(本記事は、長谷川高氏の著書『不動産2.0』イースト・プレスの中から一部を抜粋・編集しています)
キャッシュフローを生む不動産が唯一の資産
●資産性のある不動産はどこにあるのか
現金、社債、国債、株式、不動産、ゴールド……。現在、「資産」と呼べるものは、このあたりでしょうか。
昔からよく言われる資産運用の鉄則に、「資産を三分割しなさい」という教えがあります。つまり、「現金と株式と不動産の3つに分けなさい」という意味ですが、この戦後の日本においては、不動産ほど確実に値上がりしていた資産はありませんでした。
不動産こそが最良の投資対象である、と断言していた経営者や投資家も大勢いました。実際、不動産によって莫大な資産を築いた方々が多数いました。とくに戦後、住宅地になりうる農地をたくさん所有していた農家の中から、多くの資産家が生まれた事実があります。
ところが現在は、これまで述べてきたように、なかなか値段がつかない、現金化ができない不動産が、日本のあちこちに続出しています。「広大な土地を所有していれば資産家である」とは言えなくなってきたわけです。今の日本では、「資産性のある不動産」は限定されてきています。資産性のある不動産とは、一つは私たちが住む、住宅地としての不動産です。
住宅地の資産価値は、戦後、長きにわたって急激な上昇を続けてきました。しかし、今では多くのエリアで頭打ちになっています。地方の住宅地どころか、東京郊外の住宅地でさえ、すでに値下がり傾向にあるエリアが広がってきました。
その要因は、やはり少子化であり生産年齢人口減少です。自宅として住宅を買うことができるのは、統計的な区分でいえば生産年齢人口に当たります、労働者の人口です。この生産年齢人口が、確実に減少しています。
結果、住宅市場の需給バランスが崩れているのです。今後も基本的には、買い手市場の状況が続いていくことになります
団塊世代に続いて人口が多いのは団塊ジュニア世代です。この世代は、最悪の不況期に社会に出る時期を迎えたことで、大変な就職難を経験しました。そのため、氷河期世代、ロストジェネレーションとも呼ばれています。
彼らは、親の世代とは異なり、モノを所有することにこだわりがないのが特徴です。不動産業界の立場から言えば、「笛吹けども踊らぬ世代」です。
「一生、賃貸でかまわないのでは?」「長期のローンを背負うリスクを抱えてまで、家を持つ必要はないのでは?」このような考え方を持った世代です。
そして、この世代に続く大きなボリュームゾーンは、日本には存在しないのです。
●増え続ける「空き家」問題
現在、全国に約850万戸の空き家があると言われています。人口の多い団塊世代が、今後さらに高齢化することで、さらに空き家は加速度的に増えていくでしょう。
こうした状況をふまえると、総論として住宅地の資産価値は、年々下落していくと予測できます。当然、投資対象としてそのような資産を持とうとする投資家はいません。私のまわりでも、日本の住宅地に長期的に投資している人は皆無です。
近年、各地で道路の新設・拡幅計画がスムーズに進んでいます。とくに東京中心部では、東京オリンピックを前にこうした道路工事が増えているのですが、目立ったトラブルはないようです。
一体、どうしてでしょうか?それは、かつてのように地権者がごねなくなったからです。つまり、ごねたところで将来価格が上がるわけではない、むしろ時間が経つにつれて下がっていくかもしれないことを地権者はよくわかっていて、買収に積極的に応じるようになったのです。
では、住宅地以外の不動産の資産価値は、どのように測ればよいのでしょうか。ひと言で言えば、「安定したキャッシュフローを生むかどうか」で決まります。その不動産を保有することで、収益を得られるかどうか、です。
かつては山、山林が、資産家にとって大きな資産でした。しかし昨今、木材に値段がつかないケースが多くなったことで、「この山の価値はいくらか?」という問いに答えることが難しくなっています。
最近では、国策によって再生エネルギーへの転換が進められているため、太陽光発電、風力発電の設置場所として、山の価値が見直されるようになりました。林業としての山の価値は極めて低いものの、発電施設としての価値は存在し、それなりの価格を形成するようになっています。
ただし、これにも条件があります。稜線に風が吹かなければ、風力発電は成り立ちません。日当たりのよい、なだらかな斜面地でなければ、太陽光発電も成り立ちません。
近くに鉄塔や高圧線があるかどうか、つまり、売電可能な立地かどうかも重要です。
かつては、どれだけ良質な杉やヒノキが植えられているかで、山の価値が算出されました。それと同じように、発電・送電にふさわしい環境かどうかで、山の価値は大きく変わってくるのです。
仮に将来、日本の林業が復活するようなことが起こるならば、ふたたび「山」が見直される時代が来るかもしれません。しかしそれには国産製材に関する需要の復活が欠かせません。
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