(本記事は、勝田吉彰氏の著書『「途上国」進出の処方箋-医療、メンタルヘルス・感染症対策』経団連出版の中から一部を抜粋・編集しています)
個人事業者も士業も広がる
ある日、ヤンゴン国際空港に降り立った筆者は、度肝を抜かれました。日本人紳士の等身大写真がチェックインバゲージのターンテーブルを見下ろしているのです。巨大な日本語文字が、会計事務所の広告であることを示しています。ミャンマーの日本語情報誌には、会計事務所のほか法律事務所や人材派遣業など個人営業の広告があふれています。
かつて海外赴任といえば、ある程度以上の規模の企業が中心でしたが今日、中小企業から零細企業にまで、その幅が広がっています。これはグローバリゼーションというだけでなく、取引先企業や親会社の進出にともなうもの、日本国内の需要縮小を受けて起死回生をかけて出てくるものなど事情はさまざまです。企業規模も、従業員10人未満の零細企業はいうまでもなく、究極の零細企業である個人事業主まで裾野は広がっています。
こうした個人事業主にとっては、情報収集や交渉の面の負担も大きく、福利厚生もありません。そんななかでも、JETROのような公的機関の支援や、和僑会といった、現地で情報交換や支援を行なう草の根の仕組みができてきたりもします。日本人も華僑や印僑のように根をはったたくましさが見られるようになってきたものの、さらなる支援が求められます。
▲突然ヤンゴン国際空港ターンテーブル脇に出現した、日本語の会計事務所の広告
先遣隊の一人駐在
「最後のフロンティア」と呼ばれる、以前にはほとんど何もないと認識されていた国への進出にあたっては、日本企業の多くは「一人駐在事務所」をまず開設します。そこに配置されるのは、他国で海外駐在を経験したことのある、ある意味「つわもの」と社内で認識されているメンバーが抜擢され、人脈づくりや役所との交渉、本社への報告などの業務にあたります。
多くの場合、これまでの経験から海外生活を熟知しているので、最初から気負いすぎたり、戸惑ったりすることはあまりなく、メンタル面では問題が比較的少ないようです。しかしながら、以前の赴任国が日本人にとって生活しやすい場所であったり、駐在先が先進国だけだったりすると、そのギャップが大きくなります。また、初期段階では現地の邦人数も少なく、話し相手がほとんどいないことも問題です。仕事が終わって帰宅すると孤独な「所在なき時間」が待っていることから、自宅で独り酒が毎日続けば、アルコールのブレーキが利かなくなる依存症問題、生活習慣病などさまざまな健康問題にもつながってゆきます。
そのような事態を回避するためには、本社の担当者が常に関心を示し、定期的に連絡をとるなど声かけをしてゆくことが必要です。
期待先行とNATO、4L
ミャンマーに対しては、「最後のフロンティア」とメディアで喧伝され注目を集めた日本をはじめ、その他の先進国や近隣国でも同様の関心が寄せられています。現地にはさまざまな国のビジネスパーソンが集まっていることから、現地の人々からは各国を比較しやすい状況にあります。そんななかで進出初期の頃の日本企業や日本人ビジネスパーソンに向けられていた目は、次のようなものでした。
日本は、ミャンマーとは政治の問題でネガティブなしがらみが少ないことから、日本人はおおむねハンディなしに見られますが、一方でNATOとか4Lという、あまりありがたくない表現を奉られていました。NATOとはNo Action, Talk Only の頭文字をとったもので、本国からの視察団がどんどん話を進めてゆく各国に対して具体的な行動が見えてこない日本企業を揶揄したものです。また4LとはListen,Learn, Look, Leave、つまり熱心に見て回るけれど、何もせずに帰ってしまう見学者を意味します。
日本企業が定着し、それなりの実績が出るようになっても、現地の人の目にはいかにも遅く映るのが日本企業です。その理由としては、稟議書に象徴される意思決定の煩雑さと遅さ、現地派遣者に合理的な権限を与えないこと、幹部層の責任回避、先送り姿勢などがあげられますが、いずれも進出ブーム初期においては不利に働きがちです。いったんエンジンのかかった「最後のフロンティア」に流れる時間は、実は日本国内よりかなり速いのが実情で、それを前提に現地や現地担当者へ権限を付与することが不可欠です。
本社と現地の温度差
スピード感の違いを感じる現地駐在員
経済発展のギアのかかった「最後のフロンティア」のスピード感には、本社のある日本から眺めると不思議な感じを抱くかもしれません。それまでのイメージとは異なり、現地で流れる時間は日本の数倍は速いというのが実感です。
なぜ「最後のフロンティア」と表現されるのか。それは「何もないから」にほかならず、そこにあるのは果てしなく広がる農地という牧歌的イメージ、あるいは戦乱や政治的困難が過ぎたばかりの荒れた土地で、だからゆったりした時間が流れているような「気」がするのかもしれません。実際に「最後のフロンティア」と囃されるまでは、(アジア後発国であれアフリカであれ)のんびりした時間が国全体に流れていて、そのイメージどおりの光景を目にしてきました。
しかし、いったん経済的に有望となったら、一気に先進国や近隣国から投資が流れ込んできます。もともと「何もない」ところであれば、壊すべきものもなければ、説得しなければならない既得権者も少ない(まったくないわけではないが、複雑化した先進国に比べればシンプル)。さらに、流れ込んできた投資の間で熾烈な競争がはじまります。だから、いざ方向性が決まった国の変化スピードは、たとえば毎月のように新たな建物が出現し、毎年のように新たなランドマークが登場するということになります。街の様子を1年間隔で撮ってゆけば確実に変化のスピードを可視化できます。
問題はこのスピードを日本国内にいてはなかなか実感できにくいことです。たとえば現地のコンペで何ヵ国かの企業が競うなか、ようやく一頭抜き出たところで本社に掛け合っても、なかなか認可が下りない、そのうちに中国企業や韓国企業が条件を変えてきて、結局とられてしまい歯ぎしりをする、「この切迫感が日本の本社にはわからなくて」と、いまだ多く語られ耳にするところです。この時間的意識改革は待ったなしといえましょう。
一方で、雇用した一般社員・労働者たち、あるいは官庁の下級公務員たちは、のんびりペースのままで動きません。現地でのアンケートでは、「決めたことが守られない」「日本とミャンマーは違うことを認識してほしい」「日本では絶対に起こらないストレス要因がある」「業務指示が伝わらない」など、対応に苦慮する声が聞こえてきます。
このような状況にたとえられるのが、日本の明治維新です。世の中がガラリと変わるとき、日本史の教科書に登場してくるような人物が先見の明を遺憾なく発揮し八面六臂の大活躍をする一方で、普通の人々は揺れつつも変わらぬ時間感覚を共有していました。したがって、「最後のフロンティア」に社員を送り出す本社側は、意思決定は極力シンプルに、かつ速くし、現地で時間の速さのギャップに挟まれる社員にも思いをはせるという二重の向き合い方が必要になるのです。
- 【コラム】汚職指数の高い国での対応方針が本社にあるか
- 腐敗認識指数(Corruption Perceptions Index:CPI)が政府や政治家、公務員の腐敗度を評価する指数として注目され、メディアでも報道されています。スコアが高いほど腐敗度は低いことを表わし、欧州がトップグループ、その下に日米などが続きます。下位にはアフリカ、中近東、中南米にアジア後発国が入ってきます。つまり、「最後のフロンティア」と囃される国々は、もともと腐敗度の高いグループである確率が高いのが実情です。 経済発展のなかで外国からの投資を呼び込むには透明性が大切だと認識できるようになると、法制度が整備され公務員改革などが動き出し、それらが完成する頃にはメジャーな進出地のひとつとなっています。だから「最後のフロンティア」進出時には、非公式ともいえる不透明な慣習にどう向き合い、どう対応してゆくのか、あらかじめ本社側も理解して方針を立てておく必要があります。実際に途上国や新興国で駐在員に話を聞くと、この場面でこうしなければならないのに本社が理解しない、前に進まない、そのうちに他国に案件をとられてしまった、などの嘆きの声をしばしば耳にします。
国民性だってどんどん変わる
これまで未知とされてきた国に足を踏み入れるとき、現地の人々がどんな考え方をしているのか、どんな行動をとりがちなのかを考えてみると、われわれ日本人のステレオタイプとはしばしば異なるものであり、またその国の発展段階によっても変わってゆくものであることがわかります。
ミャンマーの軍事政権が終焉し、進出の有望性が語られはじめた初期、2012年頃に入手可能だった成書にはおしなべて、ミャンマー人は「控えめで実直、金銭欲は少なく、親日的。英語が通じて、よく働く人々である」と書いてありました。企業進出が本格化する以前のミャンマーに繰り返し訪れるのは、ミャンマーを研究する学者か、ミャンマーに魅せられて通い詰める「ビルメロ」と通称されるマニアックな人々でした。その筆によるミャンマー人像は自然と美しく理想化されたものになります。
進出がはじまったのち、2014年頃から、アンケート調査のストレス要因に「ミャンマー人」を選択する割合が増えはじめます。聞き取りでは、「突然、大家がやってきて来年から家賃を倍額にあげると言ってきた。あまりにひどいではないかと言ったら、出ていってくれとにべもなかった」といった拝金的な出来事が語られたり、「職場のスタッフで酒を飲んでいたら現地スタッフ同士が突然投石の喧嘩をはじめて呆気にとられた」など、当初のイメージと異なる、目の前の現実に戸惑う声が聞かれました。
一方で、一定程度の経験が蓄積するにつれ、情報がないこと、限られた情報との乖離によって受けるストレスが減ってきたのか、2016年の調査では、「ミャンマー人」をストレス要因にあげる割合が減ります。しかし2017年になると再び、「ミャンマー人」をストレス要因としてあげる割合が増えてきます。これは在留邦人数が2608人に、ミャンマー日本商工会議所会員企業数が369社に増加し、ティラワ工業団地の第I期分がほぼ売り切れる時期に一致します。すなわち、ミャンマー進出が先遣隊的な段階から本格化して裾野が広がるにつれ、海外生活初心者や海外生活を想定しない人生を歩んできた層がボリュームアップし、目の前の「初めて仕事で接する外国人」に戸惑う人々が出てきたことが考えられます。
この段階に至ると、現地人の行動様式・思考様式について、文化人類学的視点からの情報を効果的に集め進出企業や海外赴任者にタイムリーに提供する仕組みが求められます。
場面は異なりますが、2014年に西アフリカのリベリア、ギニア、シエラレオネでエボラ出血熱が流行したときに、隔離施設に収容した感染者を家族親戚が押しかけてきて「奪回」したり、犠牲者の遺体を葬儀でたたいたり清めたりする風習を介して感染が広まったことが報告されました。この教訓から、2018年のコンゴの流行では、対策チームに文化人類学者を入れて(正確には2014年流行でも後期から入れている)、その対策に役立てました。日本のビジネスパーソンの「最後のフロンティア」進出にあたっても、国策として文化人類学者と協働して知見を伝えてゆくことが必要ではないでしょうか。