(本記事は、テンダイ・ヴィキ氏、ダン・トマ氏、エスター・ゴンス氏の著書『イノベーションの攻略書 ビジネスモデルを創出する組織とスキルのつくり方』翔泳社の中から一部を抜粋・編集しています)
イノベーションが失敗する理由
究極的には、既存企業が既存事業と同じ管理プロセスをイノベーション・プロジェクトに当てはめるのを決めた時点で、イノベーションは失敗に終わる。イノベーションにおいて収支計画の数字は意味をなさない。ROI(投資収益率)、NPV(正味現在価値)、ARR(年間経常収益)の想定値はすべてフィクションなのだから。こういった数字をもとに投資するのは、「信念を持って博打を打つ」のとたいして変わらない。先に述べたのと同様にこのやり方もまた、従来型のマネージャーが既存市場向けの「確実な」事業案に投資する習慣に陥ってしまう原因の1つである。
感覚的には、イノベーション・ラボを作りさえすればイノベーターを社内の有害な環境から切り離すことができると経営者は感じるかもしれない。しかしながら、イノベーターが取り組みたいことに何でも取り組める管理プロセスをイノベーション・ラボ向けに構築しないことが、イノベーション・ラボ失敗の原因となるのだ。一般的に創造性と革新性は混同されやすい。経営陣はすごい新製品を作り出すことを成功と考えがちで、そのため現場のマネージャーたちはスタートアップと同じようにインキュベーターやアクセラレーターを介して、かっこいい新製品を開発すべく尽力する。しかしこれは大きな誤解で、イノベーションの本質はそういうことではないのだ。
イノベーション・ラボに対する投資は、収益性が悪いことも多い。プライス・ウォーターハウス・クーパース(PwC)の戦略・ビジネス部門では12年以上にわたり、世界で最も革新的な企業トップ1,000社の年次報告書を公表してきた。そこでは、研究開発費と財務業績との間に、統計的に有意な関係は見られなかった。研究開発費の総額や、売上高に対する研究開発費の割合も同様である。研究開発への投資額は、売上や利益の成長、あるいは時価総額や株主還元率の増加とは無関係なのだ(図1-1)。PwCの戦略・ビジネス部門が公表したすべての年次報告書において、革新的な企業の上位10社は、必ずしも研究開発費の支出額では上位10社に入らないことが確認されている。
研究開発への投資は、その企業の保有特許件数を増やすだろう。しかし、保有特許件数はイノベーションではない。米国特許庁には、一度も商業的に成功したことのない莫大な数の特許がある。私たちはイノベーターが優れた製品の開発に成功したにもかかわらず、花開かずにすたれてしまった例を数多く目にしてきたが、その原因は製品を拾い上げて事業として育てるマネージャーが企業内にいないからである。これらの優れた製品は誰からも相手にされなくなり、最終的には放棄され、イノベーターのやる気を失わせるような結果になる。
企業がイノベーションをやり遂げるためには、社内に優れたプロセスを確立する必要があることはすでに述べた。明確なプロセスなしには、イノベーターは適切なレベルの支援を受けられない。そのような状況下では、革新的な新事業を自社の本業に統合するための「達成条件」が明確でないことが多い。また、イノベーション・ラボで働く社員のキャリア・パスも明確でない。結局のところ、革新的な事業案の将来を左右する意思決定には、主力事業のしかるべき人間の関与が常に必要というのが、事の真相なのだ。こういった人々が新たなイノベーションをどう見るかが、生み出された新事業案の死亡率を最終的に決めることになる。
企業内スタートアップにおけるイノベーション
イノベーションの管理プロセスを作り上げるのに適切な出発点は、イノベーションとは何かを明確に定義することである。イノベーションは単純に、「価値を生み出す新たな創造」と定義されることが多い。しかし私たちの観点からすると、イノベーションの概念は単なる創造性とは明確に異なり、3つの重要なステップで構成される。最初のステップは、洞察を引き出すさまざまな手法を使って、斬新で創造的なアイデアを生み出すことだ。第2のステップは、アイデアが顧客への価値を生み、ニーズを満たすのを確かめること。そして最後のステップは、持続可能なビジネスモデルを見つけることである。このステップでは、「持続的に利益を生む方法」で顧客に価値をもたらせることを確かめる必要がある。
これらのステップから明白なのは、成功するイノベーションの定義が「優れた新しいアイデア」と「収益性の高いビジネスモデル」の組み合わせであるということだ。つまり、企業内スタートアップにおけるイノベーションの定義は次のようになる。
顧客に価値を提供し、継続的に収益を生み出す新製品・サービスの創出
この定義は、すべての組織でイノベーションが果たすべき役割といえる。単に新しい製品やサービスを作るだけではない。新製品は方程式の一部になるかもしれないが、イノベーションの最終的な成果は持続可能なビジネスモデルである。私たちの新たな創造物が顧客に価値を提供し(すなわち人々の望むものを作っており)、さらに利益を上げることができるとき(つまりお金を稼げるとき)、そのビジネスモデルは持続可能である。この2つの要素なしに新製品をイノベーションとみなすことはできない。それは単に素敵な新商品である。ひょっとすると、それは歴史上最も創造的な製品である食パン以来の、最高に素敵なものかもしれないが、それが顧客に価値を提供して利益を生まなければ、イノベーションとは呼べない。
さらに私たちのイノベーションの定義は、企業内イノベーターの職務内容の明確な説明にもなる。「人々が欲しがる製品を作ることで、わが社が利益を得られるようにするのがあなたの仕事です。あなたの創造性が顧客のニーズを満たし、ニーズに応えることで儲けられれば完璧です」という具合だ。また、イノベーションの形態によっては新製品や新サービスを必要としないことを明確にしておくのも重要である。顧客の目に直接触れることのない、内部のビジネスプロセスに注力してイノベーションを起こすことも可能だ。これは本書の主な対象ではないが、このような形態のイノベーションにおいても持続可能な価値を提供することが重要である。
レッド・ピルかブルー・ピルか※ ※訳注:映画「マトリックス」からの引用。レッド・ピル、すなわち赤い錠剤を飲めば現実を知ることができる。ブルー・ピル、すなわち青い錠剤を飲めば居心地のよい虚構の世界に安住できる
上述の定義から明らかなのは、イノベーションには既存製品とは異なる管理プロセスが必要という事実だ。企業風土を熟知し、経営陣の信任をどれだけ得ているかによって、さらにはイノベーターの社内政治への意欲によって、これらのプロセスをどう突破するかは異なってくる。ときには、幹部たちの全面的な支持を得られないこともある。幹部陣の意識がドル箱事業に集中しており、支援してくれるのは将来へのビジョンを持った数名のリーダーのみという状況だ。このような場合、イノベーターは会社を辞めてもっと環境のよい新天地に移ろうと考えるかもしれない。
会社を辞める代わりに、イノベーターが社内でゲリラ活動を始めることもありうる。企業内イノベーションのための反体制活動である。リーン・スタートアップに関する著名なコンサルタントで、イノベーション・エコシステムの設計者であるトリスタン・クローマーは、そのような活動をやり遂げる方法について2つの助言をしている。第1の助言は、イノベーターは「イノベーションのコストを下げるべき」というものだ。これをうまく行えば、大きな予算の承認を得る必要はなくなる。リーン・スタートアップ、デザイン思考、顧客開発ツールは、イノベーションのコストを下げるための優れた手法としても機能する。
それに加えて、自分たちのアイデアを事業として拡大するための資金を投資してもらうために、イノベーターは社内で何度か表舞台に出る必要がある。また、プロジェクトが進展した結果として、イノベーションのコストを墘く抑えることが難しくなる可能性もある。このような状況に対処するためにトリスタンは第2の助言として、イノベーション・チームに「外交官」を置くことを推奨している。社内政治を担い、イノベーション・プロジェクトの道を切り開くという重責を負う人たちだ。外交官に向いているのは、事業部門に人脈があり、かつ尊敬されていて、社内の官僚主義的な組織の枠組みの外で行動し、好条件を引き出し、物事を成し遂げられる人である。外交官がいなければ、ほとんどのゲリラ・プロジェクトは開始と同時に消滅してしまう。
ゲリラ活動もときには成功することがある。しかし、たとえそうだとしても、最も好ましくない最後の選択肢であるということを心にとどめておかなくてはならない。ゲリラ活動をすれば、チームはいつも自分たちの仕事に予期せぬ障害が発生しないか背後を警戒することになる。また、経営陣からの支援や外交官を失った場合に、簡単にイノベーションへの取り組みが危険にさらされる。ゲリラ的な戦術は機能しうるが、事業アイデアの死亡率は極めて高い。これが、私たちが会社の動きを変えるために「全面攻撃」を好む理由である。
全面攻撃作戦では、イノベーターは困難な問題に正面から取り組むことになる。しかし、長期的に持続可能なイノベーションは、会社が支援するエコシステムの中でのみ可能である。そのためには、トップレベルの経営幹部と中間管理職の信任を得ることが重要だ。将来的に支援や資源が必要な状況となったときに、彼らの「援護射撃」が役立つ。援護射撃を受けるためには、既存事業と戦略的な方向性が一致していることが鍵になる。経営陣がイノベーションを実施するために自社の能力を変化させ、適応させると確約しなければ、イノベーション・エコシステムは構築できない。このイノベーション・エコシステムを構築するための原則が本書の重点テーマである。
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