターテインメント部門はライセンス付与によって多様な開発を実施した。まず児童向け絵本『ロコキングダム・ペット大図鑑』を出版すると、すぐに中国児童図書ランキングで堂々の1位を獲得した。続いてアニメーション映画『ロコキングダム!聖竜騎士』を制作して国慶節シーズンに上映すると、興行収入3500万元を得た。

2012年3月、テンセントインタラクティブエンターテインメント年度戦略発表会において「多領域エンターテインメント戦略」が初めて本格的に提起され、これが馬化騰の「プラットフォーム+コンテンツ」理念の最も重要な試験場となった。

程武はこのために「多領域エンターテインメントマエストロ顧問グループ」を結成した。メンバーは、音楽家の譚盾、漫画家の蔡志忠、映画監督の陸川、コミュニケーション学研究者の尹鴻、香港の大物人形作家マイケル・ラウ(劉米高)などを含むアーティスト6名だ。程はのちにこう述べている。「実際の具体的な事業がまだ始まっていない中、『多領域エンターテインメント』は時代の先端を行く抽象的なコンセプトだった。そのため、このように『ラベルを貼る』ことにより、なるべくわかりやすくして皆に受け入れられるようにしなければならなかった」

マンガ・コミックから切り込む

「多領域エンターテインメント」は「一見とても美しい」戦略であるが、実行段階に入ると困難の連続だった。テンセントはエンジニアカルチャー色が非常に強い企業だ。理系出身者の思考が企業の価値観を決めており、トラフィックの現金化からコンテンツの多領域化に至るまで、難関だらけだった。任宇昕と程武はごく小さな突破口を探し、相手が納得するような所から切り込まなければならなかった。

二人は、これまで誰も有望視していなかったアニメ・コミックに狙いを定めた。

程武は清華大学物理学部卒で、在学中は大学の芸術団の演劇グループで業務グループ長を務めた。アートの細胞を生まれ持っていた理系学生だった。2009年にテンセントに入社するまでは、P&G、ペプシコーラなどのマーケット運営事業ラインの上級職としてマネジメント業務に当たっていた。こうした従来型日用消費財産業でのさまざまな経験がテンセントでも役立つときが来た。

程武は、オンラインゲームを利用するあらゆるユーザーグループにおいて、ユーザーの87%がアニメ・コミックを現在見たり読んだりしている、またはその需要があるということを、ある調査報告書で知った。かなり驚きのデータだった。しかも、マーベルやDCを代表とするアメリカのアニメ・コミック文化であれ、集英社や小学館などを代表とする日系のアニメ・コミック文化であれ、実は青少年に大きな影響力を持っている。それらは当初こそサブカルチャーだったが、のちにそのユーザーが大人になるにしたがって主流社会に溶け込んでいき、主流文化と化した。

中国では、ユーザーの低年齢性と産業チェーンの脆弱さにより、アニメ・コミックは一貫して大人になれない子供のような扱いだった。この業界に身を置く者は職業的な光栄感がないばかりか、マーケットでも現実的に認められることがなかった。従来型のアニメ・コミック出版は縮小が続き、ネット版のアニメ・コミックは玉石混淆で海賊版も横行していた。

最も根本的な仕事から手がけなければいけないと、程武は気づいた。任宇昕の強力なサポートを受けながら、インタラクティブエンターテインメント事業グループのチャネル部からプロダクトの研究開発を担当するディレクターを1名抜てきし、そのディレクターが率いる8名の小型突撃隊を結成した。「当時、そのチームのアニメ・コミックに対する理解はほぼゼロだった。メンバーたちは、社内起業のような気持ちで完全に未知の領域に足を踏み入れた」

アニメ・コミックチームの最初の仕事は、国外のアニメ・コミック組織と提携し、良質な作品を導入した上、国内読者への恩返しとして無料で提供することだった。程武はこう語る。「我々は、ユーザーが正規版を読むという良好な習慣を身につけて、優秀なプロダクトとはどんなものかを体験してほしいと願っていた。そして、今後の正規版コンテンツの閲覧や体験は、海賊版の粗製濫造されたコンテンツのそれをはるかに上回るものであることを彼らに知ってもらいたかった」。2012年12月以降、テンセントは日本の集英社との長い交渉の末、『NARUTOナルト』『ONE PIECE』といった優れた作品の中国での独占版権を獲得した。「独占版権なので我々が費用を支払ったが、中国のユーザーからはお金をもらわない。この行動は、実は産業を育成するためのものだった」

2番目の仕事は、中国オリジナルのアニメ・コミックを創作する能力の育成とエコシステムの構築だった。程武はプロジェクトが始動したその日から、中国が所有するコミック・アニメ創作エコシステムの形成を最大の戦略目標とした。テンセントはさまざまな漫画家と契約を結び、彼らにプロフェッショナルな創作と編集の指導を実施した。2012年以降の4年間で、テンセントアニメ・コミックプラットフォームに投稿する漫画家は5万人を超え、正式に契約した漫画家が発表した作品は2万作品を超えた。うちクリック数が1億を超えた連載漫画は40数作品あり、最も人気が高い漫画家数名の年収は100万元を突破した。これは、プラットフォーム構築以前にはまったく想像できなかった事態だった。

国内創作力の大幅な向上に伴い、テンセントは2015年にアニメ・コミック版権の海外輸出を開始した。程武が推進役となり、テンセントは日本、韓国のアニメ・コミック組織と版権委員会を結成し、優秀な中国のアニメ・コミック作品のプロデュースとプロモーションを共同実施した。

スタジオディーンは、40年の歴史を持つ日本の老舗アニメ制作会社だ。中国の漫画ファンにもおなじみの『るろうに剣心』や『らんま1/2』はいずれも同社の作品である。野口和紀社長は大変進取の気性に富んだ人で、中国の若いチームとの新たな冒険に喜んで応じてくれた。

中日双方の選定により、『従前有座霊剣山』というネット小説が原作に決まった。テンセントはスタジオディーンと共同制作グループを結成し、原作のアニメ化を進めた。完成したアニメ『霊剣山』の放送が2016年1月にテレビ東京系アニメ専門チャンネルで始まると、一挙に同月新作アニメランキングの1位を獲得し、ネットのクリック数は1億を超えた。「濃厚な中国らしさを持つこの作品は意外にも好評で、次の『封神演義』となるポテンシャルがある」と日本のメディアは論評した。

50億元で盛大文学を買収

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(画像=tsyhun/Shutterstock.com)

小さなアニメ・コミックチームは、わずか2年余りで全国最大のアニメ・コミックプラットフォームを構築した。この成功でテンセントは突如コンテンツ市場で一角の地盤を手に入れた。従来の主流層の視界には入らない出来事ではあったが、社内方針決定者たちに大きな自信を与えた。実際、早くも2013年初めのインタラクティブエンターテインメント事業グループ幹部のマネジメント会議において、任宇昕は「多領域エンターテインメント」は事業グループの三大中核戦略の一つであると明確に定義していた。

続いて劉熾平、任宇昕、程武が注目したのはネット文学だった。アニメ・コミックと比べて、当然ながらその10倍クラスのレッドオーシャン市場だ。

中国のネット文学は、かなり長く粗暴な育成期を経てきた。

北京大学を卒業した呉文輝は、2002年に玄幻文学(神話系ファンタジー)のウェブサイト「起点原創文学協会」を開設した。「起点中文網」の前身だ。翌年、起点中文網はオンライン有料購読制をスタートした。オリジナル連載小説に有料の壁を設けることにより、自サイトの運営費を得る収益モデルを築いた。

2004年、当時成長の真っ盛りだったシャンダ(盛大)が200万ドルで起点中文網を買収した。続いて榕樹下、紅袖添香、言情小説吧、晋江文学など多数の企業も取得し、一挙に国内最大のネット文学プラットフォームとなった。2013年前後、ピーク時のシャンダはネット文学市場の70%を超えるシェアを持っていた。ユーザー数は、全国ネットユーザーの24%に相当する約1億5000万人だった。

ネット文学は、誕生したその日から川上・川下に派生するという特徴を持ち合わせている。シャンダの文学プラットフォームのオリジナル作品の多く、たとえば『甄嬛伝』『歩歩驚心』『裸婚時代』などは、テレビドラマ化されて人気を博した。2006年に起点中文網への掲載が始まった墓荒らしの小説『鬼吹灯』は、著作権譲渡によって漫画版、オンラインゲーム版、映画・ドラマ版、舞台劇などの派生コンテンツが相次いで制作された。この小説の起点中文網での購読数は約2000万で、同名の紙版小説も出版されてから数カ月で4回重版し、総販売数は1000万部を超えた。

2010年初めにジョブズがiPadを発表すると、モバイルインターネットの時代が轟音を立ててやってきた。同年6月、チャイナモバイルの読書プラットフォームが公開されると、その有無を言わさぬ強力な費用徴収力によって急速にモバイル読書市場の王者となり、その年の営業収入は50億元に上った。

テンセント社内にはかなり長い期間二つのネット文学コンテンツ部門が存在していた。一つは騰訊網の文学チャンネル、もう一つはQQ閲読だ。両チームは合わせて100人を超える規模だったが、躍進するための戦略ポイントが見いだせないままだった。2013年初め、劉熾平はネット読書事業をインタラクティブエンターテインメント事業グループに移した。シャンダ文学で人事の激震が起きたのは、ちょうどその頃だった。

日増しに激化する市場競争の中で、シャンダの戦略は陳天橋の性格と同様に、何度もためらっては揺れ動いていた。2013年3月、2度の打撃を受けてナスダック上場が果たせなかったことに加え、経営陣との意見対立もあり、呉文輝は起点中文網の中核をなす当初のチームメンバーたちを引き連れてシャンダを集団で去った。2013年9月10日、テンセントは社内の全ネット文学事業を統合して本格的に「テンセント文学」のサービスを開始するとともに、同サービスは「多領域エンターテインメント事業マトリックスの重要な部分」という位置づけが確立された。2015年7月、テンセントはさらにシャンダ文学全体を50億元で買収して「閲文集団」を設立し、呉文輝がCEOに就任した。

こうした一連の動きと再編により、中国のデジタル読書市場は急激に局面が変化した。デジタル書籍版権数と収入が最大のチャイナモバイル「和閲読」、最もアクティブなモバイルユーザー群を擁する「掌閲」、そして1000万弱の文学作品と執筆者400万人を擁し、オリジナルネット文学の市場をほぼすべて手中に収めて新規参入したテンセントの「閲文」。この三つ巴の状態がしっかりと形づくられた。

「起点」時代から「閲文」時代に至るまでの13年間に、中国のデジタル読書市場はいくつかの大きな変化を経てきた。その一つ目はPC利用からモバイル利用への移行、二つ目は読者層の庶民から主流層への変化、三つ目は読書プロダクトに価値を付加するモデルに生じた変化、四つ目は読書のソーシャル化という特徴が次第に鮮明化したことである。

呉文輝の考えによれば、将来のデジタル読書プラットフォームはカスタムメード型、すなわち読者一人ひとりが読書の場に入ると自身の「読者としての身元」を設定できるようになるはずだという。読者が書籍の閲覧や検索を続けていくうち、バックグラウンドがビッグデータとしてその読者の行動を把握するようになり、識別体系ができあがる。最終的には、読者それぞれがクラウドに自身のナレッジベースを構築することになる。

2015年末、閲文はウィーチャット(微信)との提携により「ウィーチャット読書」をリリースした。これは読書ソーシャル化の試験が始まったことを意味する。

テンセント 知られざる中国デジタル革命トップランナーの全貌
呉 暁波(ウー・シァオボー)
著名ビジネス作家。「呉暁波チャンネル」主催。「藍獅子出版」創業者。中国企業史執筆や企業のケーススタディに取り組む。著書に『大敗局』(I・II)、『激蕩三十年』、『跌蕩一百年』、『浩蕩両千年』、『歴代経済改革の得失』など。著作は『亜洲周刊』のベスト図書に二度選ばれる。
箭子喜美江(やこ・きみえ)
中国語翻訳者。ビジネス全般、時事経済、学術研究論文・資料等の実務翻訳および訳文校閲、連続ドラマやドキュメンタリー等の映像字幕翻訳など、幅広い分野の翻訳に従事。サイマル・アカデミー東京校中国語翻訳者養成コース非常勤講師として後進の育成にも携わる。東京外国語大学中国語学科卒。訳書に『謝罪を越えて』(文春文庫)。

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