本記事は、江口克彦氏の著書『こんな時代だからこそ学びたい 松下幸之助の神言葉50』(アスコム)の中から一部を抜粋・編集しています

会社の中に不安定な部分を創る

不安定
(画像=bee/PIXTA)

そこで、それではどうすればいいかということになるけどな。やり方はいろいろあるやろうけど、とにかく会社の中に不安定な部分をどうやって創り出していくかということやね。

こういうことを言うと非常に奇妙に思うかもしれんが、大きな会社になって一番に問題なのは安定しすぎるということや。

少々むだなことをやっても大丈夫だ。少しぐらいのんびりしても構わん。前にも言ったように連絡も報告も、そう急ぐ必要もない。態度も大きくなる。

そういうことがどうして出てくるかというと、会社なりお店なりが大きくなって少々のことでは潰れんと。大丈夫だと。経営者も社員一人一人もそう無意識のうちに考えるようになる。

ああ、危ないと。ひょっとしたら潰れるかもしれん。経営が難しくなるかもしれん。自分のちょっとした行動が、判断が、会社やお店全体に好ましからざる事態をもたらすかもしれんというように考えられればいいんやけど、会社が大きくなると、なかなかそういうふうにはいかんのやな。

これが一面人情と言えば言えんこともないけど、これがいわゆる大企業病ということになるわな。態度も横柄になる。結論もなかなか出さない。そういうことになるんやな、どうしてもね。

そこで不安定な要素を創らんといかん、ということになるんや。安定してるけど安定させない。それが大企業病を克服するひとつの方法であるわけやな。これに成功するかどうかということ。

以前、ある人から聞いた話やけど、ロボットな、あれはいま日本で盛んに作られ、使われておるけどな、あれ、人間そっくりなものはまったくないやろ。人間の上の部分というか、手と胴の部分を備えたロボットと、下の部分の、まあ、足やな、そのロボットのふたつに分かれて、ひとつの、人間のような形をしたロボットは、きみ、見たことがないやろ。それはどうしてかというと、そういうロボットはいまのところできんそうや。

それは重心に関係があるらしい。人間の重心はおなかにある。ところがそれは力学的に言うと、不安定だというんや。それはそうやな。重心が真ん中にあるんやから、不安定といえば不安定やわな。一番の安定は足やわな。足に重心があれば、これは絶対に転ばんわな。

だから絶対に安定させようとするならば、重心は足に持ってこんといかんということになる。

ところがそうすると、からだ全体の自由がきかなくなるそうや。走ることもできん。跳ぶこともできん。そりゃそうやな、足に重心があるんやから、重たくてそんなことはできんわな。不自由というわけや。

ところが人間の重心はおなかにある。不安定なところにある。その不安定なところにあるがゆえに、今度は跳ぶこともできるし、走ることもできる。まあ、自由に振る舞うことができるというわけや。これやな。適度の不安定さの中にこそ自由があるということや。

自由というものは完全な安定の中には存在しない。ということはどういうことかと言うと、あんまり安定してしまったら、自由が失われるということやな。

ところが、企業の努力目標は大きくなろう、発展しよう、それは少々のことがあっても会社が揺るがない、微動だにしない、絶対的な安定を求めてのことであるわけやな。すなわち、限りなく絶対的安定への努力ということになる。

しかし、そのことはいままで言うてきたように、奇妙なことやけど、不自由になろう、会社の活動を活発にしないようにしようということになるわけや。いや、別にそういうことを望んでおるということではないで。むしろ、そうならんように願い心がけるんやけど、結果として知らず知らずそういうことになってしまうんや。

大きな会社、大きなお店になると、いわば重心が限りなく足のほうにいく。そうすると、あんまり動かなくなる、というより動けなくなるんや。

そうなると、重心が足にあるからな、上のほうが少々錆びてきても腐ってきても全体としてなかなか倒れへんわけや。

だから、分からんのやね。自分の会社が錆びて腐りはじめておるということが分からんのや、経営者も、従業員も。

そこで大きな企業、大きなお店が心がけんといかんことは、どうやって不安定な要素を入れていくか、創っていくかということや。会社の安定のために不安定を考える。それができん経営者は失格やね。

その不安定さをどう考えるか、これはそれぞれの会社やお店によって違ってくるからな、一概にこれがいいとは言えんけど、わしの場合にはひとつ挙げれば事業部制であったと言えるわけや。

きみ、前にも言ったかもしれんが、事業部制のいいところは、責任が明確になること、人材が育つこと、そういうことであるけれど、実はもうひとつ、不安定な状態を創り出すこと、すなわち、危機感の創出というところにもあるんや。

そりゃそやろ。たとえばな、洗濯機。あんたとこは洗濯機だけで商売しなさい。それ以外はやったらあかん。あんたとこはテレビだけや。テレビだけで商売しなさいということになれば、それはたいへんだということになる。

洗濯機がどうも売れんから、ほかの商品で商売しようか、テレビがどうも利益が上がらんから、ほかのもので利益を上げようかというような、まあ、いわば、逃げることができんわな。

なんとしても洗濯機は洗濯機で、テレビはテレビで必死に経営を考える。会社全体としてはうまくいっておるけれど、個々にはそういうことでひとつの危機感を持つ、創り出す。これが不安定要素を取り入れるということになるんやな。

このごろは事業も総合的に考えんといかんようになってきたから事業部制も工夫をせんといかんと思うけど、こういう事業部制の原点というか、哲学はちゃんと継承せんといかんわな。

最初の商売をしたときの、胸がどきどきしたようなこと、お客様の後ろ姿にいつまでも手を合わせておったこと、そういう、まあ、不安定さの心を忘れたらあかん。

こんな時代だからこそ学びたい 松下幸之助の神言葉50
江口克彦(えぐちかつひこ)
一般財団法人東アジア情勢研究会理事長、台北駐日経済文化代表処顧問等。1940年名古屋市生まれ。愛知県立瑞陵高校、慶應義塾大学法学部政治学科卒。政治学士、経済博士(中央大学)。旭日中綬章、文化庁長官表彰、台湾・紫色大綬景星勲章、台湾・国際報道文化賞等。故・松下幸之助氏の直弟子とも側近とも言われている。23年間、ほとんど毎日、毎晩、松下氏と語り合い、直接、指導を受けた松下幸之助思想の伝承者であり、継承者。松下氏の言葉を伝えるだけでなく、その心を伝える講演、著作は定評がある。現在も講演に執筆に精力的に活動。参議院議員、PHP総合研究所社長、松下電器産業株式会社理事、内閣官房道州制ビジョン懇談会座長など歴任。著書に、『最後の弟子が松下幸之助から学んだ経営の鉄則』(フォレスト出版)、『凡々たる非凡―松下幸之助とは何か』(H&I出版社)、『松下幸之助はなぜ成功したのか』『ひとことの力―松下幸之助の言葉』『部下論』『上司力20』(以上、東洋経済新報社)、『地域主権型道州制の総合研究』(中央大学出版部)、『こうすれば日本は良くなる』(自由国民社)など多数。【編集部記】

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