様々な現場での実務経験が、アドバイザリーとして求められる
TESIC〔株〕を起業し、経営や人材育成などのアドバイザリーとして活躍している川越貴博氏は、トヨタ自動車〔株〕の出身。転職の経験も多く、アマゾンジャパン〔同〕や複数のスタートアップ企業でも働いたことがある。輝かしい経歴に見えるが、本人は「劣等感だらけ」だと話す。
「プロ野球選手を目指していたのですが、断念して、高校卒業後はトヨタ自動車に入社し、愛知県の三好工場の自動車部品を製造する現場で働いていました。トヨタ自動車には華やかな学歴を持つ方々が大勢いて、高卒である私は劣等感を感じることも多かった。負けず嫌いな性格の私は、働きながら色々な資格を独学で取りましたね。職場ではカイゼン活動で提案を数多くして、表彰を受けたこともあります。そのため、改善活動に特化した人材育成を任せられるようになりました」(川越氏)
ところが、13年半ほど働いたあと、伊藤氏と同様、中小企業に転職することになる。
「家庭の事情で東京に引っ越すことになったんです。転職サービスを利用して転職先を探したのですが、自身の目標として、10年後には自分で経営をしたいと思っていました。そこで、社長直下のポジションの求人をしていた池田食品〔株〕の面接を受けて、採用していただけました」(川越氏)
池田食品は、BtoBで冷凍パンの製造・販売を行なう、70人ほどの企業だった。川越氏に与えられた仕事は、生産管理の部署の立ち上げだ。トヨタ自動車の生産現場での経験が買われたようだ。ところが、入社してわかったのは、同社が民事再生中だということ。川越氏は、「ここで立て直しに成功したら、インパクトが大きいぞ」と、やる気に火が点いたという。
「トヨタ自動車の工場の経験しかありませんでしたから、それが通用するのか不安もありましたが、根拠のない自信がありましたね。まず、財務諸表を見ると惨憺たる有り様だったので、売上を落とさずに原価率を下げることにしました。原価についての考え方はトヨタ自動車で身につけていましたし、財務諸表の読み方は資格の勉強で学んでいました」(川越氏)
売上のうち4割を占めていた大手のOEM商品は、原価が高いため、作れば作るほど赤字が増える状態だったという。しかも、その状況に当時の担当者は気づいていなかった。川越氏は、昔からの付き合いで価格の見直しを行なっていなかった仕入れ先と、他社との相見積もりを取るなどして交渉し、仕入れ値を下げることに成功。さらに、工場での工程を効率化することで、製造原価を削減した。家賃の高い代々木上原にあった本社オフィスも、工場がある埼玉県所沢市に移した。
「こうして経営再建に成功したことが、大きな自信になりました。経営が安定すると、また次のチャレンジをしようと思い、2度目の転職をしました。ITや物流に興味があったので、当時、急速に伸びていた楽天〔株〕かアマゾンにしようと思い、外資系のほうがより無謀なチャレンジになるだろうと思って、アマゾンの採用面接を受けました」(川越氏)
求人は神奈川県小田原市のFC(フルフィルメントセンター=物流倉庫)の立ち上げメンバーだったが、埼玉県川越市のFCでの勤務を希望したところ、それが叶ったという。
「トヨタ自動車のカイゼンに興味を持っていただけたようですが、実際には、トヨタ自動車での経験が通用した部分もあれば、通用しなかったところもありました。特に判断のスピードの速さには驚かされましたね」(川越氏)
「アマゾンで1年間ほど働いたあと、今度は〔株〕アクティブソナー(現・〔株〕RECLO)というスタートアップ企業に転職。ラグジュアリーブランドのEC事業で、倉庫内作業の最適化を行なう仕事だったが、システム開発や、池田食品での実績を買われて財務の仕事も任されるようになった。
「まずは企業経営をすることが目標だったのですが、アクティブソナーで業務統括担当の役員になることができ、それが達成できました。ただ、際どい判断になると、やはりファウンダー(創業者)である社長しかできなかったので、もどかしさがありました」(川越氏)
さらに、スタートアップ企業のスタイラー〔株〕にCOOとして転職。物販の経験を買われ、新規事業であるECの立ち上げを行なった他、財務の仕事も担当した。ちなみに、川越氏の転職はすべて転職サービスを利用しており、知人などの紹介によるものではないという。
「スタイラーでも役員を務めてみて、やっぱりファウンダーでないとダメだなという思いを強くしました。どこかの企業で社長になっても、雇われ社長では、株主の意向に左右されてしまいます。かといって、起業はしたことがないので不安でした。そこで、副業という形で、他社の仕事を手伝うようになりました」(川越氏)
初めての副業は、池田食品での活躍を知った食品メーカーからの依頼だった。4~5時間のスポットコンサルを無償で行なったところ、自分でも思っていた以上に解決策を出すことができ、依頼者にも非常に感謝され、「気持ち良い」と感じた。
「そこで調べてみると、副業でアドバイザリーをする人が登録するサービスが色々と見つかりました。それらに片っ端から登録したんです。すると2カ月ほどで、サーキュレーションのプロシェアリングサービスを通じて仕事を受注することができました。それが、有償での初めての副業です」(川越氏)
それは、埼玉県のソースメーカーからの、原価低減をしてほしいという依頼だった。川越氏は、池田食品で実践したノウハウを使って、依頼に応えた。
「それ以降、1度もアドバイザリーの仕事が途絶えたことはありません。実務の経験を評価していただいているのだと思います。副業の収入が本業を大きく上回るようになったので、スタイラーを退社して、法人を設立しました。アドバイザリーをしていると、クライアントごとに新たしい刺激を受けますから、視野が広がり、自分が高まっていく感覚がありますね」(川越氏)
川越氏も、伊藤氏と同じく、大手の自動車部品工場からキャリアを始めている。その後、家庭の事情で中小企業に転職したのも同じだ。その後、伊藤氏が製造現場の生産性向上に特化したのに対して、川越氏は転職を繰り返しながら専門性の幅を広げている。
いずれにせよ、最初の職場で長年働くことで身につけたスキルを、また違った環境で鍛え直すことが、コンサルタントやアドバイザリーとしての成功につながったと言えるだろう。しかし、転職もなかなか勇気がいることではある。踏み切れない場合は、川越氏が独立前にしたように、スキルのシェアリングサービスなどを使って副業をすることで、自分のスキルを試すと共に、経験を増やしてみてはいかがだろうか。
伊藤哉(工場経営研究所代表)・川越貴博(TESIC CEO)
(『THE21オンライン』2020年11月10日 公開)
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