(本記事は、テンダイ・ヴィキ氏、ダン・トマ氏、エスター・ゴンス氏の著書『イノベーションの攻略書 ビジネスモデルを創出する組織とスキルのつくり方』翔泳社の中から一部を抜粋・編集しています)

新興市場には魅力がない?

ポートフォリオ
(画像=Mockup Cloud/Shutterstock.com)

2016年の初めに、「Inc.」誌は毎年恒例の急成長企業トップ5000社の特集記事の一環として、教育業界における急成長企業トップ50社を発表した。新興の教育企業各社の成長率は驚くほどで、中には1552%もの成長率を誇る企業もあった。最も低成長の企業でさえ87%と素晴らしい成長率だ。また各社の平均成長率は301%であった。しかし成長率には、業種破壊のヒントは隠されていない。業種破壊の秘密は、企業各社の売上数値にあるのだ。

「Inc.」誌に掲載された急成長企業の中で、キャプチャー・エデュケーションの売上はわずか210万ドルだった。最大の売上はカリキュラム・アソシエイツの8350万ドルである。実際のところ、トップ50社のうち37社はいずれも売上が1,000万ドル未満であった。この小さな数字にこそ、既存の大企業にとっての危険が隠されている。どうして数十億ドル規模の売上を誇る大企業が、売上がたった210万ドルしかないどこかの小さなスタートアップに注意を払わなければならないのか?仮に大企業にこの売上を追加したところで、株主の求める成長率には遠く及ばないではないか。

これこそ、小さな(新興)市場は大企業の成長ニーズを満たさないという、クリステンセンが提唱する破壊の第2の原則なのだ。10%成長するためには、売上2000万ドルの企業なら200万ドルの上乗せで十分だが、売上50億ドルの企業には5億ドルが必要になる。経営的には大企業の短期的な成長ニーズを満たさない200万ドルの事業アイデアを却下することは理にかなっている。

売上を生み始めるまでに長い期間を要する変革領域のイノベーションの場合はさらに厳しい。長期視点の事業は、四半期ベースの業績評価ではよい結果が出ないのだ。すると、短期的に大きな売上を生む安全確実な収益源を探した方が正しいように見える。このような経営判断には何の他意もない。ところが、これが業種破壊を生み出す原因になるのだ。

大企業の経営幹部は、自社の成長ニーズに見合う大きさになるまで新興市場への参入を待ったり、スタートアップ企業が買収に見合う大きさに成長するまで待ったりすることがある。この戦略が功を奏することもあるが、スタートアップには「自社を売らない」という選択肢が常にあることを肝に銘じておくべきだ。中には優れた技術を生み出し続け、大企業からシェアを奪って成長し続けるスタートアップも出てくる可能性がある。そしてあるとき、生意気なスタートアップに最重要顧客すら奪われたことに気づくのだ。大企業にとって、早い段階で新興市場に進出する必要があるのは明白だ。そのために必要になるのは、具体的な実行方法を示す戦略的フレームワークである。本章の目標は、そのために利用可能な事業ポートフォリオ・フレームワークを提供することだ。

イノベーション・ポートフォリオとは

大企業はスタートアップではないので、自社を1つのビジネスモデルで動く単一組織と考えて行動することをやめなければならない。イノベーション・エコシステムを発展させるためには、自社を製品やサービスのポートフォリオとしてとらえる必要がある。そのための最初の一歩として、イノベーション投資方針を作成し、イノベーションの長期目標を設定することが望ましい。「探索」と「実行」を区別することも、イノベーション・ポートフォリオを構築するうえで有効である。この視点で評価すれば、収益性のあるビジネスモデルを探索中の新規事業と、実行フェーズに移行した実証済みの事業とを区別して評価できる。企業は探索中の事業と実行中の事業の両方を常に持っておかなければならない。

最終的な理想形は、第2章で作り上げたイノベーション投資方針に従って適切な事業ポートフォリオを構築し、事業環境が大きく転換したときにはすでに新たな競争優位の探索を遂行中、という状況を実現することである。危機が訪れる前に、イノベーション投資方針や適切な事業ポートフォリオを実現しておけば、危機への反応、適応、対処をするうえで自社が有利になる。コダックは、保有特許においてかなり恵まれた状況にあった。しかし特許を活用した事業立ち上げを活発化し始めたのは、倒産の危機に陥った後だ。戦略的事業ポートフォリオ管理とは、日々の事業活動の一環として、先を見越したイノベーション・ポートフォリオを構築しておくことである。

イノベーション・アンビション・マトリックス

では、積極的にイノベーション・ポートフォリオを構築したい企はどうすればよいのだろうか?そのための基盤整備に利用可能なフレームワークがいくつかある。私たちがよく利用するのは、適切な事業ポートフォリオ構築のためにナジー・バンシーとタフ・ジェフが考案した、「イノベーション・アンビション・マトリックス」である(図3-1)。このフレームワークは「アンゾフ・マトリックス」の応用形であり、製品軸(新規製品と既存製品)と市場軸(新規市場と既存市場)の2軸で構成される。ただし、アンゾフのような4象限のマトリックスではなく、ナジーとタフは中核、隣接、変革という大まかな3領域に分けている。

3-1
(画像=『イノベーションの攻略書 ビジネスモデルを創出する組織とスキルのつくり方』より)

●中核領域のイノベーション

この領域では、企業は既存顧客向けの既存製品の継続的な改善に注力する。パッケージのリニューアルや、小規模な製品設計の変更、サービス改善がこれにあたる。重要な点は、これらのイノベーションは既存資産を利用し、すでによく把握している顧客向けに実施することだ。これは大企業が得意とする最適化の典型である。

●隣接領域のイノベーション

この領域では、企業は現在うまくいっている製品を新市場に適用するか、あるいは既存市場向けに新製品や新サービスを提供する。重要な点は、企業が既存能力を新しい用途に利用することである。既存市場に隣接する市場への進出、あるいは既存能力を活用した新事業開発は、背伸びではあるものの、通常は多くの大企業にとって実行不可能な話ではない。

●変革領域のイノベーション

この領域では、新市場向けの新事業を創出することに注力する。たいていの場合、企業は新たな能力、製品、サービスの開発を進めつつ、同時に新市場で新事業に対する需要を検証しなければならない。既存事業を運営しながらこのプロセスを進めることは、大企業にとって非常に困難である。事業の魅力という点においても、事業化にリスクを伴い、収益化に長期間を要するため、大企業から見ると「いい話」とは考えづらい。

3つの地平線モデル

イノベーション・アンビション・マトリックスは、マッキンゼーの考案した3つの地平線モデル(図3-2)のフレームワークと類似している。『The Alchemy of Growth』(1999年、Basic Books)に掲載されているこのフレームワークを企業が使えば、既存事業の収益性を犠牲にすることなく、将来の成長を管理するための視点が得られる。3つの地平線(Horizon)はそれぞれ、以下を表している。

3-2
(画像=『イノベーションの攻略書 ビジネスモデルを創出する組織とスキルのつくり方』より)

●地平線1(H1)

現時点で利益やキャッシュフローを生み出す既存の中核事業や製品が該当する。既存のビジネスモデルの最適化と、売上および利益の最大化に注力するという点で、中核領域のイノベーションと近い意味を持つ。

●地平線2(H2)

近い将来に継続的な利益を生む可能性が高い、顕在化しつつある事業機会が該当する。製品やサービスへの一定の投資を必要とする可能性があるが、大規模なリスクを伴うことはないという点で、隣接領域のイノベーションと似ている。その理由はH2製品の多くが、新市場へ投入したH1製品だったり、検証済みのH3製品の事業拡大であるからだ。このような事業機会の拡大に向けた投資は、大きな売上を企業にもたらす可能性が高い。

●地平線3(H3)

将来の利益成長につながる可能性のある画期的なアイデアが該当する。これらは「常識の枠を超えたアイデア」であり、将来動向、新技術、新市場に対する投資でもある。企業が新市場向けの新規事業を検討する点で、これは変革領域のイノベーションと似ている。その意味では、企業が研究開発やイノベーション・ラボに投資するだけでなく、スタートアップに資本参加することも考えられる。

これらフレームワークの要点は、大企業が自社の事業ポートフォリオを視覚化し、吟味する方法を明確化していることである。企業にとって重要なのは、これら3つの地平線や3種のイノベーションすべてを網羅する製品群を持つことだ。もし企業の事業ポートフォリオに中核製品しかないのであれば、その企業は環境変化に適応する備えが整っていないといえる。適切な事業ポートフォリオがどのようなものかについて解説する前に、クリステンセンの破壊的イノベーションと、これらのフレームワークとの関連性を明らかにしたい。

イノベーションの攻略書 ビジネスモデルを創出する組織とスキルのつくり方
テンダイ・ヴィキ
イノベーション戦略コンサルティング会社であるベネリ・ジェイコブスの創業者兼主席コンサルタントとして、企業がスタートアップ同様にイノベーションを起こすための社内エコシステム構築を支援。博士号(心理学)とMBAを取得している。フォーブス誌にも寄稿を行う。プロダクト・ライフサイクル手法は2015年にニューヨークで行われたコーポレート・アントレプレナー・アワードにおいてベスト・イノベーション・アワードを受賞した。
ダン・トマ
世界各国のハイテクおよびインターネット関連スタートアップに起業家として関与した経験を持つ、欧州のアントレプレーナー・コミュニティのリーダー的存在。ドイツテレコム、ボッシュ、ジャガー、ランドローバー、アリアンツといった企業を顧客に持つ。エコシステムを通じたイノベーション実現アプローチの主要な提唱者として、アジアや欧州の各国政府に対する国策イノベーション・エコシステム構築や国策イノベーション戦略立案の支援も行う。
エスター・ゴンス
ネクスト・アムステルダムの共同創業者兼出資者として、アイデア段階から有効なビジネスモデル構築までのスタートアップ支援を行う。アムステルダム応用科学大学のコミュニケーションおよびマルチメディア・デザイン学科においてアントレプレナーシップ講座を開設。さらに、国際的な講演者として2011年に最初のスタートアップ・バス・ヨーロッパ・ツアーを主催するとともに、過去6年にわたってロックスタート・アクセラレーターの主席メンターを務める。

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