(本記事は、新佛 千治氏の著書『クルマ買取り ハッピーカーズ物語』=サンライズパブリッシング、2020年8月7日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

フランチャイズで全国展開へ

クルマ買取り ハッピーカーズ物語
(画像=debramillet/stock.adobe.com)

ハッピーカーズ®はとても順調に進むようになりました。

地元密着のスタンスを続けていたら、お客様がどんどん知り合いを紹介してくださるようになったのです。

お客様に提示する金額は、これまで通り適正価格を忠実に守り、ときには高く買いすぎて損することもありましたが、お客様からの感謝の声は、ますます大きくなっていきました。

僕が単独ではじめた車買取りがうまくいっているのは、自宅兼事務所のマンションの一室ではじめたことに起因しています。

結局のところ、車買取りの肝の部分は、売却可能な相場以下で買取り、相場以上で売却する、という点に尽きるでしょう。すなわち広告宣伝費や人件費、販管費などの費用がかさむほど、その経費分を見込んだ粗利が必要となるのです。

その反面、僕のような個人営業だと、自宅兼事務所で、ほぼ経費がかかっていないので、最悪、損をしなければOKという判断ができ、結果、高く買取れる。つまり、価格競争力が高いということになります。

ひとつの会社として、従業員を抱え、規模を大きくしていくために広告費をかけ、国道沿いに大きな敷地の店舗を構えるとなると、その利点はなくなり、単なるよくある買取り店となってしまいます。これは現実的ではありません。

では、もっとスピード感をもって事業を拡大していくためにはどうればいいか? 答えは "僕"の量産化でした。今やっている僕自身の買取り業務をコピーさせること。

つまり、一ブランドとして同じ動き、同じツールを使って、同じ集客手法で、同じように販売し、換金していくこと。業務自体は非常にシンプルなものなので、再現性は極めて高い。

「フランチャイズをやろう!」。

僕はそう、決断しました。

僕自身は湘南にターゲットを絞って車買取りを行っていましたが、フランチャイズにして全国展開できるようになれば、当然、もっとたくさんのお客様にリーチができます。

いろいろな地域に「地元の専門家」が広がれば、「ハッピーの総量」は増える。

自分がゼロからしてきたことを、誰でも、明日から、同じ動きができるように。

早速、自分の動きを分析し、パッケージに落とし込む作業がはじまりました。

まさかの裏切り

こうして僕は、マンションの一室でゼロからはじめた出張クルマ買取事業を創業2年目にしてフランチャイズ化することにしました。

コストをかけない経営で、出張買取りに特化した、クルマ買取りハッピーカーズ®の誕生です。この時点で新たに各店舗を統括する運営本部として、新会社「株式会社ハッピーカーズ®」が誕生しました。

はっきり言って、中古車の買取りは誰でもできる仕事です。難しくありません。

特別、車に詳しくなくても、車に対してそこそこ興味があればOKですし、特に資格も要りません。一般のお客様が相手ですから、企業を相手にしたビジネスみたいに、面倒なことや形式ばったこともありません。正直なところ、お金さえ払えば、誰でも中古車を買い取ることはできます。

最初の加盟店は、当時中古車輸出業を営み、日頃から親交があった"仲間のような人たち"でした。

しかし、ここでとんでもない事件が起きます。仲間と信じていた部下に、裏切られていたのです。これまでに誰かに裏切られたことのなかった僕は、かなりのショックを受けました。

基本的にこれまで性善説で生きてきたので、実際に自分が裏切られるとは思ってもいなかったのです。当然、その部下と一緒にハッピーカーズ®を続けることはできず、彼を失うことになりました。

彼が原因で起こってしまった事実については、加盟店に対して僕が会社を代表して謝罪しました。

さらに、思わぬ事態が起きます。

彼は業務上、加盟店と日頃からやりとりをすることが多かったので、彼らと強いつながりをもっていました。

そんな彼が去ることが加盟店に伝わると、「彼を辞めさせようとしている」と、たちまち加盟店が僕を悪者として非難しはじめたのです。

「社長が売上を独り占めしようとしている」として、実際とは逆の噂が広がってしまうのでした。

噂は、一度広がってしまったらもう止めることができません。

加盟店の中で、商売が思ったほどうまくいっていなかった一部の人たちはもちろん、そこそこうまくいっていて「良い商売を紹介してくれてありがとう」と言っていた人たちまで、流れに乗せられて「うまくいかないのはお前のせいだ」と、途端に僕を責めはじめました。加盟店の中にはどさくさに紛れて「金返せ!」と言ってきた人もいましたし、毎晩SNSに誹謗中傷を書き込まれたりしました。

それに対して、僕は一切弁解をしませんでした。

というのも僕は創業者であり、代表者であり、株主であり、すべての責任は僕にあることを自覚していたからです。

ハッピーカーズ®の内部で起こったことはすべて僕の責任なのです。

裏切り行為が発覚後、僕が行ったことは、そういったことが今後起きないような仕組みづくりやルールづくりでした。

そして、この騒動をきっかけに加盟店数100店規模を視野に入れた、それに対応できる体制づくりにも着手しました。

加盟店にとって、より利益を出しやすくしていくためのシステムを考えることが必要だと考えた僕は、大手中古車買取り企業と同じプラットフォームを利用。集客から顧客管理、営業まで一貫して行えるという大規模なシステムの導入に向けてひとりで尽力しました。

同時に、本部が集客し、加盟店に査定依頼の情報を紹介する「本部紹介サービス」を本格稼働させるために、お金と時間を使っていきました。

そんな中、騒動は一向に収まらず、次々と櫛の歯が欠けていくように加盟店は辞めていきました。その大規模システムの運用がはじまる頃には、当初は10社以上いた加盟店も、100店を目指すどころか、あっという間にほとんどいなくなってしまいました。

最後には、スタートしたばかりの「本部紹介サービス」を利用し、その情報のおかげで1台で100万円以上の利益を獲得できた加盟店すら、「ありがとうございました」と言い残してさっさと去っていきました。

やがて、加盟店はほとんどいなくなりました。

ハッピーカーズ®を立ち上げて、いよいよ軌道に乗り出すかという、設立から2年目の出来事でした。

ゼロからのV字回復

加盟店がほとんど辞めてしまったので、加盟店からの月会費もまったく入ってきません。

収入はゼロでも、ランニングコストだけはこれまで通りにかかっていき、さらに導入したばかりの100店規模を見据えたシステムにかかる費用も莫大でした。

「本部紹介サービス」の案件をせっかく獲得できても、その地方に査定に行ってくれる加盟店もいないので、加盟店のために行っていた集客への投資回収もままなりません。

当然、資金繰りも苦しくなってしまいました。僕自身の給料はもちろん、僕を信じて一緒についてきてくれた役員の報酬の支払いもできません。

「しばらくの間これで我慢してくれ」と、わずかばかりの報酬を謝りながら渡すと、「ハッピーカーズ®の可能性を考えれば、こんなことはどうってことありませんよ、一緒に乗り越えていきましょう」と、逆に励まされて涙したこともありました。

幸い、その頃は僕自身も、本部運営と並行してハッピーカーズ®湘南店として車買取りもやっていたので、最低限食べていく分くらいの収入はあったのですが、僕も所詮ただの人間なので、精神的になかなかキツい時期であったことはいうまでもありません。

しかしそれでも、僕には「ハッピーカーズ®の考え方やビジネスモデルは絶対に間違っていない」という自信がありましたし、僕自身、「道にはずれたことはしていない」という確信もありました。

さらに、「ハッピーカーズ®に出会うことさえできれば、成功できる可能性を秘めた人たちも大勢いる。僕がここで諦めれば、彼らからチャンスを奪うことになってしまう」という使命感もありました。

僕は、何よりハッピーカーズ®のポテンシャルを信じていたのです。

まだ、僕はアクセルを踏める――。こうした裏切り行為が起きたのは、一体何がいけなかったのか、立ち止まってじっくり考えてみることにしました。

とにかく人と会えるオーナーは成功する

ハッピーカーズ®の加盟店システムは「無店舗、無在庫、スマホ1台」からはじめられるという気軽さもあり、副業としてはじめる人も増えています。

その背景には、ライフスタイルの多様化や、働き方改革など、ここ数年で日本に現れた変化も影響しているのでしょう。

もちろん「会社を辞めて、これ一本で頑張ります!」、「専業で頑張って、毎月100万円稼ぎます!」、「人生の大逆転を狙います!」という脱サラ組の人もいます。

僕はそういう人と面接をするとき、事業の説明の前に、独立、開業するにあたっての心構えとリスクについてお話しします。

言葉は正しくないかもしれませんが、サラリーマンの気持ちのまま、転職気分で独立開業に臨むと、おそらく失敗するでしょう。

誰かが何かをやってくれるはず、指示してくれなかった、教えてくれなかった、こんなはずじゃなかったなど、こういった言葉を独立後につぶやいたとしても、誰も助けてはくれないのですから。

なので「本当に大丈夫ですか?」としつこいくらい確認します。

「大丈夫ですか」という言葉には、さまざまな状況に対する覚悟ができていますかという意味も含まれています。中には自信とやる気に溢れていて、「大丈夫です! やり方が完璧にイメージできているので」と答える人もいますが、そういう人には開業に向けて特に注意してヒアリングを行っています。

頭の中でイメージができているということは、逆を言えば、それ以外のやり方は頭の中から抜け落ちてしまっている恐れがあるからです。

車買取りは人と折衝する仕事ですから、予想外のことも頻繁に起こります。思い通りにいかないことも、少なくありません。

そのようなとき、柔軟な姿勢で臨機応変に対応することがとても大事になってきます。

あっさり「もうだめだ」と諦めてしまう前に、常に想定外の事態に対応できるように頭と体を柔らかくしておくようにアドバイスしています。

車買取り事業で他社との大きな差別化ポイントは、もちろんブランド力もそうですが、金額はともかく、とにかく自分自身です。

仕事のスキームはシンプルです。あとは言葉は悪いですが、とにかくバカになって人と会っていける人なら、きっとうまくいくはずです。

正直、多大な経費をかけて10万部のチラシをまくよりも、毎日10人と会うほうが、結果が出やすいのがこの商売の特徴です。

車についてそれほど深い知識がなくても、査定の際に徹底的にお客様の利益を追求する思いで人と接することさえできれば、のちに、結果として利益はついてきます。また、案外お客様のためにと、思いきって高く買取りしていると、損もしないから不思議なものです。

クルマ買取り ハッピーカーズ物語
新佛 千治(しんぶつ ちはる)
株式会社ハッピーカーズ 代表取締役
営業職としてメーカーに入社落ちこぼれ営業マンから全国トップクラスの営業マンに成長するも、自分の可能性をもっと広げてみたいと、退社。大波に乗ることを目指してハワイへ。
帰国後、新たにデザインの勉強をはじめ、広告業界に飛び込む。出版社にデザイナーとして入社し、のちに大手情報サービス会社で広告制作ディレクター、コピーライターとして実績を積み、2005年にはクリエイティブディレクターとして広告制作会社を立ち上げる。
その後、外部要因に左右される経営環境を変えるべく、もうひとつ事業の柱をつくろうと中古車の輸出ビジネスを開始。海外への販売ルートの開拓を視野に、中古車の輸出先となるアフリカのタンザニアに現地法人を立ち上げる。
しかし、治安の問題もあり短期間で撤退を決断。中古車輸出業から手を引く。その際の経験を活かし、日本国内において一般のお客様から中古車を仕入れて、オークションで販売する車買取り業者、株式会社ハッピーカーズが誕生。
2015年の事業立ち上げからわずか4年で、全国に70以上の加盟店を展開する企業へと成長する 。

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