本記事は、遠越段氏の著書『2500年も読み継がれている戦略の教科書 図解大人のための孫子の兵法』(総合法令出版)の中から一部を抜粋・編集しています
戦は短期決戦を目指し、長期戦は避ける
夫れ兵を鈍らせ鋭を挫き、力を屈くし貨を殫くすときは、則ち諸侯其の弊に乗じて起こる。智者ありと雖も、其の後を善くすること能わず。故に兵は拙速なるを聞くも、未だ巧久なるを睹ざるなり。夫れ兵久しくして国の利する者は、未だこれ有らざるなり。故に、尽〻く用兵の害を知らざる者は、則ち尽〻く用兵の利をも知ること能わざるなり。
【大意】
そもそも軍が疲弊し、士気も下がり、戦力が尽き、財力が無くなれば、隣国の諸侯たちはその困窮に乗じて兵を挙げ、攻めかかってくる。こうなればいくら自軍に策士がいても、それを防ぎ、うまく収拾することはできない。だから、戦争には、拙速、多少の問題があってもすばやく切り上げることは有効である。長びいてうまくいったことはまだ無いものだ。そもそも戦争が長びいて国家に利益があったことはないのである。つまり、戦争の損害を知らない者は、戦争の利益も知ることができないのである。
【解説】
戦争は国家の総力戦であり、異常な事態である。完全に勝つことを目指すよりも、完璧でなくても早く切り上げる勝ち方を目指したい。そうしなければ国の損害が利益よりも大きくなるからである。孫子のこの立場からすると日露戦争は評価できるが(早く切り上げ何とか勝利したと言える)、太平洋戦争はいかにもまずい戦争であった(長びいてしまい、しかも最後に敗れてしまった)。
ここでは太平洋戦争について考えてみたい。
真珠湾攻撃に日本軍は成功したが、ミッドウェー開戦、ガダルカナル作戦、重慶作戦、セイロン作戦、インパール作戦、マリアナ沖海戦、レイテ決戦、沖縄決戦と日本は負け続けた。日々悪化する戦況を鑑みて、和平交渉をする試みもあったが、力を過信した軍は、神風が吹くことを信じた。
そもそも、戦前のアメリカと日本の国民総生産は12倍あった。兵力は日本が740万人、アメリカは1,490万人である。戦費も日本が1,000億ドル、アメリカが3,500億ドルと、国力としては比較にならない。そして、日露戦争のように相手の主力軍を極東に呼び寄せるのではなく、アメリカ領に攻め入ったのだ。
明治維新以降、近代国家の道を進む日本は戦争に勝ち続けた。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦である。太平洋戦争にしても、真珠湾攻撃は「成功」している。私にはこれらの勝利が、軍の過信を生み出したのだと思っている。
優しすぎた西郷隆盛
三国時代、曹操が将軍たちに身につけるべきとした「五徳」というものがある。孫子が将軍の資質として挙げた「智、信、仁、勇、厳」のことだ。
私はこの「五徳」を考えるとき、いつも西郷隆盛の悲運を連想してしまう。
薩摩藩のリーダーとして長州藩などとともに、大政奉還・王政復古を実現し、新しい時代の扉を開いた西郷隆盛。しかし、それは旧時代の支配者であり、西郷を支えた武士階級の没落を招く結果になった。
「五徳」を備えていた西郷は、理想的なリーダーと言えたが、活動を続けていく中で新しい時代になじめない士族たちへの思い、つまり「仁(部下に対して愛情をふりそそぎ、思いやりがあること)」が次第に肥大していったのである。
仲間への深い深い思いやりが、西郷のまわりに人を集めたが、それはやがて西南戦争を引き起こし、士族という階級にとどめを刺した。皮肉にも、士族を圧倒した政府軍の中心は平民主体であったという。
あらゆる戦争は国庫を疲弊させる
善く兵を用うる者は、役は再び籍せず、糧は三たびは載せず。用を国に取り、糧を敵に因る。故に軍食足るべきなり。国の師に貧なるは、遠き者に遠く輸せばなり。遠き者に遠く輸さば則ち百姓貧し。近師なるときは貴売す。貴売すれば則ち百姓の財竭く。財竭くれば則ち丘役に急して、力は中原に屈き用は家に虚しく、百姓の費、十に其の七を去る。公家の費、破車罷馬、甲冑弓矢、戟楯矛櫓、丘牛大車、十にその六を去る。故に智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾にあたる。き秆一石は吾が二十石に当たる。
【大意】
上手に戦を行う者は、自国の民に兵役を二度も求めず、国内の食糧を三度も前線に送ることはしない。軍需品は自国のものを調達するが、食糧は敵地で調達するのである。だから食糧は十分なのである。国家が軍隊のために貧しくなるのは、遠くまで食糧などの物資を送るからで、遠くまで輸送すると民衆はその負担によって貧しくなってしまう。戦争が国の周辺で行われれば、その周辺では物価が高くなり、民衆は蓄えを失い生活が苦しくなる。蓄えを失えば、軍役も難しくなる。戦場で戦力も尽きてしまい、国内では人々の財物が乏しくなり、人々の生活費は10分の7が失われ、朝廷の費用もかさむ。
戦車が壊れ、馬は疲れ、鎧や兜や弓と矢、戟(先の分かれた矛)、楯や矛や大楯、さらに運搬用の牛や車などに10分の6が失われることになる。したがって智将と呼ばれる将軍は遠征をしたらできるだけ敵の食糧を奪って自軍の兵に与えるのである。敵の一鍾(51.2リットル)を食べるのは、自軍の二十鍾を食べるのに相当し、軍馬の餌となる豆がらや藁わら一石(100リット)は、自分の国の二十石に相当する。
【解説】
戦争は、通常の生活、平素の経済活動とは異なるものだ。とにかくお金がかかるものだ。兵を戦場に送るのに、まず、輸送費が必要となる。さらに、武器にもお金が必要だ。物質を運ぶ牛馬にも餌代がかかる。何より兵を食わせる費用は削れない。
このように戦争は莫大な費用がかかることをよく知っておかなければならない。また戦争が長期化すれば国内経済の破綻も招く恐れがあることも忘れてはいけない。
たとえば日本も、15年にわたる日中戦争・太平洋戦争で国内経済は完全に破綻してしまった。日中戦争前の国民総生産の280倍もの戦費を費やしたため、国内は激しいインフレとなった。
日本に勝利したアメリカも、その後ベトナム戦争(1960年〜75年)が長期化してしまい、国民の不満や無気力を招き、社会の活力も低下した。財政負担も大きなものとなった。このように、戦争は、国民の生活を犠牲にし、国家の経済力を低下させ、場合によっては破綻させてしまうほどのものであることを忘れてはいけないのである。
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