(本記事は、勝田吉彰氏の著書『「途上国」進出の処方箋-医療、メンタルヘルス・感染症対策』経団連出版の中から一部を抜粋・編集しています)

ヒアリ
(画像=PIXTA)

ヒアリに刺されたら

魔法の言葉「ひあり おくやみ」

❖アジア中に分布するヒアリの仲間たち

2017年に日本国内でヒアリの確認が相次ぎ、メディアには「殺人毒アリ」などの見出しが躍りました。実際には、ヒアリに刺されて亡くなるケースはアナフィラキシーショックによるものですが、早急に処置することが大切です。

ヒアリは、正式にはSolenopsis invicta、通称Red fire ant、日本名はアカヒアリです。中南米原産ですが、船荷に乗って拡散し、現在はアメリカ、台湾、中国、オーストラリアなどに分布しています。

ヒアリよりはるかに拡散の歴史も範囲も広く、アジア中に分布しているのが、Solenopsis geminata、通称Tropical fire ant、日本名はアカカミアリです。同じく中南米原産ですが、16世紀には原産国アカプルコを出て西インド諸島航路に乗ってフィリピンに上陸しました。アカヒアリよりは毒性は穏やかといわれていますが、アナフィラキシーショックをおこすことがあり、分布範囲が広いだけに要注意です。

❖ヒアリ本家の中南米、そしてアメリカ南部

ヒアリが定着しているアメリカ南部では、アナフィラキシーショックによる犠牲者、刺された局所の皮膚症状といった人間の被害だけでなく、電気製品のなかに入り込んで故障をおこしたり、漏電による火災までおきています。農業の被害も深刻で、ヒアリが巣をつくり蟻塚だらけになった農地では立ち入ることもできず耕作放棄地となったり、家畜が犠牲になったりと影響は深刻です。

問題は、グローバリゼーションが進む今日、こうした被害が拡大する可能性があることです。日本国内で見つかる例はその多くが中国南部からの船荷に乗ってきます。中国南部ではすでにヒアリが定着しており、今後はアジアをはじめ他国への拡大が考えられるにもかかわらず、対策に十分な資金や労力がかけられるか心もとないのが実情です。ヒアリ対策の目的は「定着させないこと」にありますが、アメリカや台湾でも対策がうまくゆかず定着してしまいました。現時点で定着が確認されていない国にあっても赴任者には正しい知識が必要です。

「途上国」進出の処方箋-医療、メンタルヘルス・感染症対策
(画像=「途上国」進出の処方箋-医療、メンタルヘルス・感染症対策)

❖アナフィラキシーショックに対処する(ハチも同様)

ヒアリの犠牲者は喰い殺されたわけではなく(けっして「殺人アリ」ではない)、「アナフィラキシーショックの処置が迅速に受けられなかったことによる手遅れ」が原因です。では、手遅れで死なずに(あるいは後遺症を残さずに)済むには何をすればよいでしょうか。

キーワードは「ひあり おくやみ」です。これは、ハチも同様です。

  • ひ:冷やす(局所を冷やす。局所の炎症を少しでも緩和する)

  • あ:洗う(毒成分を洗い流す。吸い出すことができれば、なおよい)

  • り:リスクに直面していると認識(緊張感をもってもらう)

  • おく:お薬(抗ヒスタミン薬、ステロイド、場合によっては抗生剤)

  • や:休む(20~30分間の安静)

  • み:見守る(周囲の人間が刺された人を観察し、アナフィラキシーショック症状があらわれたら、ただちに救急搬送する。その前提として、一人にならない、一人にさせないことが大切)

毒を洗い流す(吸い出す)にあたっては、ポイズンリムーバーがあれば効果的です。注射器型の器具で、局所に陰圧をかけて毒成分を吸引します。日本では製造されていませんが、アウトドア愛好家を中心に需要が高まっており、海外製の製品が通販サイトで1000円ぐらいで購入できます。赴任前にあらかじめ購入しておくとよいでしょう。

アナフィラキシーショックの症状としては、

  • 血圧低下(顔面蒼白、冷感)

  • 呼吸困難(息苦しさの訴え。喘息発作のような音が聞こえることも)

  • 全身蕁麻疹

  • 意識低下(ぼうっとする、呼びかけに応答がない、わけのわからないことを言うなど)

  • 消化器症状(腹痛、嘔気など)

があります。発展途上国では公的な救急システムが未整備なことは珍しくありませんので(そもそも存在しない)、医療アシスタンス会社の連絡法(海外旅行傷害保険の連絡先電話番号や、会社で契約している場合にはその連絡先)や救急車を私有している富裕層向け病院の連絡先がすぐにわかるかどうかは、本件に限らず生死の分かれ目にもなりえます。携帯電話に登録しておくだけでなく、コピーを複数枚持ち歩き、居合わせた人にも連絡を依頼できるようにしておきましょう。

厚生労働省検疫所「FORTH」
https://www.forth.go.jp/index.html

銃声を聞いたら

Run! Hide! そして…

病気と並ぶ海外のリスクは銃犯罪や騒乱への遭遇です。アメリカの銃乱射事件が大きく報道されていますが、一般人が銃を所持している国はアメリカだけではありません。筆者はコンゴやアルジェリアでは銃をもった護衛つき防弾車での出迎え、移動でした。また、銃声というのはアニメのようにドキューンとは聞こえず、パンパンと弾けたような音です。

身近で、この乾いた音が聞こえたらどうするか。まず逃げます(その場から立ち去る)。国によっては、警察に犯人と誤認され撃たれてしまうのを避けるため、両手をあげて逃げます。逃げられる状況になかったら、「隠れる」。鍵をかけて家具を積み上げて声を潜めて待つ。携帯電話は着信で気づかれないようにスイッチをオフにする。そして、「戦う」(日本人の文化には少々合わないが…)です。アメリカのテキサス州ヒューストン市当局が作成したRUN. HIDE. FIGHT. Surviving an Active Shooter Eventというビデオは一度、見ておくとよいでしょう。YouTube で見ることができます(RUN HIDE FIGHT 日本語字幕版https://www.youtube.com/watch?v=tCEuKEIbB_M )。

日本の外務省は、「伏せる、逃げる、隠れる」を提唱しています(外務省「ゴルゴ13の中堅・中小企業向け海外安全対策マニュアル」(第12話「有事への対応」)https://www.anzen.mofa.go.jp/anzen_info/golgo13xgaimusho.html 参照)。いざというときに行動できるようにしておきたいところです。

爆発音を聞いたら

とっさに伏せて爆風をやり過ごす

銃声と並んで、対処が運命の分かれ目となるのが爆発音です。テロや事故で爆発がおきたときの被害は、破片による直接受傷だけでなく、爆風によって受ける被害も大きいのが実情です。

筆者はパリ在勤中に、列車内で爆弾テロに巻き込まれた邦人に関与したことがあります。一報を受けて領事(邦人保護担当官)とともに救急搬送先に駆けつけ担当医と話すと、聴覚関連の受傷を告げられました。爆風によるものです。こうした、体全体が吹っ飛ばされたり、鼓膜が損傷したりする爆風による被害を防ぐのに有効なのが「伏せる」です。爆発音は複数回にわたることもありますから、当面は伏せて動かないという行動が、身を助けることになるかもしれません。

道順や電車の経路を変える

行動パターンを変えることを習慣づける

現地の治安状況によっては、あるいは本人の立場や権限によっては、襲撃、待ち伏せ、拉致といった事態に遭遇することも想定すべき場合があります。通常、襲撃や待ち伏せ、拉致が実行に移される前には一定期間の「調査」が行なわれています。ターゲットが何時に自宅を出て、どの経路で出勤するのか。一定の時間にお決まりの道を必ず通るのであれば、難易度の低いターゲットということになります。

赴任国での通勤手段が運転手つきの車であれば、少なくとも数パターンの経路を用意しておき、毎朝出発時に「きょうはAルート」と指示を出します。本人以外は当日のそのときまで、どの道を通るかわからずランダムであること自体が抑止力になります。自分が運転するなら、不定期に経路を変更します。これは、日本国内にいるときから習慣づけておくと抵抗なくできるようになります。いつもの通勤電車を前後にずらしてみる、乗る車両をしばしば変えるようにすれば、実は〇両目は空いている、〇〇駅で乗り換えれば座れる、各駅停車に乗れば、わずか〇分乗車時間が伸びるだけで座れるなど、新たな発見があるかもしれません。

「一定行動をとらない」習慣を日本にいるときからぜひ体に染み込ませてください。

本当にこわい交通事故

発展途上国で一番こわいことはなんですか。多くの専門家が口をそろえるのが、「交通事故」です。横断歩道に突っ込んでくる車、白線をまたぎながら走る車、われ先にと交差点に鼻先を競うなど、交通ルールなど無きがごとき現地の道路は戦場です。首都を一歩出ればセンターラインもない、穴ぼこばかりの道が「高速道路」で、そんな道路上でバスが見事にひっくり返っている画像がしばしばインターネットやマスメディアをにぎわせます。

交通事故に遭遇するリスクが高いのは、ひとつに歩行者優先という常識が存在しないことがあります。また、左ハンドルの国ではわれわれ日本人が体で覚えた方向とは正反対から車がきます。現地の人は信号も横断歩道もないところを、車の間を縫うようにひょいひょいと器用に通り抜けていくので、郷に入ればと試みるなら、たちまち背中は冷や汗でびっしょりです。

しかしこういった交通事情は、事故がこわい理由の一面にすぎません。本当のこわさは「医療事情」と結びついて牙をむきます。先進国の医療をもってしても交通事故は複雑で困難な診療を迫られます。頭部打撲、腹部損傷、そこには外傷医療の専門医たちがチームを組み、億単位の高額な医療機器を駆使しながら対応にあたるテレビドラマばりの光景が日常的に展開しています。一方で、多くの発展途上国では、救急システムも整っておらず(公的な救急搬送システムが存在する国すら少数)、現場から何時間もかかってようやく到達した医療施設は、スタッフの経験も清潔度も未知数です。現地で複雑な手術が不可能となれば(そして適切な保険加入があれば)、治療が可能な先進国まで航空機で緊急搬送8時間なども日常的です。つまり、ふさわしい治療が受けられる病院の門をくぐるまでに丸1日以上の時間が経過してしまい、出血や感染リスクが上がるのは明白です。発展途上国では、マラリアやエボラ出血熱、MERSなどにも増して、交通事故のリスクを意識することが必要です。

「途上国」進出の処方箋-医療、メンタルヘルス・感染症対策
(画像=「途上国」進出の処方箋-医療、メンタルヘルス・感染症対策)

▲経済発展著しい都市の道路はいつも戦争状態(ジャカルタ)

「途上国」進出の処方箋-医療、メンタルヘルス・感染症対策
(画像=「途上国」進出の処方箋-医療、メンタルヘルス・感染症対策)

▲一見、整然と見える道路も歩行者に優しくないので注意(バンコク)

「途上国」進出の処方箋-医療、メンタルヘルス・感染症対策』
勝田吉彰
川崎医科大学大学院修了。1994年外務省入省。スーダン、フランス、セネガル、中華人民共和国などの日本国大使館の書記官兼医務官、参事官兼医務官などを経て2006年近畿医療福祉大学(現神戸医療福祉大学)教授。2012年より関西福祉大学社会福祉学部社会福祉学科・大学院社会福祉学研究科教授。医学博士。専門は渡航医学、メンタルヘルス。労働衛生コンサルタント、日本医師会認定産業医、日本渡航医学会認定医療職、精神保健指定医、日本精神神経学会専門医・指導医。

※画像をクリックするとAmazonに飛びます
ZUU online library
(※画像をクリックするとZUU online libraryに飛びます)