(本記事は、和中清氏の著書『中国はなぜ成長し、どこに向かうか、そして日本は?』クロスメディア・パブリッシングの中から一部を抜粋・編集しています)
【政治と指導者から考える】戦略の強みと大胆さ
戦略に強くなる要因
中国の成長要因を考える時、「戦略の強みとその大胆さ」が思い浮かぶ。計画経済の中国が市場経済を取り入れ開放を進めたこと自体が戦略的である。そこには計り知れない決断と大胆さがあった。戦略を生み出す「政治家の能力」も重要な要素であるが、これは本記事の後半で取り上げる。
人間は慣れ親しんだ環境の変化には臆病である。そこに保守的な心理が働く。だが何事も古い殻を脱ぎ捨てないと新しい芽は生まれない。「自捨新生」である。中国は見事にそれを成し遂げ成長を果たした。元来、中国人には自分を捨てるという考えはない。しかし改革開放はそれを見事にやってのけた。
中国の戦略の巧みさは経済成長の軌跡をたどる時、随所に現れる。改革開放の「深圳の実験」「南巡講話」「上海浦東開発から各地の経済開発区に改革開放を移行」したのも巧みな戦略である。「外資導入の大胆な優遇政策」「土地使用権制度」も戦略的である。
高速道路や高速鉄道などのインフラ整備も成長を支える長期戦略のもとに建設されている。高鉄は「一帯一路」と有機的につながり「成長の大回廊」を形成している。ネット社会への対応も戦略的である。中国は日本よりはるかに速いスピードで都会の「財布を持たない生活」を実現させた。
中国は投資牽引経済と批判されるが、それは違う。「投資は将来の消費」である。「大胆な投資戦略」により「巨大市場」は生まれる。批判する人には「動的中国」が見えていない。戦略は先を読む判断と決断から生まれる。「戦略に強い」とは「判断力、決断力に強い」ことである。中国の政治家が判断力、決断力に強くなるのは五つの要素が大きい。一は「地勢的要因」、二は「ゼロからの出発」、三は「人口圧力」、四は「指導者の経験」、五は「アジアの矜持」である。
地勢的要因
「地勢的要因」とは中国は多くの国と陸続きで国境を接しているということである。そのため「防衛」「外交」能力が高まる。
国境を接する国、地域との「関係」は常に中国政治の大きなテーマでもある。アセアン諸国、インド、パキスタン、中東やイスラム諸国、中央アジアの国々、ロシア、さらに北朝鮮、陸続きではないが韓国、日本との関係など、中国政治においてその関係は常に重要な位置を占める。中国は歴史的にもシルクロードで外界から人、物、情報がもたらされた。陸続きで接する国々との「関係」が中国を戦略に長けた国にさせた。それが「一帯一路」に引き継がれている。
一方、日本は四方を海で囲まれた島国である。領土を接する国を意識し、外交能力を高める環境条件に乏しい。朝に海を見れば陽が昇り、夕に海を見れば陽が沈む。順風満帆を当然と考え、政治家も国民も考える力が薄れ「安住」に陥りやすい。まして日本は「敗戦国」で、今も米軍が駐留する。政治は米国追随で、日本海、黄海に背を向け太平洋ばかりを気にする政治が続いている。「地勢的要因」「歴史的要因」からも日本は戦略面で乏しいと言える。
ゼロからの出発
「ゼロからの出発」とは「失うものがなかった」ことである。
筆者も出席した2002年に行われた朝日新聞のシンポジウムでNEUSOFTの劉積仁総裁は、中国人が改革開放を進めるに際し考えたのは「我々には失うものは何もなかったからである」と述べた。筆者にはこの言葉が強く印象に残っている。劉総裁は、改革開放前の中国企業には営業もマーケティングもなかった。政府の指示で物づくりが進み、R&D(研究開発)の考えすら企業にない時代だったとも語った。「ゼロ」は無限に通じ、可能性を秘める数字でもある。
中国の改革開放は純粋に「国民を豊かに」の一念で出発した。豊かさのためには素直に学び、吸収する。鄧小平が「革命にせよ、建設にせよ、外国の経験に学び、それを参考とするよう心がける」と述べたように、素直に外国に学び、しかも独自性を重視した開放理念が国の隅々に浸透したから、果敢に挑戦する風土が官と民に生まれた。
「戦略」は中途半端な思考ではなし得ない。「守る心」を否定し、挑戦する精神がそれを生み出す。「ゼロからの出発」は果敢な戦略の礎になった。一方、日本は高度成長を達成して「1億総中流社会」を経験し「失うものが多い国」になった。多くの日本人は変化を嫌い、「守り」の保守思想を持つ。「守り」や「過度なリスク対応」で「挑戦」を避けていては、新鮮な空気の流入も遮断する。外界と接触すれば「自己の立ち位置」も見える。改革開放の40年は、常に新鮮な空気、情報が外界からもたらされた40年である。
巨大な人口の圧力
「人口圧力」は巨大人口の圧力である。日本をはじめ世界の言論は「巨大人口」を忘れて無責任に中国を語る。巨大人口を背負う指導者の緊張は計り知れない。
中国の成長は「巨大な人力資源」がもたらした要素も大きい。言わば「13億の掛け算」効果である。だが一方それは、「些細なことも13億で掛け算すれば大変な問題になる」ことと隣り合わせである。中国の成長要因を語る前に、「人口圧力」を背負い成長に導いた歴代指導者を評価するべきだろう。「人口圧力」があるから思考を鍛え、深く考えることが指導者に求められ、それが戦略を生み出す礎になった。「巨大人口」の下では中途半端な対応はできないし、大胆な戦略を打ち出さない限り国全体を動かすことは不可能だ。
戦後すぐの日本の政治家には復興への思いがあったが、今の政治家に「人口圧力」を思う人はごく少数だろう。日本は「真面目で大人しい」国民性がある。格差が拡がり社会的矛盾も大きいが暴動が起こることもない。安全保障法制での憲法違反や政治の私物化も叫ばれるが、大人しい国民性ゆえ怒りの声も時間が経てば収まる。実現の根拠も意思も弱い量販店のチラシの「客寄せコピー」のような選挙公約は実行されなくても「詐欺」との声は出ない。
「真面目で大人しい」は褒められたことばかりではない。波風たてずその場をしのぎ、争わず覇気に乏しいにも通じる。じっと耐えるは、何もしないにも重なる。耐えて忍び、忘れることは、時に未来への力になるが、そんな大人しい国民性を利用する輩も出る。政治の不祥事、政治家の馬鹿な発言、関電などの公的企業の不祥事が起きても、どうせすぐに忘れるからと柳に風が繰り返される。それも大人しい国民性ゆえ、でもある。日本の政治の戦略の無さは国民自身が作り出していることかもしれない。
だが中国の人口は日本の10倍以上、しかも多数の民族が同居する。豊かさの順番を待つ人も控える。その「人口圧力」で中国の指導者も成長する。
実践的な政治
「指導者の経験」には「政治家個人の能力」と「政治体制」が影響している。中国の政治と日本の政治を比べる時、制度の違いはあるが、政治家の経験や経歴、それによる政治手腕に大きな相違がある。
日本の政治家は狭い「選挙区」で選ばれ、「国家、国民」より「地域、住民、選挙」を重視する。能力と関係なく親の代から世襲で政治家になる人も多い。民主的選挙は大切だが、その大きな問題は国民の多くが選ぶ人の素質、能力を知らないということである。だから顔、印象、所属、公約で選ぶ。テレビに出ている人ということも理由になり、世襲では「あの人の息子、娘」が決め手になる。
だが、中国の政治家には経験が問われる。幹部になるには地方での下積みの苦労と現場経験が重要だ。さらに地方で何をしてきたかの業績考課にもさらされる。そのため中国の政治は戦略的、実践的にならざるを得ない。また成果を出すためには指導力が必要である。地方で人を使い、人に助けられ、人を活かす苦労を経て中国の政治家は一人前になっていく。現場を知るので実行力が生まれ、スピード感のある実践的な政治ができる。
中国共産党第19期中央委員会第1回全体会議(2017年10月)で選出された常務委員の経歴は、栗戦書氏が河北省、陝西省、黒竜江省で現場経験を積み、汪洋氏は17歳の時に食品工場で働き安徽省で現場を経験し、趙楽際氏は青海省商業局の庶務係から省党委員会書記になり、韓正氏も上海市での倉庫管理人から常務委員になった。習近平主席も福建省、浙江省、上海市などで22年間の現場経験を積んでいる。次章で述べるように習近平主席は「扶貧」(貧困対策)に力を入れている。それもかつての赴任地で「貧しさ」を目の当たりにしてきた経験があったからでもある。