本記事は、遠越段氏の著書『2500年も読み継がれている戦略の教科書 図解大人のための孫子の兵法』(総合法令出版)の中から一部を抜粋・編集しています
戦争は熟慮の末の決断でなければならない
孫子曰わく、兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。故にこれを経るに五事を以てし、これを校ぶるに計を以てし、その情を索む。一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法なり。道とは、民をして上と意を同じくせしむる者なり。故にこれと死すべく、これと生くべくして、危わざるなり。天とは、陰陽、寒暑、時制なり。地とは、遠近、険易、広狭、死生なり。将とは、智、信、仁、勇、厳なり。法とは、曲制、官道、主用なり。凡そ此の五者は、将は聞かざる莫きも、これを知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。
【大意】
孫子は言う。戦争は国の大事であり、国民の生死がこれで決まったり、国の行く末にかかわる岐路であるから、慎重によく考え抜かなければならない。そのため、5つの事を考え、7つの目算と比べ、その時点での実情を知らなくてはいけない。その5つの事とは、第一に道、第二に天、第三に地、第四に将、第五に法のことである。
第一の道というのは、国民と上の者との心をひとつにする政治のあり方である。そうすれば国民は上の者と心を1つにして、運命を一緒にすることを疑わないのである。第二の天とは、陰陽や気温や時節という自然界の法則のことである。第三の地とは、距離や地形の険しさや広さ、高低などの土地の状況のことである。第四の将とは、将軍の智恵、信義、、誠実さ、勇猛さ、威厳という将軍の資質のことである。第五の法とは、軍の編制、軍律、官職の管理、軍の制度物資の運用についてのきまりのことである。以上の5つのことについては、将軍たる者なら誰でも知っているはずだが、これを本当によく理解し実践するものが戦に勝ち、あまり理解できず実践できない者は負けるのである。
【解説】
『孫子』は戦争に勝つための書、戦いや競争に勝つための書である。しかし、戦争というものは、私たちにとって一番重要な人の命を奪ったり、破れて国がなくなったりする結果も招く。
だから、戦争を行うかどうかは、よほど考え抜いて、慎重に決めなくてはならないのである。これは、人生における戦いやケンカにもあてはまる。一時の感情で無謀な戦いを挑んではいけない。この事を肝に銘じている者こそ、真に兵法を身につけることができるのである。
だから、孫子はあくまでも冷静に客観的に自国と敵国を比較し、どちらが勝つかを検討せよと言う。そのためにまず挙げるのが道、天、地、将、法の5点である。負ける戦いは絶対にしないという『孫子』の基本的方針がよくわかる。
『孫子』は、兵法の書であり、道徳を説く書ではない。あくまでも冷徹に「勝つ」ことを追求している。では、道徳はどうでもよいと考えているのかというと、それは違う。道徳的な面も勝敗を分ける判断基準のひとつとして組み入れるのである。
7つの比較で戦前に勝利を知る
故にこれを校ぶるに計を以てして、その情を索む。曰わく、主、孰れか有道なる、将孰れか有能なる、天地孰れか得たる、法令孰れか行なわる、兵衆孰れか強き、士卒孰れか練いたる、賞罰孰れか明らかなると。吾れ此れを以て勝負を知る。
【大意】
そのため、深く理解した者は、7つの目算と併せて、その時の実情をつかまなければならない。第一は、敵国と自国のどちらの主君が人心を得ているか。第二は、どちらの将軍が有能か。第三は、自然界の法則と土地の状況がどちらに有利か。第四は、法令はどちらが遵守されているか。第五は、軍隊はどちらが強いか。第六は、兵はどちらが訓練されているか。第七は、賞罰はどちらが公正か。この7つの目算によって、戦う前に勝敗を知るのである。
【解説】
戦争の前には①道、②天、③地、④将、⑤法の5つについて敵国と自国を比較する(五事)、それを前提として、勝利を確実にするために、7つの事項を計算せよと孫子はいう(七計)。すると勝敗も必ずわかると。すなわち、絶対に勝つためには、この七計において常に敵より優っていれば良い。敵に劣っていれば戦いを起こしてはならないということだ。
軍を内側と外側から整備して勝利する
将吾が計を聴くときは、これを用うれば必ず勝つ。これに留めん。将吾が計を聴かざるときば、これを用うれば必ず敗る。これを去らん。計、利として聴かるれば、乃わちこれが勢を為して、以て其の外を佐たく。勢とは、利に因りて権を制するなり。
【大意】
もし将軍が五事七計の計略に従うなら、必ず勝つので留任させる。もし、将軍がその計略に従わないなら、きっと負けるであろうから辞めさせる。計略が有利だと理解して従うなら、出陣前に軍の内部が整ったので、勢で出陣後に軍の外部からの助けとする。勢とは、有利な状況に従って臨機応変の措置をとり、勝利を確実にこちらのものにすることをいう。
【解説】
孫子は、負ける戦争はしないことを絶対譲れないことと考えている。だから、自分の考える計略をまず受け入れてくれなければ、将軍としての地位に就く気はない。もし、自分の考えを取り入れてくれるならば、その絶対有利な状況下でさらに勝利を確実にするために、軍の勢いに乗って臨機応変に対応するのだという。実際の戦場でも不確実な要素に動揺することなく、勝機を離さないという機転、判断も必要になることを『孫子』は述べている。
戦いでは敵をあらゆる面で欺く必要がある
兵とは詭道なり。故に、能なるもこれに不能を示し、用なるもこれに不用を示し、近くともこれに遠きを示し、遠くしてこれに近きを示し、利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓し、卑にしてこれを驕らせ、佚にしてこれを労し、親にしてこれを離す。其の無備を攻め、其の不意に出ず。此れ兵家の勢、先に伝うべからざるなり。
【大意】
戦争とは正常なやり方に反している。だから、自分が強くても敵には弱く見せ、自分が勇敢でも臆病に見せ、自分が敵に近づいていても敵には遠くにいると見せ、敵が利益を欲しがっていたら利益を見せて敵を誘い出し、敵が混乱していたらそれに乗じて敵を襲い、敵が充実していたらそれを防備し、敵が強ければそれを避け、敵が怒っていれば混乱に陥れ、敵が謙虚なら慢心させ、敵が平穏なら疲労させ、敵が親しみ合っていたら分裂させる。こうして敵が備えていないところを攻め、敵の不意を衝くのである。これが軍師のいう勢であり、敵の状況に応じた対応であるから、出陣前に兵に伝えることができないものである。
【解説】
戦争は勝つためにする。だから勝つためには、敵のこちらについての考えを、こちらがしようとすることの反対にもっていかせておけばよいという『孫子』の合理的な考え方である。
戦争において敵を欺いた好例といえるのが、日本史では桶狭間の戦い、世界史ではトロイア戦争での「トロイの木馬」である。ここではトロイの木馬を取り上げる。
「イリアス」や「オデッセイア」が伝えるところによると、トロイアをギリシア勢が包囲するも、その堅い守りに戦況に進捗はなかった。ギリシア勢に漂う厭戦気分を払拭するため、オデュッセウスが木馬をつくり、兵を潜ませ、トロイア城内に運び込むように仕向けたのである。木馬を作るにあたり、木材が足りず、ギリシア勢の船を一部を解体して転用したという。
木馬を作った後、ギリシア勢はトロイアから撤退した。残された木馬は明らかにあやしい「置き土産」だが、置き去りにされた(ふりをした)ギリシア人が、木馬を「(ギリシア勢が盗んだ)トロイアの神の怒りを鎮めるため」とトロイア市民を騙し、木馬を市内に入れることに成功した。そして、木馬に潜んだギリシア兵がトロイアを内側から攻め、トロイアは陥落したのである。
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