(本記事は、勝田吉彰氏の著書『「途上国」進出の処方箋-医療、メンタルヘルス・感染症対策』経団連出版の中から一部を抜粋・編集しています)

認識
(画像=PIXTA)

日本の本社に知ってほしいこと

浮き上がる認識ギャップ

ミャンマー現地調査での「日本の本社に知ってほしいこと」のアンケート項目からは、現地側と本社側との認識ギャップが明らかになりました。そこに記されている多くの課題は、今後の新たな進出国で応用できます。 ※[+2年][+3年]...とあるのは、起点とした2012年(軍事政権が終息した翌年)からの経過年数をあらわします。

【2014年】[+2年]

進出初期、様子見から一歩踏み出しかけた時期です。進出本格化前で本社との軋轢はまだ目立っていませんが、軍事政権時代から地歩を築いていた(あるいは現地人スタッフに権限を与えて細々とでも存続していた)企業からは、仕事の進め方等のコメントがありました。

  • 食生活での健康への影響(運動不足も含め)

  • 日本人同士での人間関係だけでなく、いかにローカルの人たちに溶け込むかが重要

  • ミャンマー人上司との関係。連絡が下りてこない。突然仕事をふられて非常に大変

  • 交通事故が心配。まともに治療してくれるか?医療機関のレベル、特に手術は相当に低いと思う

【2015年】[+3年]

日本国内と現地との温度差ギャップが凝縮された「日経新聞ほど熱くない」の一言が目を引きました。ここでの「日経」は国内報道の象徴として用いられていると思われますが、進出初期は日本国内での加熱報道を見て期待するほどには最初から熱が上がるわけではなく、時間の経過速度が異なることの理解が求められています。

たとえば、いまでは順調に日系企業の工場が稼働するティラワSEZ(日本主導でインフラ整備がなされた経済特区・工業団地)も、報道で熱く語られはじめた頃は、まだ牛がのんびり草を食む草地でしかありませんでした。しかし国内報道の熱い盛り上がりを受け、現状にそぐわない過剰期待から、現地に対して現実離れした要求を言ってこられる苦悩が語られています。

交通事情の混沌さも、現地を経験していなければ実感しにくい部分です。

  • ミャンマーはなんでも速度が遅い。「This is Myanmar!」

  • ミャンマーでは命の値段が安い。事故等にあったときの補償が安い。

ローカル(ミャンマー人)が加害者の事故では、ケガの補償は300ドル、死亡でも1000ドル。しかも交通事故にあう確率が高い。現地にきて4ヵ月だが知人3人が交通事故にあっている

【2016年】[+4年]

インフラ関連の問題、特に住環境についての、本社と現地の認識ギャップが明らかになりました。すなわち、先進各国からの進出によって、外国人が居住可能な住居の需要が急増する一方で、建設が追いつかず、需給が非常にタイトになる(すなわち家賃が高騰する)時期が一定期間生じます。しかし本社側の認識がその点についていかなければ、停電や水漏れ、衛生水準が満たされない不潔な環境の、現地人向けローカルアパートへの居住を余儀なくされ、身の安全も脅かされることになります。

経済発展が進み貧富の差が拡大しはじめると、それまで治安良好で素朴と目されていた国でも、タクシー強盗などの犯罪が増えるなど、治安が悪化していきます。この点も本社側の認識が遅れると、安全配慮義務の観点からも深刻な事態に至る可能性をはらんでいます。

本格的に進出が進み、ビジネス上の問題点が種々明らかになってくる時期には、文化、商習慣、約束の概念、現地パートナーとの関係など、日本との違いについて、本社の認識のギャップが大きくなることがわかります。この状況が続けば、OKY(「おまえが来て、やれ」。会社の枠を越え、現地の駐在員が口にしている言葉)の叫びに象徴されるストレス要因になるとともに、ビジネスがうまくいかない原因ともなりますので、この時期は本社と現地の情報交換を意識的に密にしていく必要があります。

  • 停電、水漏れなど、ローカルアパートではインフラが不足している。サービスアパートに住めるだけの住宅手当希望

  • 他のASEAN諸国よりも生活しにくい(とりわけ住居費など)

  • 意外に治安が悪い

  • タクシーに危険があるため、車の手配をしてほしい。家賃を2000ドル以上払えなければ衛生や安全を確保できない。物価は安いが、安全・健康を確保するためには日本と同等額の生活費がかかる(食費、日用品)

  • 医療インフラの低さも知ってほしい

  • 決めたことが守られない。日本の商慣習が通用しない

  • 日本とミャンマーは同じではないこと、異なることを認識してほしい。そして「できない=劣っている」と考えるのは違うと思う

  • 日本側の責任者が駐在していない場合、日本側が現地パートナーをコントロールすることのむずかしさ

  • 報道されているほど、日本企業の進出は進んでいない

  • 日本で当たり前でもミャンマーではそうでないことがたくさんある。ミャンマーでは日本では絶対に起こらないようなストレス要因がある

  • マナーの向上[ミャンマーを尊重するというマナーが本社には必要]。日本の本社は長期的計画をもってほしい

  • 政治問題も大事だが、ミャンマーの生活習慣やミャンマー人の気質を知ってほしい

  • 余暇にすることがない

【2017年】[+5年]

現地の法制度、インフラの整備が途上であることや、現地人の気質などにより、日本側の期待値ほどにはビジネスが進まず、現地側と本社との間の緊張関係がうかがえます。想定外の突発的事態がおこりうることに対する本社側の理解が十分でなければ、板挟みとなる現地駐在員には、本来は不要なストレスがかかることとなります。

  • ミャンマー人の気質、国特有の事情により仕事が遅れる

  • 仕事が進むスピードがきわめて遅い

  • 生活環境のハードシップはいまだによくなっていない

  • 電気、水道環境の未整備

  • 物資の入手難

  • 日々の生活について駐在員が「大丈夫」と答えたからといって、「万事がOK」とは本社には理解してほしくない

  • ミャンマーでは、突然の出来事はあたりまえ

  • インフレで物価は相当高い

【2018年】[+6年]

国内報道にもとづく本社側の理解と現地事情とのギャップが引き続き指摘されています。業務上の連絡や情報交換は続くものの、いわゆるロヒンギャ問題のような政治問題も発生しています。有名企業の進出計画発表など、注目を集めつつある国での出来事は瞬間的に大きく報道され、それが途絶え、また何かのはずみに大きく報道されるということを繰り返します。そこから醸し出されるイメージは現地の実際とのギャップを広めることにもなりますので、報道が出る都度、現地とのすり合わせの作業が重要となります。

また、進出開始から一定期間が経過し邦人数が増えるにつれ、邦人間の軋轢が生じるようになります。この時期には、海外生活の経験の少ない(あるいはまったくない)人、経験があっても国内感覚との切り替えがうまくいっていない人が赴任してきたりします。あるいは、現地人相手に主張するスキルをもたぬ裏返しもあってか、日本人相手にクレーマーまがいの態度をとったり、現地人に対してハラスメントを働き同僚の日本人が不快な思いをするような事象も出てきます。こうした、「同胞の日本人がストレス源になる」ことが現実におこりうる点は、あらかじめ海外派遣者に情報として伝え、心の準備、あるいは業種によっては顧客対応のノウハウとして蓄積していくことも有用です。

  • 物価は安くない

  • 日本のようにはいかない、ミャンマーの人は日本のような高品質を求めていない。(取引先に)日本人が働いていると知ったら要求が増えたり、(相手が)日本人だからと、いろいろ言うのはどうかと思う

  • 思ったよりミャンマーは閉鎖的

  • ミャンマーに対する本社のイメージがよくないので、ポジティブな面を知ってほしい

  • ミャンマーの実態(ラカイン問題に代表される宗教・少数民族問題への無理解、期待先行の経済的なポテンシャル)の過大評価

  • インターネットが弱いこと

【2019年】[+7年]

日本とミャンマーとの文化の違い(が本社側に認識されないこと)が基本にあり、また、日本におけるミャンマーに関する情報が限定的であることから、より積極的な理解が求められます。

経済発展が離陸したこの時期で注意が必要なのは、インフラ整備状況にムラや振幅があるという事実です。ある程度の投資で整備できるインフラ(タクシー、バス)、巨大な資金と政治判断まで必要なインフラ(電力、鉄道)、経済的インセンティブが働き民間業者同士で競争しながら発展してゆけるインフラ(インターネット、スマートフォン、日本食店)、経済的インセンティブも働かずおいていかれがちなインフラ(清掃、感染症対策)、経済的インセンティブはあっても採算分岐点が高く初期には整備がむずかしいインフラ(日本語による医療)があります。先行して整っている分野がある一方で、変わらない分野も多く、ある一面を見て、「〇〇国も発展した!」と早合点せずに、現地に駐在する者の支援を続けてゆくことが必要です。

文化的要因についての理解、現地人の行動様式や考え方も引き続き指摘が続いています。継続した理解、知見の蓄積が求められます。

  • ミャンマーは日本とさまざまな点で大きく異なる。日本の感覚で理解できないことを理解してほしい

  • 日本に知られているミャンマーはごく一部であり、進んでいるところ(たとえば通信インフラ)と遅れているところ(たとえば医療インフラ)の差が大きい

  • ミャンマー人スタッフに日本クオリティの受け答えを求めるには相当時間がかかる

  • 医療的に乏しいと思う[先進国からきた者がかかれるレベルの医療機関が少ない]

  • インフレが厳しく生活が圧迫される。物価が急上昇

  • ミャンマー人のマネジメント。日本のルールがわかる人たちではない!

  • 日本の文化・社会通念のみで考えないでほしい。多文化社会を理解してほしい

  • 日本のようにスムーズに進むことは、どの領域においても少ない

駐在員をフォローする「仕組み」

定期コールはこんな人に任せよう

海外駐在が決まると、赴任するまで多忙を極めます。ビザやワクチン接種などの渡航準備と並行して、業務の引き継ぎや転勤先業務の把握、連日連夜続く送別の宴…。しかし、いざ着任すると「去る者は日々にうとし」とばかりに、仕事上の指令以外の連絡が途絶えます。なんとなく見捨てられた感のような感情を抱き孤独にさいなまれることもあるなか、着任して数ヵ月間はメンタルの危機、気候風土の変化から体調が本調子ではない、などの問題が発生しても、そのサインが早期にキャッチされない事態に陥りがちです。

海外勤務者を派遣する企業には、送り出した後にフォローする「仕組み」が必要です。着任後、定期的に本社から電話をかけて本人や家族の様子を聞くのもひとつの方法です。その際、直属上司からだと仕事の話だけになりがちですから、総務や産業保健職(会社の看護師、保健師)などが適任です。「棒で叩いても平気なぐらい頑丈だから大丈夫だろう」と思える赴任者であっても、「決まり事」として全員と直接、話をしましょう。仕組みとして定期的に連絡をとっていくなかで、対処すべき事例を早期に発見し、大事に至る前の対策が可能になります。

進出初期はインフラ不備を支える

ミャンマー進出初期の2014年時点でストレス要因としてあげられた項目を下図に示しましたが、「インフラ関連」が多くを占めているのが目を引きます。なかでも「通信インフラ」「生活インフラ」が目立っています。「最後のフロンティア」と囃され報道される時点において、そうした国々はこれから発展しようとスタート地点にいるわけですから、基本的にインフラは脆弱です。インターネット回線は途切れがちで、やたらと時間がかかります。動画は期待すべくもなく、ニュースサイトは文章を読み終わった頃にやっと写真が出てくる状態です。生活インフラも老朽化して寿命がきているものをだましだまし使っているので、需要を満たせるようにはなっていないことが普通だったりします。

たとえば途上国によくある「計画停電」は、一般市民の需要を満たせるだけの電力を発電できないことによるもので、送電がストップして部屋が真っ暗になったり冷房が切れたりが、毎日のように繰り返されます。筆者がスーダン在勤中には、気温が50℃に迫ろうかというなかで冷房がとまり、最大で20時間停電した(つまり1日4時間しか電気がこなかった)ことがありました。照明や冷房といった目につきやすいものだけでなく、冷蔵庫の温度が上がると食品が傷んだり(通電は回復し、再び冷えるので傷んでいることに気がつかない)、電力を補うために自家発電機を自宅に備えたりといった対策には高いコストがかかります。

また、電気事情で注意のいるのが電圧変動です。通常、電圧が110Vなら終始110Vの電気が、220Vなら220Vの電気が流れてきますが、発展途上国によっては、これが一定ではありません。筆者の経験では、スーダンでもセネガルでも、コイル式の電圧安定器を使うと、しょっちゅうコイルが作動して電圧を調整している音が聞こえていました(中国に転勤すると、この音がピタリとやんだので、インフラが一段整った場所にきたのを実感できた。もっとも、その当時の中国でも地方の電力不足は深刻な問題として議論されていた)。特に要注意なのが、停電後に復電する瞬間です。復電したときは、電圧の安定を確認してから各家庭に通電するはずですが、なぜかそうならず、復電した瞬間に(異常な高電圧が流れて)デリケートな精密機器が一瞬にして壊れるといった経験をした同僚も身近にいました。電圧安定器の支給や貸与も要検討項目です。

「最後のフロンティア」進出の初期段階には、自家発電機や変圧器のランニングコスト、食料の購送など、インフラ未整備な状況で生活していくことに対する支援が求められます。

【コラム】日本語が読みたい―書籍・雑誌の入手事情
電子書籍やインターネットが発達した現代でも、日本の大手書店は大勢の来店客でにぎわっています。紙の活字にはまだまだ根強い需要があるようです。

国境を越えたらどうなるでしょうか。途上国でも邦人数が万単位になれば、バンコクやジャカルタといった大都会には大手書店が店を構え、日本語書籍を自由に買えるようになります。しかし、こうした条件が整うまでには相当の時間がかかるのが実情です。たとえば北京では、邦人数8000人ぐらいの規模でも日本語書店はありませんでした(最大手書店の一角にごく限られた数の日本語書籍が見られたのみ)。同時期に日本人医師の常駐する病医院は複数存在していましたから、日本語書店は日本語医療機関よりもハードルが高いといえましょう。Amazonや楽天のような書籍配送サービスはといえば、番地や道路名が整っていない条件では、配達ができません。

したがって、「最後のフロンティア」への赴任にあたっては、書籍の持参、会社として書籍の購送の提供などがあれば(特にAmazonのような配送サービスのない国では)有用でしょう。
「途上国」進出の処方箋-医療、メンタルヘルス・感染症対策』
勝田吉彰
川崎医科大学大学院修了。1994年外務省入省。スーダン、フランス、セネガル、中華人民共和国などの日本国大使館の書記官兼医務官、参事官兼医務官などを経て2006年近畿医療福祉大学(現神戸医療福祉大学)教授。2012年より関西福祉大学社会福祉学部社会福祉学科・大学院社会福祉学研究科教授。医学博士。専門は渡航医学、メンタルヘルス。労働衛生コンサルタント、日本医師会認定産業医、日本渡航医学会認定医療職、精神保健指定医、日本精神神経学会専門医・指導医。

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