コロナ感染は、どこにウイルスが潜んでいるかわからないことが疑心暗鬼を生む。不完全情報が、様々な取引コストを増やし、心理的不安を増長させる。このまま感染分布がブラックボックス化すると、感染阻止のために全体的な接触制限に追い込まれる可能性も高まる。状況を改善するには、ミクロの啓蒙により感染拡大を抑えることが重要だ。不安心理に対しては、情報公開を行って、人々が「正当にこわがる」ことで過剰な不安を減らすことが大切だと考えられる。

危機
(画像=PIXTA)

感染が見えない不安

筆者は、コロナ感染の第二波が到来していると認識している。本稿では、このコロナ感染をどう理解して、どう対処すべきかという回答を、経済学の知見を応用することで導きたい。

まず、コロナ危機の性格分析である。やっかいな性格は、誰に感染して、どのような分布で感染が広がっているのかが見えないという不完全情報の世界をつくっていることだ。ウイルスによって生じる感染症の影響については、次の3段階があるとされる。第一段階は、コロナそのものの生物学的感染症の影響。そこから人々の心理に生じた恐怖と不安による心理的感染症の影響。さらに、その不安は「あいつ等のせいだ」というような特定の人々に対する偏見や差別、嫌悪といった社会的感染症の影響へと発展するとされる。情報の経済学による知見は、この3つの中で二段階目の心理的感染症のメカニズムを考えるのに役立つ。

例えば、電車に乗ったり、店舗に行くとき、そこで隣に座った人が感染しているかどうかを疑わしく感じるので、私たちはマスクを着用し、時にはフェイスシールドを用いる人もいる。家に帰ってこまめに消毒する人も多い。これらは、有形のコストが発生しているということである。高齢者などは外出を怖がって、買い物を手控えたり、外食を取り止めたりする。これらは無形のコストである。お互いに信用できずに、疑心暗鬼が生じているのだ。理由は、すぐ近くにいる相手の感染状況がわからず、不信を払拭できないからだ。感染に関する情報が不完全だから、信用が損なわれて、その弊害が発生している。

感染に関する信用が壊れている構造は少し複雑だ。単に知ることができないのではなく、情報が隠される素地が生まれているからだ。例えば、今、ここに感染しているかもしれないと漠然とした自覚症状のある人がいるとする。その人は、自分からは検査を受けようとはしない可能性がある。その人は、自分から検査して陽性だと名乗り出ると、仕事ができなくなったり、他人から日頃の行動が品行方正ではないと疑われたりする不利益を被ることを警戒する。不利益は、社会的なペナルティとして、もっと大きいかもしれない。筆者は、以前、メーカーの系列会社から、自分たちのグループは1人でも感染者が発見されたら、即座に取引停止になると聞いた。別の人は、大型店舗への納入禁止になるというペナルティを言っていた人もいる。そうした罰則があると、自覚症状がある人は正直に名乗り出にくい。症状を隠し続けて、どうにも隠しきれなくなったときに、「気付かなかった」と申告する。そうして早期に検査を受けなかったことを咎められずに済む。

そうした早期発見が遅れるバイアスがあるときは、検査を広く行っても感染拡大を阻止することは行いにくくなる。以前、PCR検査のキャパシティが不足していることは大きな批判があったが、最近は改善されたという。しかし、早期発見が遅れるバイアスがあるとき、検査体制を整備しても、それだけで早期発見をすることは十分とは言えない。検査を自分から受けたくないと思うバイアスを変えるためのインセンティブ設計が行われなくてはいけないと考えられる。

現在起こっていることの解釈

8月初の時点で、日本を含めて世界各国で感染拡大の第二波に似た状況に陥っている。東京都では6月中旬頃から新規感染者の増加が目立っている。これが、4・5月のような緊急事態宣言になるかどうかが警戒されているのが実情だ。

感染対策の基本は、検査・追跡・隔離だと言われている。この基本は、古来、ペストなど感染症の歴史的教訓として知られている。しかし、この基本がうまく守られていればよいが、感染が広がっていくと限界に突き当たる。それは、検査をして陽性者だった人の経路が追えなくなり、感染分布が全くわからないというブラックボックス化が起こることだ。検査には、今後、他人にうつして感染する可能性がある人を特定して隔離することで、将来の感染を抑え込むという予防的側面もある。陽性者の感染からその経路を追跡していくことは、そうした予防的効果を高める行動とも言える。仮に、感染経路が100%追えていて、検査数がどんどん増加していれば、新規感染者の増加には問題がないと言える。しかし、それとは違って、感染経路がわからない陽性者が増加しているのであれば、それは感染状況のブラックボックス化が進んでいるということになろう。

感染分布のブラックボックス化が進んでしまった後で、急増する新規感染者を減らそうとすれば、もはや緊急事態宣言を行って、経済活動を大規模に止めることにならざるを得ないだろう。これは分布が見えなくなるから、全員一律に接触を止めて対応するしかないという判断になっているということだ。極めて非効率な状況だ。残念ながら、やむを得ず4・5月は、人と人との接触を極力8割減らすという対応を採った。感染している人も接触を断ったのだろうが、感染していない人も他人との接触を断たざるを得なかった。ブラックボックス化した状況では、経済活動を大胆に停止しようという措置を採れば、それはあまりに経済的な痛みが大きくなる。

8月初に確認されている感染状況は、感染分布がブラックボックス化して、もはやすべての人と人との接触を削減しなければ感染者数を抑え込めない状況に近づいていると感じられる。

しかし、筆者は緊急事態宣言を発令したとしても、一時的に人と人との接触を減らすだけだから、根本的な解決にはならないとみる。その後、経済活動を再開すれば、やはり感染者数は増加して、元の木阿弥になる公算が高いとみている。

ミクロ的な取り組み

感染分布をブラックボックス化させないためには、人々の意識を変化させることが重要だ。少しでも自覚症状のある人が積極的にPCR検査を受けて早期に感染状況を確認するようになればよい。そのためには、インセンテティブ構造を変える活動が必要だろう。このことは、言葉で表現するよりも遙かに実行が難しい。

思考実験として、コロナが検査で判明した人には、報奨金20万円を支払うとするとうまく行くのかを考えよう。うまく行きそうにない理由として、人によって検査で陽性になったことのペナルティの実感が違うので、一定の金銭を渡しても、負の利得が残ると思い、積極的に検査を受けない人が残ると思われる。

別の方法として、連帯意識に働きかける方が効率的だと筆者は考える。例えば、会社や地域、スポーツジムなどに通う人のグループでもよい。そのグループ内で集団感染が起きたときの集団の不利益を知らせる。啓蒙活動と言った方がよいかもしれない。万一、メンバーの中で積極的に検査を受けて陽性反応が出た人がいれば、その人を責めずに誉める。その人は未然に集団の不利益の起こりそうなリスクの芽を摘んだのだから誉められてよいはずだ。すると、他のメンバーの心理的ハードルも下がる。

こうした啓蒙活動を会社、地域、グループで行うことは、感染の可能性を隠そうというバイアスを封じる抗力(アンチ・バイアス)になる。集団の不利益を念頭に置いて、連帯感を高めて、献身的な行動を呼びかける。メンバーは、共通の利害を共有するステイクホルダーなのである。

これは理念を説いているのではなく、東京都の感染リスクの高い区域の首長と事業者が協力して推進する活動をモデルにしている。地域の利益を重視することは、他者から感染源のレッテルを貼られて「地域を封鎖せよ」などと避難されることへの対抗策にもなる。感染下で起こる社会的感染症の影響を解消する対応策とも言える。

東京都も、事業者たちが三密対策をしっかり実施している店舗に対して、感染防止徹底宣言ステッカーを渡している。近頃は、都内でそうしたステッカーをみるようになった。大阪府でも同様のものがある。これらは、疑心暗鬼を抑えるための「リスク管理の見える化」になる。ミクロの取り組みとして評価できることだろう。

心理的感染症への対応

感染症がその副作用として生み出す疑心暗鬼を除去することが、これまでに述べてきたコロナ感染の情報問題を解決する鍵である。何か決定的な妙案はあるのだろうか。 筆者は、結局のところ、決定的な妙案は持ち合わせておらず、漸進的に努力するしかないというのが結論だ。例えば、決定的な妙案として免疫パスポートの発行を考えたい。今後、ワクチンが完成して、ワクチンを接種した人が感染しないという免疫を獲得できたとして、免疫パスポートを持つことにする。このパスポートを持つ人だけが集まって、経済活動をすれば、その人たちの間では疑心暗鬼は生まれない。

しかし、ワクチンには依然として不確実性があると見方は根強い。抗体ができても、短期間でその抗体が消えるという報告もある。それでは、パスポートは成り立たないという見方になる。

同様に、PCR検査を増やしても、一度陰性になった人でも、数日後に感染して陽性になる可能性があるので、誰も彼も検査しても無意味だという慎重意見がある。これらの医学的見地に立った慎重意見は、私たちを悲観的にさせる。

しかし、筆者には少しばかり異論がある。ワクチンを打って100%の感染阻止ができる免疫獲得を人々は望むが、その目標はミッションとして正しいのだろうか。よく考えると、インフルエンザの予防注射でさえ、有効性に様々な見方があり、限界があることが知られている。それでも、インフルエンザの予防注射が人々の不安を抑える効果をもたらしている。

ワクチンができて、短期間でも免疫獲得ができれば、心理的な恐怖や不安は大きく低下するだろう。自分は感染しているかもしれないと思い込んでいた人は、そのときに陰性と判断されるだけで、当面の不安から解放される。社会全体で検査が増えることは、社会全体の不確実性の総量を減らすことができる。これは、生物学的感染症の影響を減らせなくとも、そこから派生する心理的感染症の影響を減衰させるのに役立つと考えられる。日本では、海外の国々に比べて感染状況は格段に落ち着いているはずなのに、心理的には恐怖・不安は大きい。心理的不安が増幅される理由には、不完全な情報の下で、疑心暗鬼が広がっている度合いが日本は大きいからかもしれない。政策当局者はもっと心理的感染症の影響に配慮して運営した方がよい。

コロナ感染を情報問題として捉え直すと、ワクチンができるまでに検査を増やし、その実施状況・地域別結果、属性別結果を広く公表するだけで大きな意味があると考えられる。少し前になるが、大手通信会社が、6月9日にグループ社員や医療従事者の約4万人を対象にして抗体検査を実施したところ、陽性率が0.43%だったと発表した。また、厚生労働省は、6月1~7日に抗体検査を3地域で実施して、東京都の陽性率が0.10%、大阪府が0.17%、宮城県が0.03%だったことを明らかにした。実数で示すと、東京では1,971人を対象に検査して僅か2人が抗体を持っているという結果だった。これらのデータをみて、日本にはコロナが意外に広がっていないことがわかった。もしかすると、日本人は欧米人に比べてコロナ感染が広がりにくいのかもしれないと感じさせた。私たちの感染についての主観的確率はこの情報に反応して格段に下がったと思う。確かに、陽性率という数字は、扱いが難しい。分母になるサンプルの選び方、対象の範囲によって数字が振れるので確定的なことは言えないが、それでもその情報は極めて有益だ。

私たちは、情報が与えられることによって、その情報を分析・理解して自分なりの結論を出して納得する。そのことが心理的な不安の解消・緩和に役立つのである。これは、筆者からみれば20数年前の不良債権問題のときの教訓なのであるが、コロナ問題にテーマが変わるとやはり十分にその教訓は活かされないと感じてしまう。物理学者・作家・俳人でもあった寺田寅彦は、「正当にこわがる」という名言を語った。私たちは、専門家が思っているよりも正当にこわがることができると考えられる。心理的な感染症に伴う不安の部分は、もっと積極的にPCR検査の実施状況や抗体検査の結果などを情報開示することで、過剰な恐怖の部分はもっと解消していくとみられる。(提供:第一生命経済研究所

第一生命経済研究所 調査研究本部 経済調査部
首席エコノミスト 熊野 英生