本記事は、高橋洋一氏の著書『給料低いのぜーんぶ「日銀」のせい』(ワニブックス)の中から一部を抜粋・編集しています。

経済
(画像=PIXTA)

90年3月に日銀が犯した大失敗

90年3月、大蔵省銀行局長通達「土地関連融資の抑制について」を出した。不動産向け融資の伸び率を、総貸出の伸び率以下に抑える措置だった。いわゆる「総量規制」と呼ばれたものだ。これで地価も下落した。

「資産のバブル」の「資産」を冷え込ませたのだから、当然ながらバブルは沈静化していく。これでわが国のバブルは消えたわけだが、問題なのはここからだ。

当時の日銀が同じ時期に、金融引き締め(利上げ)をしてしまったのだ。これがバブル処理における致命的な失敗だった。

具体的には、1989年5月に公定歩合(政策金利)を2.5%から3.25%に引き上げ、さらに同年10月も引き上げた、

バブル期に異様に高騰していたのは、株価と土地だけで、一般物価は健全な状態だったのに、中央銀行がそれを分析できずに歴史的な失敗を犯したのだ。これがバブル後遺症を20年も長引かせたのである。

そもそも、バブルの原因は金融緩和ではなかった。一般に、バブルの原因は、プラザ合意後の低金利政策にあったと考えている人が、識者の中にも多くいるようだが、そうではない。

物価に「株」や「土地」は含まれないはずだが……

日本のバブルは資産バブルであり、それを生んだのは、税制の抜け穴を利用した営業特金や土地転がしで、資産売買の回転率が異様に高まったからである。日銀はこのとき、あきらかに原因分析を誤ったのだ。

一般に、中央銀行は「物価の番人」「通貨の番人」などと呼ばれるが、その「物価」には「株」や「土地」などの資産価格は含まれていないはずだ。

存在目的である物価の安定を気にするのであれば、本来は消費者物価指数のような一般物価を監視しながら対処すればよかったのだ。

それをなぜか、株や土地など資産の高騰を、自分たちの金融緩和の失敗のせいだと勘違いしてしまったわけだ。

「平成の鬼平」を持ち上げたマスコミの罪

89年の3月と10月、2度の公定歩合の引き上げを行った日銀に、日銀生え抜きの三重野康氏が同年12月、新総裁として就任。就任直後の12月に3度目の引き上げ、90年3月に4度目の引き上げを敢行した。

そして、株式市場も不動産市場も、これ以上ないというほど冷え込み、マネーストックは急激に減り、バブルもほぼ沈静化した同年8月、なんと三重野総裁は第5次引き上げを行うという暴挙に出たのである。これにより公定歩合は6%となった。

そもそも、株や土地の値上がりに対し政策を実行するのなら、対応すべきは日銀ではなく、大蔵省や国土庁だっただろう。

しかし、このとき三重野氏は、マスコミから「平成の鬼平」などと祭り上げられ、自分こそが通貨の番人であるとして、総裁人生を謳歌していたのかもしれない。その意味で、マスコミの罪も大きいと言わざるを得ない。

この第5次引き上げが暴挙であっただけでなく、さらに大きな問題は、つぎに公定歩合を6%から5.5%に引き上げるまで、91年7月まで待たなければならなかったことだ。あまりにも遅れた対応だった。

これだけタイミングが遅れてしまうと、その後に0.5%ほど引き下げても、景気の回復につながるものではない。その後、「失われた20年」が続くことになるのは周知のとおりである。

給料低いのぜーんぶ日銀のせい
(画像=朝日新聞社)
1994年、金融研究会で講演する当時の日銀総裁・三重野康氏

大蔵省と日銀の「文化の違い」が生んだ悲劇

こういう話をすると、「三重野総裁はなぜそこまで引き上げにこだわったのか」と不思議に思う人は多いと思う。

これは、一般の方には理解しにくいことだと思うが、背景にある日銀と大蔵省の「文化」の違いにある。

誤解を恐れずに、わかりやすく言ってしまうと、日銀には伝統的に「引き上げは正しい」とする文化、もしくDNAのようなものが引き継がれていて、大蔵省は「引き下げを良し」とする傾向があった(もちろん一概には言えないが)。

日銀は「物価の安定」を重視しているため、ときに「物価が上がらなければいい」という思考になってしまうこともある。

他方、大蔵省は、景気への配慮から「もう少し引き下げられないか」などと日銀に求めることも多く、その要請を飲んだ日銀側の中には、「大蔵省に負けた」などと考える傾向があったのも事実だ。

国民を置き去りにしたバカげた対抗意識

実際、日銀の中には「あの総裁になってから2勝1敗だ(2度引き上げて1度引き下げたという意味)」などと話す人もいたという。その論でいえば、三重野氏は「3勝1敗」ということになるのだろうか。

しかし、そんなバカげた対抗意識は国民にはなんの関係もない話だ。国民の生活経済をおきざりにし、組織内の〝正義〟で悦に入りながら、日本国を衰退に導いた三重野総裁の罪ははてしなく重いと言わざるを得ない。

何度も言うようだが、マクロ経済政策の目的は雇用の確保だ。最大の眼目は失業率を減らして雇用を確保することにある。

それさえできれば、次のステップとして所得が増えていく。

物価を上げさえしなければ良しという理屈は通用しない。このような総裁を二度と許してはいけないのだ。

給料低いのぜーんぶ日銀のせい
高橋洋一
株式会社政策工房代表取締役会長、嘉悦大学教授、1955年、東京都生まれ。都立小石川高等学校(現・都立小石川中等教育学校)を経て、東京大学理学部数学科・経済学部経済学科卒業。博士(政策研究)。1980年に大蔵省(現・財務省)入省。大蔵省理財局資金企画室長、プリンストン大学客員研究員、内閣府参事官(首相官邸)等を歴任。小泉政権・第一次安倍政権ではブレーンとして活躍。経済学者としての専門分野は財政学であり、財政・金融政策、年金数理、金融工学、統計学、会計、経済法・行政法、国際関係論を研究する。2008年、『さらば財務省』(講談社)で、第17回山本七平賞受賞。2020年10月、内閣官房参与に任命される。

※画像をクリックするとAmazonに飛びます
ZUU online library
(※画像をクリックするとZUU online libraryに飛びます)