本記事は、江口克彦氏の著書『こんな時代だからこそ学びたい 松下幸之助の神言葉50』(アスコム)の中から一部を抜粋・編集しています

運が90パーセントと知る

9割
(画像=upaupa/PIXTA)

おっ? きみ、あそこ、見てみい。芝生のところ。鳥が飛んできたよ。

なんの鳥やろ。時折こうしていろいろな鳥が飛んでくるけど、ここは近くに東山があるし、このあたり一帯、木をたくさん植えた庭が多いから、特に鳥も集まってくるんやろうな。可愛いもんやな。

昔な、日本が戦争に負けた直後、前にも言うたけど、食べるものはなんもない。みんな飢えの姿やな。相当悲惨な状態であった。

配給で食糧は配られたけれど、その配給そのものがとても生きていくに十分な量ではないんや。その配給を受けておるだけでやっておったら、生きていくことができん。飢え死にしかない。

実際にある判事さんが、わたしは法律を断固守ります、断じて不法なヤミ取り引きはやりません、と言うて、それで栄養失調で亡くなってしまったほどや。

国民ほとんどみんなが内緒で、やってはいかんとされていたヤミ取り引きをした。自分の家にある物を農家に持って行って食糧と換えてもらう。そういうことをやった。それでやっとの思いで、わずかばかりの食糧を手に入れて飢えをしのいでいたんや。

ところが人間がそういう状態で、食べるものもない、生きていくにも苦しいときに、鳥はどうかというと、栄養失調はしておらんわけや。

ある猟師の人の話やったかな。その人の話によると、当時数多くの鳥を捕って料理してみたが、いずれも栄養十分で、まるまる太っておるということや。

人間が飢えで困窮しておる、そのときに、鳥は見るからに喜々としてたわむれ楽しみ、栄養も十分にとっている。人間には鳥にも優る知恵才覚がありながら、いったいどうしたことなのか。なぜなのか。それは、おそらく自然に従い、自然の理に則した営みを人間は正しくしていないからではないだろうか。

ひるがえって鳥はきわめて素直に自然の摂理に、自然の理法に従って生きておる。生きておるからこそ、豊かで楽しい生活をすることができる。

人間も自然の理法に従って生きるならば、きっと繁栄と平和と幸福を手に入れることができるんやないか、そうだ、人間もみずからの小ざかしい知恵才覚にとらわれず、素直な心で自然の中に繁栄の原理を求め、それに従って生きていく工夫努力をすべきだと、そんなことを考えたことがあったな。鳥に教えられたわけやな。

うん、いまもそういうふうに、わしは思っておるけどな。われわれは自然の理法の研究と人間の本質の研究をもっとやらんといかんね。あそこで遊んでおる鳥たちも自然の理法の中で悠々と生きておるんやろ。

これもふっといま思ったんやけどな、今日までの自分を考えてみると、やはり、90パーセントが運命やな。運やな。

日本人として生まれたのも、この時代に生まれたのも、わしの意思ではない、たまたま偶然に生まれてきた。生まれた家も、環境も、いわば運命や。わしが決めたものではない。

この仕事をやるにしても、わしがもし大阪でない別のところにいたらどうであったか。電車を見ることもなかったから、電気の仕事をやろうと、ひらめくこともなかったやろうな。たまたま大阪の街に出ておった。

特にとりたてて力のない平凡なわしが、一応仕事だけでも成功したということを思えば、なおさらのことやな。

そういうことを考えてみると、人間はほとんどが運命やとつくづく感じるな。そういう幸運に、そういう運命にわしは心から感謝をしておるよ。ありがたいことだと。

もっとも、わしのこういう考えに反対する人もおるやろうけど、その人はその人でええわけや。なかなか力強い人であると。人間には運はない。すべてがその人の力であると。実力であり、努力が人生のすべてを切り開くんやと考える人もおるやろう。

まあ、そこまででなくとも努力が大きいと、運命は小さいと、そう考える人もおるやろうな。

けどな、そう考えるとすれば、人間は努力すれば必ず成功するということになるんと違うやろうか。

しかし、実際は決してそういうことではないわね。人生、すべておのれの意のままに動かせるということはない。

それはひとつの運命をそれぞれ担っておるからやな。成功するためには努力しなさいという。けど、努力したと、一所懸命努力したと、あの人と同じように努力したと。けど、あの人は成功したけど、自分は失敗したと。そういう場合もあるな。

それは、努力が足らんかったとは言い切れんことがある。ひとつの運命として考えんといかんわけや。

しかし、それならば、努力せんでいいのか、汗を流さんでいいのかということになるけどな、また、これも間違いやな。

わしは運命が100パーセントと言うてはおらん。決してそうではないのであって、90パーセントやと。ということは残りの10パーセントが人間にとっては大切だということになる。いわば、自分に与えられた人生を自分なりに完成させるか、させないかという、大事な要素なんだということや。

ほとんどは運命によって定められているけれど、肝心なところはひょっとしたら、人間に任せられているのかもしれん。

たとえば船があって、自分が大きい船か、それとも小さい船か、それはそれぞれの人にとってひとつの運命かもしれんが、肝心の舵のところは人間に任せられておると。無事その船が大海を渡り、目指す港に着くことができるかどうか。残りの10パーセントがその舵の部分であるということやな。

タカがスズメになろうとしても、スズメがタカになろうとしても、それは運命であって、変えることはできんな。そこは見極めんといかん。

けど、タカはタカなりに、スズメはスズメなりに一所懸命に生きる、懸命に努力はせんといかんな。そこにそれぞれが成功する道も開けてくる。運命と努力というものはそういうものやな。

だから、運命が、運が90パーセントだから努力せんでいいということにはならんね。そして努力したから必ず成功すると考えてもあかんよ。

しかし成功するには必ず努力が必要なんや。そういうようなことを、きみ、理解しておれば、自分に与えられた人生を謙虚に受け入れ、かつ力強く歩いて行くことができるよ。人生は傲慢になったらあかん。

こんな時代だからこそ学びたい 松下幸之助の神言葉50
江口克彦(えぐち かつひこ)
一般財団法人東アジア情勢研究会理事長、台北駐日経済文化代表処顧問等。1940年名古屋市生まれ。愛知県立瑞陵高校、慶應義塾大学法学部政治学科卒。政治学士、経済博士(中央大学)。旭日中綬章、文化庁長官表彰、台湾・紫色大綬景星勲章、台湾・国際報道文化賞等。故・松下幸之助氏の直弟子とも側近とも言われている。23年間、ほとんど毎日、毎晩、松下氏と語り合い、直接、指導を受けた松下幸之助思想の伝承者であり、継承者。松下氏の言葉を伝えるだけでなく、その心を伝える講演、著作は定評がある。現在も講演に執筆に精力的に活動。参議院議員、PHP総合研究所社長、松下電器産業株式会社理事、内閣官房道州制ビジョン懇談会座長など歴任。著書に、『最後の弟子が松下幸之助から学んだ経営の鉄則』(フォレスト出版)、『凡々たる非凡―松下幸之助とは何か』(H&I出版社)、『松下幸之助はなぜ成功したのか』『ひとことの力―松下幸之助の言葉』『部下論』『上司力20』(以上、東洋経済新報社)、『地域主権型道州制の総合研究』(中央大学出版部)、『こうすれば日本は良くなる』(自由国民社)など多数。【編集部記】

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