(本記事は、勝田吉彰氏の著書『「途上国」進出の処方箋-医療、メンタルヘルス・感染症対策』経団連出版の中から一部を抜粋・編集しています)

発展途上国
(画像=PIXTA)

発展途上国へ進出するということ

日本人社会の規模で異なる、つながり方とメンタル要因

筆者の経験では、現地日本人社会の規模が200人程度までであれば、ほぼ全員が顔見知りで雰囲気の良いことが多いようです。日本国内にいれば、この程度の人数となると、たとえばマンションの住民同士のようにお互いに話したこともないということは、おこりえます。しかし海外では、大使館のパーティー、日本人会などで知り合うチャンスが多くあるからです。一部例外はあるものの、日本人在住者数が僅少な国は、小規模な国や発展途上国が多く、そこでは生活条件が過酷なために、みなが助け合い、仲良くしなければ生きてゆけないという側面が大きいのです。たとえば砂嵐や暑熱、感染症、頻回の計画停電などに対処するには密な情報交換が必要です。食料品など日常生活物資を手に入れるにも、先進国と異なり、スーパーやコンビニに駆け込めば何とかなるということもありません。公共交通機関も安全性や治安の面から利用しづらく、お互いの私用車に乗り合うのが通常で、自然と助け合いモードになります。またそのような国へは、海外赴任を経験しているベテラン社員を派遣する会社も多く、彼らが醸し出す余裕も比較的良い雰囲気を形づくるもととなっているようです。

一方で、現地日本人社会の規模が数千人になると、その国自体がビジネスの対象と認められる程度には発展しており、生活インフラもある程度整備され、助け合わなければならないほど切迫もしていません。そのなかで、相性のよくない人とも高い確率で遭遇し、また日本人同士で監視的行動に走ったり、同胞の行動が気になり批判的になったりということも生じてきます。

さらに進み日本人社会が万単位になると、顔を合わせたくない人とはかかわる必要もなくなり、対日本人ストレスは減少してゆきます。

不動産広告に載る「日本人率」の深いワケ

住居選びのポイント

現地日本人社会での情報源のひとつに、日本語情報誌があります。インターネットの発達にもかかわらず、在留邦人数が一定の規模以上の都市では、おおむね複数の日本語情報誌が発刊されています。そこには、日本食レストランや日本語の通じる医療機関情報と並んで、不動産広告も豊富に掲載されています。

筆者が北京在勤中に目にした賃貸マンションの広告には、広さや築年数、主要地点からの距離といったお決まりの情報に加えて、「日本人率」が表示されていました。それが100%なら、そのマンションには日本人ばかりが住んでいることがわかります。30%台なら、欧米人や現地富裕層などがバランスよく住んでいることがうかがえます。

では、なぜ日本人率が表示されるのでしょうか。それは、日本人がその任期中に、同じ都市内で転居する需要があるからです。これは残念な事実ですが、日本人が海外で日本人村を形成するなかで、相互監視的に行動したり、派閥を形成して他人を中傷したりということもよく見聞きされます。いつ、どこに、だれがいたかを近所中の日本人が知っていたり、日本人学校に通うスクールバスの割り振りに対する不満をぶつけられたり…。そんなことが続き、嫌気がさして市内で転居しようと考える人の需要を狙った広告です。

日本人率が30%ぐらいの建物を選んで入ると、狭い日本人社会からしばし解放され、なにかと落ち着くとの声も耳にします。そのような事情を、送り出す駐在員に住宅選定時の参考情報として伝えることも、メンタルヘルス対策の一環として有効です。

異文化への適応パターン

国境を越えて異文化に飛び込むと、多くの人が共通した適応パターンをたどります。それが、移住期⇒不適応期⇒諦観期⇒適応期です。

移住期は、現地に着任してすぐの時期です。前任者に空港で迎えられ、右も左もわからないうちに当座の滞在先となるホテルに入り、翌日から挨拶まわりや引き継ぎに忙殺されつつ業務を把握してゆきます。生活の立ち上げに際し、やらなければならないことも山積しています。銀行口座の開設にはじまり不動産業者の説明を聞きながら住居を探し、電気、ガス、電話、ネット回線、水回りの整備や手配に早急に取りかかります。加えて、使用人(現地のインフラ事情によっては家事補助者はもとより、運転手からガードマン・調理人や庭師まで雇わなければ日常生活もまわらない)の面接や雇用契約締結、帯同家族がいれば日本人学校もしくはインターナショナルスクールの入学手続き、場合によっては塾の手配などもあり、あっという間に時間が過ぎてゆきます。

こうした時期は、意外にストレスの「自覚」は少なめです。しかしここで張り切りすぎてしまうと疲れを残すこともあるので、初日からアクセルをふかしすぎないほうがよいでしょう。送り出す本社サイドからは、着任早々から張り切りすぎて疲れをためないよう、多少セーブすることをアドバイスします。

着任から数ヵ月が経ち、ビジネスの立ち上げがひと段落する頃に、それまで目に入る余裕のなかった、現地の違和感や日本の常識との違いなどが意識にのぼってきます。メンタルヘルスで不適応期、あるいは不満期と呼ばれる時期です。ビジネス習慣の違いはもとより、治安や時間の観念、そして現地人が動くペースさえも、「生産性」の呪縛にとらわれている昨今ならストレスに感じるかもしれません。自宅に帰っても、使用人が床掃除の雑巾と食卓の台布巾を分けずに共有しているのをたまたま見つけたり、電話での声のボリュームが一定ではない(たぶん盗聴)ことに気づく、といった諸々で頭のなかがいっぱいになってしまいます。身体的にも、肩こり、腰痛、不眠をはじめとして、疲労が蓄積し不調を訴えがちです。

そんな、思うにまかせぬ自分と比べ、同僚や同業他社の駐在員がいきいきとした表情でパフォーマンスをあげている(ように見える)姿を目にすると、自分は劣っているのではないか、この仕事やこの国に向いていないのではないかとまた落ち込む…、という辛い時期が訪れます。そのような時期はだれもが経験すること、そして、その後に諦観期を経て適応期がやってくることを、ぜひ事前に知っておいてください。

そのような時期があることを、あらかじめ知っていれば、何かパフォーマンスがあがらない、これぐらいでグッと疲れる、といったときに「きたぞ、きたぞ」という気持ちで、アクセルを少し戻すぐらいの対処がしやすくなります。

筆者はセネガル勤務時代に、大使館へ着任挨拶にこられる青年海外協力隊の隊員たちに必ずこの話をしていました。半年周期で年に2回、着任者がある協力隊では、常に半年単位で滞在期間の長い先輩がいます。その先輩と比べると自信が揺らぐという事態を多少なりとも緩和するために、程度の差はあれ、だれもが不適応期に悩み、その後に適応期がくると強調したものです。

海外へ駐在員を送り出す本社側は、海外赴任者研修時にはぜひ、不適応期の対処を伝え、またその時期には、業務や休暇で帰国する機会をつくって健康チェックとあわせてフォローしてください。

(参考文献:稲村博『日本人の海外不適応』)

現地人がストーカーと化するメカニズム

「現地の人に言い寄られた」「どこかに連れて行かれそうになった」「バスに乗ったらかなりの確率で痴漢に遭遇する」。現地に駐在する邦人女性が直面する、男性には見えてこない現実です。日常的に性犯罪や凶悪犯罪が発生しているわけでもない、どちらかといえば治安が良いとみなされている国で、こういった事象がなぜおこるのでしょうか。

ひとつの要因に、宗教の違いがあります。イスラム教の国々では同じイスラム教徒に淫らなことをすれば厳罰に処せられます。そうした「人間による罰」以前に、アラーの神様の見ているところで性犯罪を行なえば、強い罪悪感にさいなまれます。しかしその抑止力が、異教徒の女性に対しては機能しない男性がいるのも事実です(もちろん個人の資質は大きい)。そのため、異教徒だからという理由で気軽に接近して接触行為に及ぶ、ということが生じえます。

良好な治安を誇り、敬虔な仏教国においても、顔見知りの男性に拉致されそうになった、路線バスに乗ると高い確率で痴漢に遭遇する、などからは、「異邦人=いつかいなくなる人」という感覚が透けて見えてきます。そして、そのような感覚を否定しきれないことなどが絡み合って発生しているようです。

被害に遭わないためには、職場の同僚や信頼できる人などに同伴してもらう、避けたほうがよい場所を把握しておく、などが必要です。日本人会などにも情報があります。こうした事象は個人の資質に大きくかかわり、親日的か反日的かはあまり関係しません(親日的だから日本人に痴漢行為をしないとはいえない)。会社側は赴任前研修でこうした現実を伝えておきましょう。

時間の感覚の違いでおこる、良いこと悪いこと

現地でのアンケートには、しばしば次のような記述があります。

  • ミャンマー人スタッフは日本クオリティの受け答えを求めるのに相当の時間がかかる

  • 業務指示が伝わらない

  • ミャンマー人の気質、国特有の事情により仕事が遅れる

  • 仕事が進むスピードがきわめて遅い

いずれも、現地で雇用したスタッフが、こちらが期待した速度で動いてくれなかったり、繰り返し教えるわりにはスキルアップが遅かったりということを意識した記述です。

  • 生活のストレスより仕事のストレスが多い(ミャンマー人の教育)

  • ミャンマーは日本とさまざまなことが大きく異なる。日本の感覚では理解できないことを、(本社は)わかってほしい

現地人の動く速度が日本の感覚からすればかなり遅いことに日々対応しながらぎりぎり頑張っていることが、日本の本社にいて、生産性、生産性とお尻を叩くだけの人には理解されない、という悩みが透けてきます。時間の感覚の違いは、一概に日本だからミャンマーだからということでなく、場面によっても異なるのが悩ましいところです(必ずしも遅いばかりとは限らず、日本より速くなることもある)。そこで、本社から現地に出張する際などは、現地人スタッフの仕事ぶりを意識して観察してください。ある東証一部上場企業の社長は、ミャンマーに来ると現地人従業員の食堂に赴き、食事を共にするそうです。そこで得られる感覚や情報は大きいと話していました。

引っ越し荷物に忘れてはいけない娯楽道具

海外赴任が決まったら、引っ越し荷物に何を入れるか。仕事で必要なもの、ビジネスのパートナーへのちょっとしたプレゼント、子どもの教育図書…、さまざまなものが思い浮かびますが、忘れがちなのが「娯楽道具」です。これが現地でのメンタルヘルスに大いに影響します。否応なく多忙を極め時間がフルスピードで流れてゆくオフィスアワーとは対照的に、プライベートでは意識して準備しなければ、「所在なき時間」が過ぎていくばかりです。

発展途上国に共通の要素として、(一般的な)娯楽の欠如があげられます。日本ならば当たり前のようにある、仕事帰りや週末にちょっと立ち寄れる場所は、あったとしても治安が悪く、身の安全が保証されなかったり、衛生的に問題が大きく感染症のリスクに直接さらされたりします。たとえば筆者が駐在したアフリカのある国の映画館では、ゴキブリが飛び回っていました。こうした途上国共通の「娯楽がない状況」が毎日のように続いた先には、アルコール問題が口を開けて待っています。

娯楽道具といえば、伝統的には釣り具、ゴルフ用品、テニスラケットなど、最近では性能のよいパソコン(ゲーム用含む)などでしょうか。電子書籍とは別に持って行った「紙の本・雑誌」の貸し借りを通じて交流の幅が広がるのは、海外生活独特のメリットかもしれません。ジャカルタやバンコクのような大都市には日本語書店もありますが、「最後のフロンティア」には皆無です。Amazon の配達網もない国が多いのが途上国の実情です。日系企業進出の初期では現地の人的ネットワークづくりも思うに任せませんから、一人で時間を過ごせる体勢を整えておくことが、メンタルヘルスを大きく左右します。

「途上国」進出の処方箋-医療、メンタルヘルス・感染症対策』
勝田吉彰
川崎医科大学大学院修了。1994年外務省入省。スーダン、フランス、セネガル、中華人民共和国などの日本国大使館の書記官兼医務官、参事官兼医務官などを経て2006年近畿医療福祉大学(現神戸医療福祉大学)教授。2012年より関西福祉大学社会福祉学部社会福祉学科・大学院社会福祉学研究科教授。医学博士。専門は渡航医学、メンタルヘルス。労働衛生コンサルタント、日本医師会認定産業医、日本渡航医学会認定医療職、精神保健指定医、日本精神神経学会専門医・指導医。

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