ネット起業家のバイブルと言われた『ITビジネスの原理』(NHK出版)の刊行から6年。ネットビジネスの過去25年の歴史を振り返り、今後の10年を見通すための新たなバイブル『ネットビジネス進化論: 何が「成功」をもたらすのか』(NHK出版)の刊行を記念して、著者の尾原和啓さんが、コーポレイトディレクション(CDI)時代の上司でもある経営共創基盤(IGPI)CEOの冨山和彦さんとオンラインで緊急対談。
今回の新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、『コロナショック・サバイバル』と『コーポレート・トランスフォーメーション』(いずれも文藝春秋)を立て続けに上梓した冨山さんと、アフターコロナ時代のネットビジネスの行方やこれからの個人の働き方について語り合った。
ネットがリアルな世界を飲み込んでいく
尾原和啓(以下、尾原):こんにちは、冨山さん。今回『ネットビジネス進化論』という本を書かせていただいたんですけれども、いかがでしたか?
冨山和彦(以下、冨山):題名からすると、ネットビジネスに関心がある人向けっぽいけど、全ての人が読んだほうがいい本だと思いました。僕たちの生活があらゆる次元でネットと不可分になるということなので、むしろネットと深く接点がない人ほど読むべきですよね、この本は。
尾原:ありがとうございます。インターネットが登場してもう25年以上経っていて、いつのまにか、世界の時価総額のトップはGAFAM(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル、マイクロソフト)になっているにもかかわらず、ネットの進化の原理・原則を振り返っている人がいなかったので、それをやってみたのがこの本です。どこか気になったところはありましたか?
冨山: 尾原さんの本の最初のパートは「権力」のありかについて書いてある。僕は権力というのはリアルの象徴だと思っているので、それがネットに内在化しているというとらえ方に、おおっと思いました。
尾原: インターネットは離れた人をつなげるのが本質で、たくさんの人がそこを通過する「入り口」を握ったものに権力が宿るという話をしています。検索にしろ、キャッシュレス決済にしろ、ユーザーにとっていちばん使いやすいものを提供すれば、ついついみんなが使ってくれるので、結果としてデータがたまる。
冨山: 何をするにしても、いまはネットから入るでしょ。どこかに遊びに行くにしても、何かを買うにしても、まずはネットで調べて、グーグルマップを見ながらそこに行くわけだから。さらに、今回コロナショックが起きたせいで、みんながリモートで仕事をするようになり、ネットを通じてコミュニケーションをとるようになった。いまやテレビも、ネット空間にアクセスするための、ただのディスプレイになってしまったわけです。とくにコロナによるステイホームの2か月間は決定的でした。
尾原: 実際、今回の対談も、僕はシンガポールにいて、冨山さんが東京にいらっしゃって、Zoomでやりとりしています。
冨山: 何か新しいテクノロジーが出てくると「機械vs人間」のような対立構造で考えがちなんだけど、ネットが出てきたときに、「リアル vs バーチャル」ととらえていたのがそもそも間違いで。結局、道具にすぎないわけで、ネットという道具をどう使うかという話になったときに、ネットというのはすべての認識の出発点になった。僕らの知的活動に直接かかわっているわけで、すべての人の生活にネットが入り込んで、もはや不可分になった。いいタイミングに本が出ましたよね。
尾原: 2019年に『アフターデジタル』(日経BP)を出したときは、もうスーパーで買い物をするときも「何をつくろうかな」とスマホでレシピを見ながら買っていたりして、すべてのファーストタッチがネットになった。オフラインは消失して、オンラインがすべてを包み込んでいるという書き方をしていたのですが、今回のコロナショックで、僕たちは一時的にオフライン環境にタッチできなくなった。それによって、みんながオンラインのよさをあらためて享受したわけです。その意味では、同じタイミングで冨山さんが『コロナショック・サバイバル』と『コーポレート・トランスフォーメーション』の本を出されたのも、ネット的なものが裏側にあるからだと感じました。
冨山: もちろんです。かつてはサプライヤーが消費者と1対1でつながることはできなかった。あいだに大手量販店や流通を介在させないといけなかったわけです。ところが、ネットの出現によって、お客さんと1対1でつながることができるようになった。そうすると、お客さんがほしかったのは、鉄のかたまり(自動車)ではなくて、移動したいだけだったということがわかってくる。ウーバーが出てきて、中距離中速移動をフレキシブルにやれるなら、高いコストをかけて車を所有する必要もない。それ以外の手段をネットが提供するようになれば、当然、みんなそれを使う。産業社会的な大前提が変わってしまったわけですが、本当は、いいことなんですよね。
尾原: はい。自動車に乗る時間を小分けにして、ネットを介して誰でも使えるようすると、車をもたなくても移動できるし、一方で車を所有している人は、自分の時間を提供してお金を稼げるようになる。
「エンドゲーム」は永久にやってこない
冨山: ユーザーの立場になると、自分が本当にほしかったものがわかる。そういう時代に、ハードをつくって売ることしか頭にないサプライヤーは、ハードに強引に付加価値をつけて頑張ってしまう。たとえば、高精細の8K、16Kの液晶テレビみたいなものが出てくる。でも、ユーザーは大画面で好きなときにYouTubeやNetflixが見たいだけで、8Kか16Kかというのは、どうでもよくて。
尾原: 昔は大きなスクリーンで臨場感をもって見るには、映画館に行くしかなかったけど、いまなら、真っ暗な空間で一人で黙って見るよりも、友だちとワイワイ騒ぎながら見るほうが楽しいという人もいて、物理的に離れていても、ZoomでつながりながらYouTubeを一緒に見ることもできます。ある意味、自分の欲望に素直になれるわけです。
冨山: ネットは人々の生活をめちゃめちゃ豊かにするし、ウーバーが車の非稼働時間を短縮したように、工業化社会においてどうしても生じていたムダがなくなる。20世紀の終わりに、ネットというすばらしいツールを僕らは手にしたわけです。そうなると、次に問われるのは、GAFAMが一人勝ちでけしからんという話はなくて、それを使う一人ひとりの知恵の問題だと思います。
尾原: インターネットの本質は何かと何かをつなげることです。『ネットビジネス進化論』では、そのつながるパターンを14種類に分けて整理しました。ネットがあいだを飛ばして直接つなげることで、さまざまなビジネスが進化してきたのですが、一方で、中抜きされると結局、経済がシュリンク(縮小)するだけじゃないか、効率化の勝負になると、GAFAMに勝てないじゃないかという人が出てきます。
冨山: 中途半端に頭のいい人は、歴史の終わりっぽい話が好きなんです。ところが、これでエンドゲームだという予想はたいてい外れる(笑)。たとえば、石油を支配するものがすべてを支配するからロックフェラーで終わりと言われていたけど、そうはならなかった。コンピュータもIBMが勝利して終わりと言われていたけど、そこからウィンテル(マイクロソフトWindowsとインテルの合成語)の時代になったわけです。だから、GAFAMで終わりにはならない。それどころか、事実上、グーグルやフェイスブックは公共財になってきています。かつての電力がそうだったし、電話もそうでした。最初はプライベートビジネスから始まり、一時的にめちゃめちゃ儲かる独占企業体になるんだけど、そうなると「いい加減にしろ」という声が強くなって、やがて「公共財になりなさい」という圧力がかかる。いったん公共財になると、今度はそれを前提としたビジネスがたくさん出てくる。それは進化し続けるということであって、歴史は終わらないんです、永久に。