たった1人の反対で物事がストップしてしまうコンセンサス型民主主義

冨山和彦氏×尾原和啓氏対談#2
(画像=zoomで対談する尾原氏、本人提供)

尾原: ネットによって参入の敷居が下がっているはずなのに、日本でDX(デジタル・トランスフォーメーション)が起きにくい理由はなんですか?

冨山: それは、猛烈な経路依存型の社会になっているからですよ。明治以来、工業化でずっと頑張ってきて、高度経済成長以降の30年間は華々しく成功した。追いつけ追いこせの大量生産大量販売モデルで、80年代の終わりには、前チャンピオンのアメリカを一時的に凌駕しました。工業化モデルにおいては、恐竜もビックリするくらい、過剰進化・過剰適応したわけです。

尾原: ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代ですね。

冨山: でも、その結果、社会保障制度からいろんな仕組みまで、ものすごい経路をいっぱいつくってしまった。

尾原: たまたま終身雇用制がハマりました、日本の儒教的な文化がハマりましたみたいな、経路依存性がかけ算になっちゃったわけです。

冨山: 社会全体が経路依存体制になっているから、そこから脱却して違う経路構造にもっていくには、スイッチングコストがいろんなところにあって、その中の1個だけ変えても、ほかが変わらなければ、結局、揺り戻しが起きてしまう。それがずっと続いてきた。当然、それはナンセンスだから変えようということになるけれど、社会全体としては変えるメリットのほうが変えるコストより大きくても、個々のレベルに微分しちゃうと、ほとんどの当事者にとっては変えるコストのほうが大きい。シリアスなステークホルダーは自分の仕事がなくなってしまうからです。

 もう一つは、日本の戦後の仕組みは、よくも悪くもとても民主的で、かつ、日本の民主主義は多数決ではなくコンセンサスで決まるから。ということは、現状維持型がどうしても強くなる。全員一致が原則だから、一人でも反対したら変えられない。一人の命は地球より重い、ということになってしまったわけです。

冨山和彦氏×尾原和啓氏対談#2
(画像=zoomで対談に応じる冨山氏、尾原氏提供)

尾原: アメリカだといい意味でオーナーシップというものが発達しました。あと、冨山さんが解説された『両利きの経営』(東洋経済新報社)でも出てきますが、新しいものを探索する人たちと、一つのものを深堀り(深化)する人たちの社会的ポートフォリオがあったり。

冨山: そこはアメリカのほうが多様性があるし、もともとダイナミック(動的)なデモクラシーなので、乱暴なことでもやれてしまう。日本のほうがスタティック(静的)なコンセンサス型のデモクラシーになっているから、コンセンサスベースでボトムアップで物事を決めることは、日本人はもともと好きなんだけど、とりわけ戦後に強烈になった。かつ、それで30年くらいは困らなかったわけです。

尾原: うまく行ってしまった。惰性も含めて。

冨山: それが僕らの社会の隅々にまで染み込んでしまっている。取締役会でも賛成5、反対4で決まるということはめったにない。1人でも反対したら議案が止まるからです。だから、社外取締役は力がないとよく言われるけれど、あれはウソです。日本ほど社外取締役がマイノリティーでも力をもてる国はない。

尾原: 1人が「ノー」と言えば、押し切れない。そうすると、冨山さんのようにはっきり「ノー」と言える社外取締役がめちゃめちゃ強い社会でもある。

冨山: そうです。実際、止めたことあるし。

尾原: そんな状態を今の時代は、「止める」よりも「変わる」、「変わる」よりも「トランスフォームする」というところまでアクセルを踏み込まなければいけないわけです。

冨山: そのとおり。「ノー」と言うのはあくまで拒否権だから、リアクティブ(後でアクション)な話です。プロアクティブ(先にアクション)な話に変えようと思えば、当然のことながら、リーダーの独善で物事を決められる仕組みにする。それを容認・受容して、うまく行かなかったら、リーダーごと変えるというやり方にする必要があります。現に、アメリカはそうなっている。ボトムアップでトランプ政権のやり方が変えられるなんて、誰も思っていない。選挙で、大統領を変えるしかないわけです。