はじめに(3)

本稿では、ASEAN+3(4)域内において国際機関(例えばAMRO(5))によって国境を越えて域内で流通するデジタル貨幣の発行を考察する。デジタル貨幣としては、ACU(6)のようなアジア共通通貨単位で発行することを想定しており、その点では「アジア共通通貨」発行の提案でもある。ただし、当面は各国が従来通り各国通貨を発行することも前提としており、域内では各国通貨と共通通貨が並行して流通することになる。この点では各国通貨を廃止してユーロを単一通貨とした欧州とは異なっている。将来的にユーロ型の統一通貨を排除するものではないが、むしろ本構想の狙いは、共通通貨の発行流通により域内決済の利便性の向上を図るものである。ASEAN+3では、国境を越えた決済ではいまだドルが介在している割合が大きい。しかしこれには、為替リスクが伴い域外国である米国の政策の影響を受けるという難点が伴う。これに対し本提案のような共通通貨は、残存する各国通貨との為替リスクは残るものの対ドルよりは小さくなる可能性が高いし、政治的には域内で管理することができる。そして、何よりも共通通貨で決済できる域内に広がる決済インフラが整備されることが大きなメリットとなる。

金融統合については、欧州が先行する。2000年代初めには、アジアにおいてもアジア共通通貨構想が盛んになりアジア共通通貨単位の計算なども行われてきている。ただこうした動きは、世界的な金融危機で生じたユーロ危機により一転し、ユーロ懐疑論からアジアにおいても共通通貨への情熱も薄らいでいるように見える。ただし、金融統合は、通貨統合と域内決済システムの整備の二つの部分から構成されることには注意が必要である。両者は表裏一体の面もあるが、それぞれを個別の施策としても推進できる。実際、欧州でも通貨統合と並んでユーロ非加盟国も含む域内ワイドの決済機構の整備が確実に進められてきた。まず、域内大口資金決済システム(RTGS)を相互接続したTARGETが整備され、その後、全RTGSを一つに統合したTARGET2に発展。また、証券決済システムについてもTARGET2-Securities(T2S)が稼働している。更に、現在、TARGET2とT2Sを統合中である。こうしたユーロ圏を超えた域内決済システムの整備が欧州域内の金融市場の発展に大きく寄与し、域内レベルでの産業の発展と金融業の発展に大きく貢献している。

本域内デジタル貨幣構想は、欧州と比べれば小規模であるが最初の域内決済システムの提言でもある。

ここで域内共通通貨の利点を簡述すると、通常指摘される為替リスクの軽減に加えて、通貨危機への耐性の強化という側面がある。1997年~98年のアジア危機のように金融危機は、脆弱性を見せた個別の各国通貨へのアタックから始まり周辺に連鎖する。共通通貨はこうした環の弱点をなくす。さらに重要なのは、共通通貨が多国間体制で運営されるという点である。多国間体制では、小国も大国同様に発言力を持つ。国際金融では、現状米国がヘゲモニー国であるが、将来的には中国の力が大きくなることも予想される。多国間体制は、こうした大国の行動を抑制する。

なお、本デジタル通貨構想は、各国通貨との併存を展望しており複雑との指摘もあろうが、ドル化した国ではすでに複数通貨が併存した状態であるし、ビットコインやリブラなどのプライベイトな暗号資産が国際的に通貨として流通すれば、これも既存の法定通貨と併存することになる。こうした状況を展望すれば、本構想のようにプライベイトな通貨に加えて公的な通貨が国際的に流通することは十分意義があると思える。

ASEAN+3地域では、ユーロに先立つ約500年前、中国の明銭である永楽通宝が広く流通していたことが知られている。わが国では、自国の通貨をもたず中国からの渡来銭が流通していた。本デジタル通貨は、永楽銭を現在によみがえらせる構想でもある。当時中国銭は国際貿易を通じて欧州などにも渡った。本構想も、アジアを超えて世界共通通貨の可能性も孕んでいる。

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(画像=ニッセイ基礎研究所)

(3)本稿執筆に当り、高村泰夫氏(財務省)、水野正幸氏(アフラック生命保険)、山寺智氏(アジア開発銀行)、織立敏博氏(日証金信託銀行)など多数の方からご助言を得た。本稿は、それらのご助言や情報を活用しているものの、内容や意見の責任は、筆者に属するもので、JICA、ADB、日本銀行、財務省、AMROなどの組織・機関の公式見解を示すものではないことを付記する。
(4)ASEAN+3とは、ASEAN10カ国(インドネシア,マレーシア,フィリピン,シンガポール,タイ,ブルネイ,ベトナム,ラオス,ミャンマー,カンボジア),に日本,中国,韓国の3か国を加えた13か国および中華人民共和国香港特別行政区を加えた14の国と地域(ここでは14エコノミーと呼ぶ)で構成。
(5)ASEAN+3 Macroeconomic Research Office
(6)Asian Currency Unit

デジタル通貨について

中央銀行が発行するデジタル通貨(CBDC)にいては、既に多くの論稿があり、幾つかの事例も報告されている。これらの中で日本銀行の雨宮副総裁による「日本銀行は、デジタル通貨を発行すべきか」が、明確に中央銀行の考え方・方針を説明している。具体的には、「多くの中央銀行は、近い将来CBDCを発行する計画はないが、調査解析は行ってゆくというスタンスであり、日本銀行も同様な考え」というものである。同講演の中で、デジタル通貨について「ホールセール型」と「一般利用型」に大別し、各々の特徴を次のように説明している。「ホールセール型」は、参加者が銀行など一部の先に限定されており、金融機関の資金決済を目的とした電子的な中銀マネーの一種であり、これまで既にデジタル化された中銀債務による決済について、分散台帳技術などの新しい情報技術を利用したものである。もう一つの「一般利用型」は、銀行券や貨幣など現金を代替するものであり、「口座型」と「トークン型」に分類される。「口座型」は、個人や企業が中央銀行に顧客口座を開設し口座間の振替により決済を行うものである。「トークン型」は、スマートフォンやICカードにデジタル通貨を格納し利用者間で金銭的価値を移転することにより決済を行うというもので、「価値保蔵型(stored value)」とも呼ばれている。現在日本で普及しているプリペイド型の電子マネーは、「トークン型」に分類される。

因みに、「ホールセール型」の考え方は、債券の発行等にも適用され既に実用レベルに達している。本ペーパーでは、「ホールセール型」と「トークン型」を組み合わせることにより、地域デジタル通貨(コイン)を実現する方法について一案を提示している。

実現方法の例

最近の金融市場インフラにおける技術動向を概観すると、既に分散台帳技術を活用した様々な金融ビジネスが提案され、実際に稼働しつつある。ここでは、プライベイト型分散台帳技術による債券発行の仕組み(7)「ホールセール型」を既存の電子マネー発行や中央集権的な狭義のブロックチェーン技術(8)「トークン型」と組合せることにより、国際機関が発行する地域デジタルコイン(例えばAMROコイン)を実現する方法について考察する。

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(画像=ニッセイ基礎研究所)

まず、ASEAN+3各国(エコノミー)の政府ないしは中央銀行が、同エコノミーの国債や通貨をAMROに提供・出資し、それを見合いに、AMRO が、「AMROコイン発行用債券」を発行・提供する。同債券は、ASEAN+3の状況を鑑み、通貨バスケット制に基づく「ACU建債券建」とする。次に、域内の中銀等はAMROに提供した国債・自国通貨相当の「AMROコイン発行用債券」を資産として持ち、AMROコインをそれぞれの経済の金融機関他、店舗、個人に発行する。その際、域内の中銀等は、資産として保有するAMROコイン発行用債券のうち、AMROコイン発行相当額を「AMROコイン発行用債券(自己口)」から「AMROコイン発行済(顧客口)」に移転させ、管理することなどが考えられる(図表1)。

このように、プライベイト分散台帳技術を活用することにより、ASEAN+3のエコノミーの中銀等間では、AMROコインの発行に関する情報をトランスペアレントに相互に把握できるようになると言える。

AMROコインの発行そのものは、AMROコイン発行運営体が一元的に行い、域内でのインターオペラビリティを確保する(図表2)。

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(画像=ニッセイ基礎研究所)

各エコノミーにおいてAMROコインを発行する場合には、物理的なタンパ―レジスタンスを保証するハードウェア(例えば非接触型ICチップ)、所謂、電子財布や電子金庫内に暗号化により守られたストアードバリューとして、AMROコインを保管・流通させることになる。

実際の実現方法については、既に実績のある日本の電子マネー発行の仕組みや狭義のブロックチェーンを応用する方法(例えば「中央銀行ないしは同等の機能を有する機関が法定通貨として発行することを目的とした電子マネーおよび電子マネーシステム」)などを参考に、安全で効率的なAMROコインが提供できるよう検討することが望まれる。一例として、当該電子マネー発行の基本的な考え方、構成、特徴を別添に示す。

このAMROコインが実現すると、国(エコノミー)を跨る(クロスボーダーでの)送金が可能となる(図表3)。

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(画像=ニッセイ基礎研究所)

なお、他エコノミーが提供するAMROコインが還流してきた場合には、AMROコイン発行運営体に戻すこととなる。


(7)「世界初、ブロックチェーンを活用した世銀の債券発行スキーム」(2018.12.3金融財政事情)、「Project DLT Scripless Bond」(2017 Bank of Thailand)などが挙げられる。なお、世銀の債券発行スキームはイーサリアムを、タイ中銀のものはHyperledger Fabricを活用。
(8)「世界初、ブロックチェーンを活用した世銀の債券発行スキーム」(2018.12.3金融財政事情)、「Project DLT Scripless Bond」(2017 Bank of Thailand)などが挙げられる。なお、世銀の債券発行スキームはイーサリアムを、タイ中銀のものはHyperledger Fabricを活用。

AMROコインの通貨としての信用力、一般受容性、ファイナリティ

通貨としての性能・機能を議論する場合、信用力、一般受容性、ファイナリティが重要な要素と言われている。通常、中央銀行が発行する通貨は、法的にも強制通用力を持っており、レンダーオブラストリゾートが発行するという中央銀行の信用力に裏付けられている。AMROコインの信用力については、そのような法的な裏付けがなく、民間のデジタル通貨と同様な方法で安全資産としてのAMROコインの信用力を保証する必要がある。前述の実施方法の例では、各エコノミーの中央銀行ないしは政府が、AMROコインの発行に見合う債券などの資産を提供することにより、その信用力を保証することになる。また、AMROの機能としてASEAN+3各エコノミーの状況を監視(サーベイランス)・分析を行うことにより、もし何らかの問題が発生した場合には然るべき対応を施すことが可能であり、また、チェンマイ・イニシアティブ(CMIM)による救済手段も整っていることから、AMROコインは、十分な信用力があると考えられる。次に、一般受容性については、当該通貨が、決済手段として広く人々に受入れられることが前提となるため、AMROコインにとって最も重要な要件と言える。キャッシュレスが唱えられて既に相当の年月が経つにも拘らず日本では現金、国によって小切手が未だに一般的に通用している。これは、口座振替などの支払手段と比較し、現金や小切手による支払では相手の口座番号といった付加的な情報を知らなくても支払ができるということが、大きな要因の一つと言える。その一例がQRコードである。QRコードは、支払者が相手の口座番号などの情報を入力する手間を(QRコードを読むという行為により)省き利便性を格段に向上させた。これに対し、AMROコインは「価値保蔵型」の支払手段であり、口座番号といった情報と紐づけられていない為、「カードでタッチする」、「携帯電話間でAMROコインを送る」などの直接的な手段により支払(価値の移転)を完了することが可能であることが利点といえる。更に、AMROコインのファイナリティとしては、「価値保蔵型」であることから、価値の移動により、ファイナリティを確保することができ、現金と同様なレベルを提供できるものと考えられる。

シニョレッジの配分

AMROコインの発行の裏づけになるAMROコイン発行用債券はAMROのバランスシートの負債側に立つため、当該負債に見合う安全な資産がASEAN+3の中央銀行や政府機関から提供されることとなる。その資産(の運用等)から得た利益から、運営コストおよび将来のサービス拡張などに必要となる投資分を差し引いた金額は「シニョレッジ」として参加各国に配分される。「シニョレッジ」は、ASEAN+3の中央銀行や政府機関から提供される安全な資産の出資額に応じて配分される。後述の通り、ドル化している国にとっては、AMROコイン発行によるシニョレッジの配分を受けることは、メリットとなるが、自国通貨が流通する国では、AMROコイン流通分シニョレッジが減少することを考えるとメリットは限定的と言える。