(本記事は、和中清氏の著書『中国はなぜ成長し、どこに向かうか、そして日本は?』クロスメディア・パブリッシングの中から一部を抜粋・編集しています)
【思想・理念から考える】市場経済と対外開放
門を閉ざして発展はできない
社会主義現代化への道程は1978年12月の中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議で鄧小平が「階級闘争」を止めて政策の重点を「社会主義の近代化建設」に移すことを表明したことから始まる。そして、「国家経済建設の三段階発展での長期目標」「先富論、共同富裕論」が掲げられ「特区建設」「南巡講話」に進み、改革・開放に拍車がかかった。
「中国的和平発展白皮書」には次のように記されている。
- 「中国は自らの発展の歩みの中で、門を閉ざして建設はできないと深く理解している。改革開放を基本的国策の一つとし、国内の改革を対外開放と結びつけ、独立自主の堅持をグローバル経済への参画と結びつけ、中華民族の優れた伝統の継承を人類社会の全ての文明の成果を学ぶことと結びつけ、国内と国外に二つの市場およびリソースに結びつけ、開放的な姿勢で世界に融合し、対外開放を広く深く絶え間なく推し進め、世界各国との交流を深め、内外連動の、互恵ウィンウィンの、安全で高効率な開放型経済体制を整備する。中国の対外開放の扉は決して閉ざされることなく、開放度は増す一方である」(国務院新聞弁公室、2011年9月6日)
中国の発展過程で「開放の理念」が果たした役割は大きい。「開放」も「平和主義」により成り立つ。開放の理念で進む市場経済は「平和主義」そのものである。市場経済の基礎には「信用」がある。「信用」は「平和」であってこそ意味を成す。
下図は2017年の中国の貿易相手国数、対外合作数である。「平和主義」での「対外開放」の成果でもある。1980年の中国民航国際線の運行路線は14ヶ国、18路線だけだった。1990年には44路線になり、2017年には803路線が就航している。
開放経済は、中国と世界のウィンウィンの平和的発展のもとに成り立つ。市場経済を支える貨幣、金融も「平和」により安定する。市場経済の参加者の「継続する平和」への想いも大切である。
中国の成長は内外の人々の「中国の平和主義と開放経済は将来にわたり継続する」という安心があって達成された。「開放」は中国と世界の協調・互恵を前提にした中国の核心的理念である。
海外旅行は「平和主義」と「開放」の象徴
これまで中国は多くの分野で「開放」を進めてきた。経済では工業から商業、サービスの開放を進め、投資手続きを簡素化し、関税を下げて市場開放を進め、自由貿易区の整備や人民元オフショア市場の拡充を進め、いまや人民元国際化にも手を打っている。
筆者は1991年頃、中国の友人から「日本人にとって中国はいつでも来ることができる近い国、だが中国人にとって日本はとても遠い国」と言われた。一般の中国人には、日本旅行は夢の世界だった。それが今や、中国人の海外旅行は世界経済を支えるほどにもなった。
1998年の中国人海外旅行者は843万人、2017年に1.43億人になり約17倍の増加である。海外旅行消費額は米国やドイツをしのぎ世界一である。下図は2004年を100とした国内旅行者と海外旅行者の推移である。近年は海外旅行の伸び率は国内旅行を上回る。
中国人の海外旅行は多様化し、個性化に向かっている。「中国公民出国 旅行消費市場調査報告」(北京出版社)によると、希望する海外旅行の目的では、大型客船の旅がトップで家族旅行、親子旅行が続く。日本に家族で訪れる中国人を見て「平和の中国」を理解する日本人も増えていく。筆者が住む大阪の山間部にある住民さえも知らない木工の工房でさえ、中国からの見学者が増えている。空海を偲び高野山に来る中国人も多い。日本のお正月を古都の高山で静かに過ごす中国人も増え、旅館の予約を取るのも難しくなっている。中国人の海外旅行者の増加が端的に「平和主義」「開放」を象徴している。
「社会主義市場経済」は偉大な発明
中国の核心的理念である「改革開放」だが、そこに至る道程は生易しいものではない。それを乗り越えてきたからこそ今の成長がある。「改革開放」が本格的に進み始めた1990年代に日本では、中国はイデオロギーの矛盾で崩壊すると語る知識人が多数いた。
だが、中国は「社会主義市場経済」により、社会の大きな混乱もなく改革を行い驚異の成長を果たした。さらに、「社会主義市場経済」は中国式民主化にも通じる。筆者が中国経済と関わりを持った1991年、一部で物資の配給切符が残っていた。大学生の就職先も、農村から都市への移動も制限されていた。1991年と比べると、今は社会の自由化が格段に進んだ。筆者は、南開大学教授から実業家に転身した元家世界連鎖商業集団の杜厦董事長に転身の理由を聞いたことがある。杜厦氏は質問に次のように答えた。
「1987年、私は経済学の視察団を率いて、香港に行きました。香港には経済学者の友人がたくさんいますが、彼らは私と年齢も変わらない。しかし私が1987年から死ぬまで働いて稼ぐ給料の総額は、彼らの1ヵ月の給料にしか過ぎない。当時の私の給料は1ヵ月100何元だが、彼らは1ヵ月で数万香港ドルを得る。私は30年間働き続けても、3万香港ドルしか手に入らない。私の一生をかける仕事の報酬が、彼らの1ヵ月の給料と同額なんて、どうしても納得できなかった。自分の人生の価値は異なる方式で現さないといけないと思った」
努力しても皆と同じ社会では個人の努力は生まれない。「努力してもしなくても同じ」社会から「努力すれば報われる」公平社会に中国は変わった。それをもたらしたのが「社会主義市場経済」である。急激な改革の混乱もなく成長を成し得たのも「社会主義が市場経済をコントロール」したからである。
先進諸国の自由主義経済理論をそのまま巨大人口の中国に当てはめることはできない。米国でも日本でも市場の失敗は起きる。また自由主義を建前に「恣意」「操作」「悪徳」も行われ、国が経済に介入する。「社会主義市場経済」は巨大人口の中国を成長に導き、豊かさに導いた偉大な発明でもある。
格差と希望
「社会主義市場経済」が生み出した「格差」について述べる。
単純に考える時「格差」は悪に見える。だが筆者は中国の格差についてそうは考えない。ただし一言ことわっておきたいが、格差を奨励するつもりはない。また格差は少ない方がいいとも思う。
筆者は日本で中国に関する講演や著作、論文を発表した。筆者が中国を肯定的に語れば「格差が問題」とオウム返しのように反論が返った。その時は、次のように答えた。「鄧小平氏が語った『先富論』と『市場経済』以外の方法で格差を無くし13億もの人を豊かにする方法があるか。その方法を語ってから格差を批判すべき」。
皆が共に貧しかった中国が豊かになるには、経済を引っ張る機関車の馬力を大きくすることが必要である。つまり先に進む人の所得を大きくする。中途半端なら効果は少ない。そこに格差が出現する。
だが先を行く人の背中を見て後の人が「私も」という思いを持つ。これも成長の原動力になったと思う。それを立証するように、中国の格差は年々縮小している。多くの日本人と中国の話をすると「権力闘争」「腐敗」「格差」「バブル」と判で押したような答えが返った。成熟国家の「格差」と中国のような成長を続けている国の「格差」は本質的に違う。それすら理解されずに格差が批判された。だが「格差」が希望をもたらし、前に進むエネルギーにもなった。