(本記事は、中島聡氏の著書『なぜ、あなたの仕事は終わらないのか』文響社の中から一部を抜粋・編集しています)
出勤前の服選びで疲れてどうする
話が脱線しますが、効率化といえば、「世界の偉人はいつも同じ服を着ている」ということが一部で知られています。
たとえばフェイスブックのマーク・ザッカーバーグはいつもグレーのTシャツにジーンズを履いています。アップルのスティーブ・ジョブズは黒のタートルネックにジーンズを履いていました。オバマ大統領はグレーかブルーのスーツを着ています。
彼らはなぜそういうことをしているのでしょうか。それは彼らが日常のささいな決断の数を減らそうとしているからだそうです。
日々たくさんの人と会い、様々な意思決定を行う彼らは、普段から大きな決断を迫られています。そのため会社の経営や政治に関わる重大な決断をする時に脳が疲れないよう、無駄な決断をしないようにしているのだそうです。
無駄な決断とは、ここでは服選びのことを指します。
心理学では、決断や意思決定をする際に減少する気力のようなものを「認知資源」という名前で呼んでいます。この言葉を使うと、つまり世界の偉人は認知資源を経営や政治のために温存しているということになります。服選びなどのつまらない決断で疲れるのを避けようというわけです。
私は認知資源という言葉は最近まで知らなかったのですが、「決断疲れ」を避けようとする偉人たちの気持ちはとてもよくわかりました。
私は毎日服を着る際、いつも箪笥を3センチだけ開けて、一番手前にある服を着ることにしています。服で何か仕事に影響があるとは思っていないからです。服装が仕事のパフォーマンスに影響するならともかく、そうでないことがはっきりしているのに、服にいちいち気を遣う必要はあまりないのではないでしょうか。
服選びならともかく、もっと時間を取るものがあります。それは表敬訪問です。とくに用事はないけども、ご挨拶という触れ込みで訪ねる不思議な文化です。あれは無礼の表明になりこそすれ、敬意の表明にはなりません。
ビルゲイツは私よりももっと先鋭化させた考えを持っています。最初に私が驚いたのは、彼が何らかの説明を社員から聞く時に、直接その社員からは話を聞かないことです。彼は情報をかみくだき、彼にわかりやすく説明してくれる専門の社員を雇っていたのです。
私たち社員は、ビルゲイツに何か説明をする時、その専門の社員に説明をします。するとその専門の社員がビルゲイツにわかりやすく説明をするのです。
一般のスタッフの中には、説明がうまい人もいれば下手な人もいます。そんな中でビルゲイツがいちいち顔を合わせて聞いていたら、膨大な時間がかかります。だからビルは、コストをかけてでも、説明を聞く時間を効率化するために専門のスタッフを雇っていたのです。当時ビルは、常時二人の説明専門家を雇っていました。
さらに、彼が参加するプレゼン会議では、発表者が発表をする時間が設けられません。彼のいうプレゼン会議とは、発表者との質疑応答の時間のことを指します。したがってスライドを動かしながら説明をするといったことはしません。資料は前もって送り、当日、質問を受けるだけです。これは究極の効率化です。
そこまで効率化を図りつつも、しっかりと会議をする目的は果たします。会議室に入っていきなり「3ページ目の開発ほかのグループがやってるけど、きみは知らないのか」など鋭い突っ込みが入ります。そして会議は最長で30分という時間が決められています。ですのでちゃんと受け答えの準備ができていないと、うなだれて帰るのがオチになります。
ビルゲイツはとにかく仕事の効率化を図っている人です。私も彼ほどまでに厳しくはできませんが、ビルゲイツが世界一の大金持ちになった理由の一旦は、彼の時間の使い方にあったのだと確信しています。
意思決定の速さ
もう一つビルゲイツが仕事で重要視していたのは、迅速な意思決定です。これについては、どのぐらい迅速だったかを象徴するエピソードを紹介します。少し長いですがお付き合いください。
あれは忘れもしない1995年1月、シアトルの冬らしい小雨の降る昼下がりのことでした。
米マイクロソフト本社内にはWindows95の開発に関する派閥争いがありました。カイロというグループとシカゴというグループの対立です。
もともとカイロが、前作のWindows 3.1に続く次世代OSを開発する予定だったのですが、カイロは進捗が悪く、その間を埋めるためにシカゴというグループが結成されました(OSとはマイクロソフトで言うWindows Vistaだったり、アップルでいうところのOSXなどのパソコンやスマホを動かすための基本ソフトのこと)。
シカゴはハッカーを寄せ集めた職人集団というイメージで、スタンフォード大学の博士号を取ったような人たちばかりのカイロとはまったく毛色が違いました。
私はもともとカイロに所属していたのですが、退屈なミーティングが多くて嫌だったので、上司と喧嘩したのをきっかけにシカゴに移りました。シカゴならカイロよりも風通しがよく、自分のアイデアもすぐ仕事に反映できると思ったからです。
シカゴに移った私は、カイロにいたころに取り組んでいたプログラムを一部持ち込んできました。一言でいえばアイデアを盗んできたということになりますが、同じ社内だし、そもそもそのプログラムをカイロで設計したのは私だったので、犯罪でも何でもなかったのです。
しかしその後、カイロの人たちに、アイデアをシカゴに持って行ったことがばれ、怒られました。スパイだとも言われました。カイロの人たちは社長であるビルゲイツに直談判して社内裁判を開きました。
シカゴでの私の上司は、「今度ビルゲイツの前でプレゼンすることになったから、全部きみに任せるね」とあっさり私に告げました。それにもびっくりしたのですが、それ以上に、カイロから送られてきた資料にも驚きました。
約400ページの資料には、私がシカゴに移って組み上げたプログラムがいかに張りぼてで手抜きかということが延々と書かれていました。
確かにその指摘は間違っていませんでした。前述したように、私は「兵は拙速を貴ぶこそ仕事の要諦」と考えています。
早く仕事に着手することを起点にして、70点でも80点でもいいから速攻で仕事全体をまず終わらせてみることこそ重要という主義です。そういう風ですから、細かいバグが膨大にあったことは認めます。
しかしそれにしても、カイロの頭でっかちのサイエンティストたちは机上の空論ばかり振りかざしているように見えました。こんな細かい指摘ばかりしていては、いつまで経っても仕事は終わりません。
この400ページの資料も全部読もうとしても眠くなってしまうので、数ページめくってからそっと閉じ、社内裁判に出席することに決めました。
プレゼンの日は刻々と近づいていましたが、プレゼン資料を用意する気にもなりませんでした。技術的に細かなことで闘うのではなく、これはマイクロソフトのカルチャーに関わる問題だということを明らかにしたほうが良いと思ったのです。
カイロのような仕事の仕方では決してものは出せないことをビルゲイツに納得してもらうのです。
裁判当日、私は取締役会議用の会議室に通されました。そこには、マイクロソフトのトップ5のうち、営業の長であるスティーブ・バルマーを除いた全員が出席していました。
副社長のブラッド・シルバーバーグとジム・オルチン、オフィス開発グループリーダーのブライアン・マクドナルド、上級副社長のポール・マリッツ、そしてビルゲイツ。このそうそうたる顔ぶれを見て、私はとんでもなく重大なミーティングに参加しているということに気付かされました。
こうなると緊張どころか、逆にワクワク感が募って来ます。
これだけのメンツがそろっている前で、自分の仕事の重要性を主張する機会は滅多にありません。机上の空論ばかりを繰り返しているカイロに負けるわけにはいかない。アドレナリンが血中に放出されるのを感じました。
裁判が始まりました。まずカイロ側が例の400ページの資料を出して、シカゴの仕事がいかに適当でだめだめかということを話しました。その時、私は400ページの資料を読んでいなかったことを後悔はしませんでした。私なりの戦い方の準備をしていたからです。
私の発言の機会が回って来ました。何も資料は作っていませんでしたが、一つだけ用意してきたものがありました。あるデータが入ったCD-ROMです。その中身を披露しながら、私はビルゲイツの目を見据えてこういいました。
「カイロチームの主張にも一理あるけども、完璧なアーキテクチャ(基本設計)を追い求めていては、永遠にものは出せません。Windows95のリリースはあと6ヵ月に迫っています。
いつになったらリリースできるか分からないカイロにマイクロソフトの将来を任せるというのはどう考えても間違っています」
次世代OSをめぐるカイロとシカゴの戦いは、どちらの時間の使い方が正しいかをかけた戦いでもあるということです。
ビルゲイツはこの間ずっと両手を体の前に合わせ、少し前屈みで、体をゆっくりと前後に揺らしながら聞いていました。考えながら真剣に人の話を聞いている時の彼のスタイルです。
一通りの意見を聞き終えると、ビルの体の揺れが止まりました。「何か重要な発言をするのか」と私は身構えました。
しかし、ビルは単にポール・マリッツのほうを向き、目配せをしただけでした。するとポールが「ここでこのまま待つように」と言って立ち上がり、ビルと一緒に部屋から退出しました。
恐らくビルの頭の中では結論が出たのでしょう。それをポールと再確認したうえで、最終決定として伝えるつもりなのです。
ビルとポールが退出していた時間はわずか3分ほどでした。けれども部屋には妙な沈黙が流れていて、私にはそれが1時間ぐらいに感じられました。
部屋にいる全員が、次に彼らが部屋に戻って来た時には、裁定が下され、それには誰も口をはさめないことを知っていました。
シカゴとカイロという莫大な開発費をかけた2つのプロジェクトの命運が、今日この場で決まるのです。
ドアを開いて、ポールを先頭に二人が部屋に戻って来ました。運命の瞬間です。
「カイロプロジェクトはキャンセルする」
開口一番、ビルはそういいました。
カイロプロジェクトキャンセル。それはすなわち、4年に渡ってカイロが開発していたOSをなかったものにするという意味です。400人を超える大所帯のカイロを解散することをその一瞬で決めたのです。
逆に言えば、シカゴで開発していたOSをマイクロソフトの次世代OSとしてリリースする方針に決定するということでもあります。
その次世代OSとは何でしょうか?
それは、私が証言していた時に実際に動かしていたCD-ROMにすでに格納されていました。その中身は、シカゴに移った後に完成させていたベータ版のWindows95だったのです。
この裁判はまさに、私の提出した仕事が会社のトップに認められた瞬間でした。そしてこの重要すぎる決断は、たったの3分で下されたのです。
世界初「右クリック」の概念は、こうして生まれた
ビルゲイツの話が続いたので、余談になりますが、私が米マイクロソフト勤務時代にカイロからシカゴに持ち込んだというアイデアについて少しお話します。
それまでのOSでは、あらゆる操作をキーボードでのコマンド入力で実行していました。マウスは存在していましたが、まだ今ほど便利で優れたツールではありませんでした。では、Windows95で何が起きたのでしょうか?
それはみなさんおなじみの右クリックとダブルクリック、そしてドラッグアンドドロップです。この概念を私は、ビルゲイツの前での公開裁判の中で披露した、ベータ版の中にすでに組み込んでいました。
みなさんご存じの通り、Macintoshのマウスにはボタンが1つしかありません。これは昔からそうです。一方、Windowsにはボタンが2つあります。とはいえ当時は左ボタンを使うことがメインで、右のボタンは今ほど使うことはありませんでした。
しかしWindows95になってから、右クリックの使い勝手は飛躍的に向上しました。デスクトップ画面の何もないところで右クリックすることで、画面のプロパティやアイコンの整列などの操作をするメニューが開きます。テキストファイルの上で右クリックすると同様にメニューが開きます。
また、ドラッグアンドドロップも大きな変化の一つです。たとえば、要らない文書ファイルのアイコンをクリックしたまま「ごみ箱」のアイコンの上に持っていけば、文書ファイルを削除することができます。
Windows95はユーザーがパソコンに詳しくなくても簡単に操作がわかるように、グラフィカルな設計がなされたのです。今の感覚からするとずいぶん当たり前なことですが、当時としては画期的なことでした。
グラフィカルな設計といえば、ダブルクリックもそうです。文書ファイルのアイコンをダブルクリックすると自動的にワープロソフトの編集画面が立ち現われ、音楽ファイルのアイコンをダブルクリックすると自動的にプレーヤーが立ち現われて再生が始まります。
ファイルをシングルクリックした場合、その後ユーザーが選択するコマンドは「ファイルの編集」「コピー」「転送」「再生」など、様々な種類が考えられます。
しかしダブルクリックは、文書ファイルなら文書ファイル、音楽ファイルなら音楽ファイルといった対象を選択したうえで、ダブルクリックという操作をするだけで、自動的に「編集する」「再生する」といったコマンドが選択されます。
このように、何らかの対象(オブジェクト)を先に選択したうえで動作を指定することをオブジェクト指向といいます。
オブジェクト指向のわかりやすい例として、私たちがいつも使っている日本語が挙げられます。
あなたがテーブルの上の塩を取ってほしい時、あなたは「すいません、塩を……」まで言葉にしたところで一呼吸置くと思います。
それはなぜなら、「塩」という対象を指定した時点で、あなたが相手にしてほしいことは決まり切っているからです。相手もそれをわかっているので、「塩をどうしろっていうんですか?」なんて野暮なことは聞きません。
エレベーターに乗り合わせた人に「すいません、12階を……」とか言うのも同じことです。これも12階という対象を指定した時点で、12階のボタンを押してほしいということは決まり切っています。
これはWindowsにおけるダブルクリックと非常によく似ていると思いませんか?このようなグラフィカルでオブジェクト指向な機能を思いつくことができたのは、もしかしたら私が当時マイクロソフトで唯一の日本語話者だったからかもしれません。
日本人的な会話の作法を取り入れた結果、Windows95が世界を席巻したと考えると、感慨深く思います。
先日も、深夜に口もききたくないくらい疲れきってタクシーに乗った時に、この「オブジェクト指向」言語である日本語を理解する運転手(平たく言えば普通の運転手)に助けられました。そこでは次のような会話が展開されました。
「すいません、経堂まで……」 「はい、経堂までですね。道はどうしましょう?」 「あ、環七経由で……」 「はい、環七から赤堤通りですね」
(しばらくして)
「その信号を左に……」 「はい、ここを左ですね」 「それで、そこの行き止まりの所で……」 「はい、かしこまりました」
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