この記事は2022年5月9日に「ニッセイ基礎研究所」で公開された「利上げサイクル再考-政策金利ピークとターミナルレート」を一部編集し、転載したものです。


目次

  1. 要旨
  2. 欧米主要国で金融引き締めに着手
  3. コロナ禍前の利上げ到達点、市場参加者の見通し
    1. 米国(2018年12月)
    2. ユーロ圏(2011年7月)
    3. 英国(2018年8月)
    4. 日本(参考)
  4. 自然利子率
    1. 自然利子率とは
    2. 自然利子率の変動要因
    3. 利上げサイクルの到達点(ピーク)とターミナルレート

要旨

利上げサイクル
(画像=PIXTA)
  • 世界的なインフレ圧力の上昇を受け、金融引き締めの動きが広がっている。金融引き締めを開始した国では、今後、利上げサイクルの到達点や名目の中立金利(いわゆる「ターミナルレート」)の水準に関心が集まっていくものと思われる。

  • 本稿では欧米主要国であるFRB、ECB、イングランド銀行の政策金利のターミナルレートについて、過去の経済・市場動向や自然利子率の観点から考察した。

  • 得られた主な結果は以下の通りである。

・過去の推移を見ると、欧米では、金融危機後の政策金利のピークは危機前のピークを大幅に下回っている。

・米国のコロナ禍前の政策金利のピークは2.25-2.50%(2018年12月)だった。市場参加者の中立金利の見通しは3月時点で概ね2%台半ばであり、今回の利上げサイクルではこの中立金利をやや上回る利上げが想定されている。

・ユーロ圏のコロナ禍前の政策金利のピークは1.5%(2011年7月)だった。市場参加者の中立金利の見通しは4月時点で概ね1%台半ばであり、この水準に向かって数年をかけて段階的に引き上げる長い利上げサイクルが想定されている。

・英国のコロナ禍前の政策金利のピークは0.75%(2018年8月)だった。市場参加者の中立金利の見通しは5月時点で概ね1%台半ばであり、今回の利上げサイクルではこの中立金利をやや上回る利上げが想定さている。

・自然利子率とは、経済・物価に対して中立的な(緩和的でも引き締め的でもない)実質金利の水準のことである。

・ニューヨーク連銀が公表するHLWの方法で推計された自然利子率によれば、名目の中立金利の目安は米国とユーロ圏で2.5%程度、英国で3.5%程度である。ユーロ圏や英国では市場参加者の中立金利の見通しよりも高い。

・自然利子率は、近年、低下傾向を示しており、その要因として高齢化の進展による貯蓄の押し上げや格差の拡大、生産性上昇率の鈍化などが指摘できる。市場参加者は中立金利をHLWの推計値より低く想定しており、こうした自然利子率の低下要因を重視している可能性がある。

・足もとのインフレはコストプッシュとディマンドプルが併存していると見られる。ユーロ圏はコストプッシュ型主導だが、米国・英国は賃金上昇率が高く、ディマンドプルの要素も大きい。

・しかしながら、どの程度、政策金利を引き締めればディマンドプルのインフレに効果的なのか、という問いに対するヒントは世界金融危機以降の経験からは得られていない。

・米英の中央銀行は、今回の利上げサイクルでは、長らく続いた低金利政策から脱却し、政策金利を中立金利に引き上げる「正常化」の役割だけでなく、インフレファイターとしての役割も問われている。「どれだけ積極利上げをするのか」という点は久しぶりの注目点と言える。

欧米主要国で金融引き締めに着手

コロナ禍においては、世界的に大規模な金融緩和が講じられてきたが、世界的なインフレ圧力の上昇を受け、多くの国で金融緩和からの正常化、引き締めの動きが広がってきた(*1)。本稿執筆時点において、欧米主要国で英国が2021年12月に政策金利の引き上げに着手し、4会合連続で利上げを実施、米国も今年3月に利上げを開始、5月には0.50%ポイントの利上げを実施した。ECBは政策金利の引き上げは実施していないが、量的緩和策の縮小を進めており年内の利上げが視野に入っている。

これらの金融引き締めを開始した国では、今後、利上げサイクルの到達点(ピーク)や名目の中立金利(いわゆる「ターミナルレート」)の水準に関心が集まっていくものと思われる。そこで本稿では米国(FRB)、ユーロ圏(ECB)、英国(イングランド銀行)のターミナルレートについて、過去の経済・市場動向を振り返り、また自然利子率の観点から、その水準について考察したい。


*1:たとえば、高山武士(2021)「長期化するインフレ懸念」『基礎研レター』2021年11月15日でインフレ要因について考察している。これに加えて、ロシアによるウクライナ侵攻によってロシア産資源の供給制約が懸念されていることもインフレ圧力を助長している。


コロナ禍前の利上げ到達点、市場参加者の見通し

欧米の政策金利のピークは世界金融危機前後で大きく異なる。米国の政策金利ピークは金融危機前で5.25%(2006年6月(*2))、金融危機後で2.25-2.50%(2018年12月)である。ユーロ圏は金融危機前で4.25%(*3)(2008年7月)、金融危機後で1.5%(2011年7月)、英国は金融危機前で5.75%(2007年7月)、金融危機後で0.75%(2018年8月)となっている(図表1)。いずれも金融危機後の政策金利のピークは危機前のピークを大幅に下回っている。

利上げサイクル再考
(画像=ニッセイ基礎研究所)

世界金融危機を挟んで政策金利のピークが低下したことについては、自然利子率との関係で後程その要因について触れたい。本章ではコロナ禍前の最後の利上げサイクルとなる、世界金融危機後の利上げ到達点の状況を簡単に振り返っておきたい。


*2:利上げサイクルにおいて最後の利上げを実施した年月。以下同様。
*3:当時の政策金利(主要リファイナンス金利)は変動金利入札の最低応札金利(2008年10月からは固定金利入札)。


米国(2018年12月)

米国の政策金利(FF金利(*4)の誘導目標)の推移を見ると、コロナ禍前最後の利上げサイクルは、2015年12月に開始された(図表2)。当時のインフレ率はFRBの2%物価目標を下回っていたものの、世界金融危機後の雇用改善が十分に進んだと判断された。そのため、中長期的なインフレ率の2%目標の達成が視野に入ったとして、実質ゼロ金利政策から脱して金利政策の正常化が始まった。この利上げサイクルの終了は2018年12月となった。当時(2018年12月)のしたFOMCでは、さらなる利上げも織り込まれていたが、その後の2019年7月にはインフレ圧力の低下したことを受けて利下げに転じている。そのため、政策金利のピークは2.25-2.50%となった。

利上げサイクル再考
(画像=ニッセイ基礎研究所)

米国では2012年にインフレ目標がPCE価格指数前年比で2%という形で設定され、2012年以降は四半期に1度FOMC参加者の政策金利見通し(*5)が公表されるようになっている。この見通しで公表される長期(longer-run)の政策金利水準は、2012年に見通しが当初された当初は中央値で4%台前半(2012年1月は4.25%)であった。しかし、参加者の想定する長期金利の水準は徐々に低下し2022年には2%台前半(2022年3月は2.375%)まで低下している(図表3)。先ほど見たコロナ禍直前の利上げサイクルピークの政策金利(2.25-2.50%)は、長期見通し(中央値で2.50%)付近に達しており、当時、政策金利はFOMC参加者の考える中立金利程度まで引き上げられたことになる。

FOMC参加者による政策金利見通しが直近で公表された2022年3月の見通し中央値では、現在の利上げサイクルにおいて、政策金利を2023年に2.8%まで(中立金利以上に)引き上げたのち、金利を引き下げることが想定されている。

このFOMC参加者による見通しとは別にニューヨーク連銀は、FOMCの開催時期に合わせて市場また、参加者向けに金融政策に関連した調査を実施している。この3月の調査結果でも今回の利上げサイクルで中立金利以上の引き上げが予想されている(*6)(図表3)。

なお、デリバティブ価格に基づく政策金利パスでは、5月FOMC後の状況(2022年5月6日時点)で、1年後に3%を超える水準まで政策金利を引き上げることが見込まれており、3月のFOMC参加者や市場参加者調査による見通しと比較してピークがやや高い。


*4:Federal funds rate、銀行間の無担保翌日物貸出金利。
*5:いわゆるDot plot(ドット、ドットチャート)と呼ばれている政策金利の予想分布。
*6:本稿執筆時点では、2022年5月のFOMCが開催されているが、市場参加者向けの調査結果は未公表(FOMCの約3週間後に公表)。


ユーロ圏(2011年7月)

ユーロ圏のコロナ禍前最後の利上げサイクルは、2011年4月に開始された。当時、商品価格が国際的に上昇していたことを受けて、ユーロ圏の消費者物価指数(HICP)が食料・エネルギー価格を中心に上昇し、総合指数の上昇率は2%を超えた。これがECBのインフレ圧力への警戒感になった形だった(図表4)。

欧州では金融危機後に顕在化した南欧の債務問題が景気の下押し圧力として働いていたが、物価の安定を優先し利上げを決断したと言える。米国では量的緩和策(いわゆる「QE2」)が実施されていた時期である。FRBはインフレ率が上昇するなかでも労働市場や景気に配慮しており、2011年6月にQE2が終了した後もツイストオペ(2011年9月に導入)などの手段を講じて緩和姿勢を維持していたため、ECBの利上げは大規模緩和からの出口に慎重だったFRBとは対照的な判断だったと言える。

ただし、ECBは2011年4月および6月に2会合連続で利上げをした後、11月の会合では需要減速によって先々のインフレ圧力が低下するとして、利下げに踏み切った。当時のインフレ率はまだ3%程度と高かったが、景気鈍化を懸念した緩和姿勢に転じた形となった。その後は債務問題の長期化などを受けて政策金利(主要リファレンスオペ金利)は段階的にゼロ%まで引き下げられ、預金ファシリティ金利をマイナスとするマイナス金利政策も導入された。その結果、コロナ禍前の利上げサイクルのピークは1.5%となっている。

利上げサイクル再考
(画像=ニッセイ基礎研究所)

ECBでも2019年4月から政策理事会のスケジュールに合わせた形で市場参加者の金融市場に関する見通しの調査を行い、2021年6月からはその結果を公表している。最新の2022年4月公表の結果における政策金利(主要リファレンスオペ金利)の長期(long-run)の見通しは、中央値で1.5%であり、これは前回の利上げサイクルのピークとも一致している(図表5)。ただし、政策金利見通し(中央値)が1.5%に到達するのは2026年で、4年程度の長い利上げサイクルとなっている。

なお、ユーロ圏におけるデリバティブ価格に基づく政策金利パスは、直近(2022年5月6日時点)で、2年後に1.5%をやや上回る水準まで政策金利を引き上げることが見込まれている。4月の市場参加者調査による見通しと比較してピークは同水準だが、より速いペースでの利上げが織り込まれている。

英国(2018年8月)

英国の政策金利(バンクレート、Bank Rate(*7))の推移を見ると、英国のコロナ禍前最後の利上げサイクルは、2017年11月に開始されている(図表6)。その約1年前の2016年6月にはEUからの離脱を決定する国民投票が行われ、離脱が支持されたことでポンドが急落、景気後退懸念が強まったため、2016年8月のMPC(金融政策委員会)では世界金融危機以来の利下げ(0.50→0.25%)と量的緩和の再開(2012年10月以来)を決定していた。

ただし、ポンド急落を受けて輸入物価に上昇圧力が強まり、インフレ率が3%前後まで上昇したことから、2017年11月に利上げに踏み切った形となる。その約1年後の2018年8月にも再利上げが行われたが、その後はコロナ禍に見舞われるまで据え置きが続いていたため、結果として利上げサイクルのピークは0.75%となっている。

FRBやECBと同様、イングランド銀行でもMPCに合わせて、市場参加者の金融市場に関する見通しの調査を行い2022年2月から結果の公表を始めている。直近5月の調査結果(*8)は、今回の利上げサイクルのピークの政策金利が中央値で2.00%、景気中立的な政策金利の水準が中央値で1.50%となっており、米国と同様に、今回の利上げサイクルでは中立金利以上の引き上げが見込まれている(図表7)。また、今回の利上げサイクルのピーク想定(中央値で2.00%)がコロナ禍前の利上げサイクルのピーク(0.75%)を上回っているのも特徴的である。

英国のデリバティブ価格に基づく政策金利パスは、5月MPC後の状況(2022年5月6日時点)で、1年後に2%台半ばの水準まで政策金利を引き上げることが見込まれており、市場参加者調査による見通しと比較して高いピークが想定されている。

利上げサイクル再考
(画像=ニッセイ基礎研究所)

*7:中央銀行(イングランド銀行)が市中銀行に支払う準備預金の付利金利。
*8:本稿執筆時点では、2022年5月のFOMCが開催されているが、市場参加者向けの調査結果は未公表(FOMCの約3週間後に公表)。


日本(参考)

なお、日本については世界金融危機後の利上げは行われていない。

日本銀行の政策金利(無担保コールレート金利(翌日物)の誘導目標)は金融危機後の2010年10月に0-0.1%まで引き下げられた後、黒田総裁の下で「量的・質的金融緩和」が導入され、金利目標はなくなった(操作目標はマネタリーベースとなった)。

その後、2016年1月導入された「マイナス金利付き量的・質的量的緩和」の下で、当座預金の「政策金利残高」への付利金利が金融政策の操作対象となり、▲0.1%に設定された。さらに16年9月の「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」では、短期金利として前述の▲0.1%のほか、長期金利として10年物国債金利がゼロ%程度で推移するという方針が示された。21年3月には10年物国債の「ゼロ%程度」が±0.25%程度の変動幅であることを明確化したが、操作対象金利の引き上げは世界金融危機以降、されていない。

この間、日本のインフレ率は消費増税が実施された2014年4月以降を除くと物価目標である2%を下回った状況が続いている(図表8)。

利上げサイクル再考
(画像=ニッセイ基礎研究所)

自然利子率

前章では、中央銀行のターミナルレートについて過去の状況と市場参加者の見通しから確認してきた。本章では、やや理論的な側面に焦点をあてて、自然利子率の観点から考察していきたい。

自然利子率とは

自然利子率とは、経済・物価に対して中立的な(緩和的でも引き締め的でもない)実質金利の水準のことであり(*9)、理論的には一定の仮定のもとで以下のように定式化される(*10)。

利上げサイクル再考
(画像=ニッセイ基礎研究所)

ここで相対的リスク回避度は、今期と来期の消費格差を均等にしようとする度合い(*12)、時間選好率は来期より今期の消費を好む度合い(将来消費の割引率)、需要ショック要因は財政ショックや選好変化などによる自然利子率への影響成分(のうち第1項で説明できない部分)である(*13)。

ごく簡単には、相対的リスク回避度を1、時間選好率を0とした上で人口が一定の定常状態を考えれば(1)から(技術進捗率は1人当たりの生産量伸び率と等しく、人口が一定であれば、これは潜在成長率と一致するので)、

利上げサイクル再考
(画像=ニッセイ基礎研究所)

となり、自然利子率は潜在成長率と一致する。

ただし、上記の定式化からも分かる通り、自然利子率は潜在成長率から乖離し得る(また、それを織り込んだ理論モデルが一般的と見られる)。

なお、比較的簡便に自然利子率を推計したデータとして、ニューヨーク連銀が主要国の自然利子率の推計値を公表している(*14)(なお、この推計値は定期的に最新値に更新されていたが、コロナ禍によって例外的な変動が発生したため、本稿執筆時点では更新が一時停止されている)。

このニューヨーク連銀が公表しているデータは、具体的には、Laubach-Williamsの方法(LW)で求めた米国の自然利子率、およびHolston-Laubach-Williamsの方法(HLW)で求めた米国・カナダ・ユーロ圏・英国の自然利子率となっている。

これらの推計では、厳密に上記理論に基づいた推計式を用いるのではなく、

利上げサイクル再考
(画像=ニッセイ基礎研究所)

という定式化をしている(*15)。HLWはLWにおける定数(相対的リスク回避度と解釈できる)を1と仮定しているという点が特徴的である。

これらの推計では頑健性確保のため、理論整合性は一定犠牲にしている(*16)が、とはいえ、式の形は(1)(2)と類似しており、推計結果を解釈する際のイメージはしやすい。

実際のHLWによる米国・ユーロ圏・英国の自然利子率の推計結果は図表9のようになる。

利上げサイクル再考
(画像=ニッセイ基礎研究所)

自然利子率の推計はLWやHLWのような方法だけではなく、また推計結果も一般に幅を持って見る必要があると言われるが、HLWの結果によれば最近の自然利子率(コロナ禍直前まで)は米国とユーロ圏で0.5%程度、英国で1.5%程度となる。

自然利子率は実質値であるので、中銀の物価目標である2%のインフレ率が安定的に達成されたと考えて、2%を加えて名目値でみれば、名目の中立金利の目安となる。

つまり、米国とユーロ圏で2.5%程度、英国で3.5%程度がHLWの推計で見たターミナルレートの目安と言える。

前章で見たように、市場参加者の見通しはユーロ圏や英国でターミナルレートが1.5%である。ここから逆算される自然利子率は▲0.5%とマイナスであり、HLWの推計と比較すると相当な乖離がある。つまり、HLWの推計結果が自然利子率を高く見積もっている、もしくは市場参加者が自然利子率を低く見積もっていると言える。

一方、米国はHLWの自然利子率の推計値(0.5%程度)と市場参加者の想定する名目中立金利(2.5%程度)は整合的である。ただし、ユーロ圏や英国で市場参加者がHLWの推計より低い自然利子率を想定しているように、米国でも実際の自然利子率がHLWの推計値よりも低いとすれば、2.5%の名目中立金利は高すぎるという可能性もある(*17)。

ちなみに、金融危機前の状況を見ると、米国と英国の自然利子率は約2.5%、ユーロ圏で約2.0%である。これらに2%を加えた名目値を考えると、米国と英国で約4.5%、ユーロ圏で約4.0%となる。金融危機前の政策金利の実績を見ると、HLWで計算した名目中立金利の目安よりも高いことも低いこともあり、政策金利のピーク時はこの目安と比較して、若干引き締め的であったとも言える。


*9:たとえば、岩崎雄斗、須藤直、西崎健司、藤原茂章、武藤一郎(2016)「わが国における自然利子率の動向」『「総括的検証」補足ペーパーシリーズ(2)』Bank of Japan Review 2016-J-18では自然利子率についての考え方や推計方法が紹介されている。
*10:小田信之、村永淳(2003)「自然利子率について:理論整理と計測」『日本銀行ワーキングペーパーシリーズ』No.03-J-5、2003年10月に詳しい説明がある。本稿の理論説明はこの文献を参考にしている。
*11:この長期均衡における技術進歩率は1人当たり産出量や1人当たり消費量の伸び率と等しい
*12:この逆数は消費の異時点間代替率(弾力性)と呼ばれ、時間選好率や実質金利に応じて今期と来期の消費量をどれだけ変更するかという感応度を示している。
*13:財政ショックは財政支出の長期トレンドからの乖離、選好変化は消費から得られる効用の変化(効用関数の変化)を示す。需要ショック要因は、モデル上は選好の変化に対する消費支出の限界効用を一定に保つための産出量変化の感応度として定式化されている。
*14:ニューヨーク連銀ウェブサイト(Measuring the Natural Rate of Interest)、LWおよびHLWによる具体的な推計方法やパラメータの推計値も掲載されている。
*15:推計ではそれぞれの方法で、自然利子率の定義式の他にIS曲線(需給ギャップと金利の関係式)およびフィリップス曲線(需給ギャップとインフレ率の関係式)を構造方程式として採用している。
*16:上記の小田・村永(2003)によるLWへの評価。
*17:たとえば、ECBのワーキングペーパー(Claus Brand, Gavin Goy, Wolfgang Lemke(2021), Natural rate chimera and bond pricing reality, Working Paper Series, No 2612 / November 2021)では、HLWを拡張して自然利子率の概念に年限構造を加えた(イールドカーブを加味した)モデルを構築し、推計を行っている。このモデルによる米国とユーロ圏の自然利子率の推計値は、HLWの推計値より低い傾向がある(特に米国の自然利子率の推計値は2010年代後半で▲1%程度とHLWと比較してかなり低い)。


自然利子率の変動要因

さて、前節ではHLWによる自然利子率の推計値と市場参加者の名目中立金利(ターミナルレート)の乖離について触れたが、その理由は何だろうか。HLWの定式化が現実の経済を反映していない可能性がある一方、市場参加者の見通しが間違っている可能性もあり、明確な理由を突き止めることは難しい。

本節ではこの要因を突き止める代わりに、自然利子率の推移(近年とりわけ低下傾向)の要因として考えられる点を確認しておきたい。

自然利子率を低下させる要因を市場参加者が重視する一方で、それらの要因がHLWのモデルで十分に反映されていないとすれば、その結果に乖離が生じる可能性がある(これはHLWのモデルだけでなく、他のモデルや経済理論でも同様である)。

この点に関して、IMFが公表した4月の世界経済見通し(WEO:World Economic Outlook)の囲み記事(Box1.2)は種々の参考文献とともに簡潔かつ網羅的に触れている(*18)。

利上げサイクル再考
(画像=ニッセイ基礎研究所)

IMFでは1980年代以降、多くの国で自然利子率の低下が共通の現象として見られる(図表10)としており、その原因の一例として以下を取り上げている。

・高齢化の進展(出生率低下と平均寿命の延び)による貯蓄の押し上げ(=投資資金供給の増加)
・生産性上昇率の減速
・資本財価格の下落による投資支出の減速(投資(=貯蓄)需要の減少)
・貯蓄率の高い高所得者層への所得集中(格差拡大による貯蓄の押し上げ)
・特に新興国における安全資産需要の増加
・リスクプレミアム上昇による金利低下圧力

一方、将来の動向については、このまま低下圧力が維持されるという主張も、緩和されるという主張もあり、議論中であるとしている。たとえば、自然利子率の上昇要因として以下が挙げられている。

・中国(や他の新興国)が消費主導の成長に転換し、過剰貯蓄(saving glut)が是正される
・コロナ禍関連の不確実性の改善が流動性選好や予備的貯蓄を減少させる
・社会保障支出の拡大と債務の積み上がりによる金利上昇圧力

さらに

・金融制度の変化、中銀の政策枠組みや金融仲介機能の変化、バランスシートの規模

といった事項も中立金利に影響を及ぼし得るため、シャドーバンキングやフィンテック、気候変動対応を含む構造変化にも注意する必要があるとしている(*19)。


*18:IMF(2022), Global Prospects and Policies, World Economic Outlook Chapter1, 2022 Aprilを参照。IMFの囲み記事では、自然利子率ではなく中立利子率(neutral interest rate)の文言が使われている。一方、本稿では、暗に主に名目のターミナルレートについて(名目の)中立金利という言葉を使い、経済・物価に対して中立的な実質の利子率については、自然利子率という言葉の使い分けをしている。そのため、本節の言葉遣いも後者の使い分けを用いている。
*19:なお、この節で列挙した自然利子率の変動に関する要因は、必ずしもすべてが明示的に前節の理論モデル((2))に組み込まれているわけではない。これらの要因が「相対的リスク回避度」「潜在成長率」「需要ショック成分」といった変数に影響を与えている、あるいはHLWで言えば「トレンド成長率」「その他の成分」といった変数を変動させる要因となっていると考えることは可能だが、それぞれの要因による自然利子率への定量的な影響を推計するためには、各要因を明示的にモデルに組み込んだ上で推計する必要がある。


利上げサイクルの到達点(ピーク)とターミナルレート

たとえば、IMFで列挙している前節で見た中立金利の変動要因のうち、市場参加者が金利の低下圧力要因を重視していれば、HLWの推計と比べて市場参加者の自然利子率の見積もり(ターミナルレートの見通し)が低くなると見られる。

実際には、物価と経済は様々なショックで変動しており、双方が安定成長するなかで政策金利をコントロールするといった状況になることは想定しにくいが、今後、実際の政策金利がどういった水準で落ち着くか(少なくとも政策当局者がどの水準を目指すか)は今後の注目点である。

さらに、今回は高インフレが顕著であるため、利上げサイクルの到達点(ピーク)も注目される。

上述のとおり、歴史的に見れば世界金融危機以降は、政策金利が低い状況が続いてきた。これは、中央銀行が積極的な利上げをしなくてもインフレ率が落ち着いてきたということも意味している。世界金融危機以降のインフレは資源価格の高騰によるコストプッシュがメインであり、賃金上昇を伴うディマンドプルの高インフレとはほぼ無縁であった。景気の過熱とインフレが相互に高まっていくという状況になかったとも言える。コストプッシュであるがゆえに、資源価格の上昇が購買力の低下につながり、景気を冷やし、結果としてインフレも落ち着くという一種の「自動安定化装置」が働き、中央銀行には積極的な利上げが求められなかったと言えるかもしれない。

一方、足もとのインフレはコストプッシュとディマンドプルが併存していると見られる。ユーロ圏はコストプッシュが主導だが、米国・英国は賃金上昇率が高く、ディマンドプルの要素も大きいと見られる(図表11)。こうしたインフレは、近年では珍しいと言える。

今回もコストプッシュの物価上昇が景気を冷やし、高インフレが鎮静化していく可能性があるが、賃金上昇を伴う持続的なインフレ圧力が続く可能性もある。後者の場合、市場参加者の見通しが示唆するように、自然利子率を上回る利上げが正当化されるだろう。しかしながら、どの程度、政策金利を引き締めればディマンドプルのインフレに効果的なのか、という問いに対するヒントは世界金融危機以降の経験からは得られていない。本稿でみた中銀のうちもっとも積極的に利上げを実施したFRBでも金融危機後には政策金利を中立金利(と想定される)水準に戻したに過ぎない。

自然利子率が低ければそれほど極端な利上げは不要かもしれないが、自然利子率が高ければ、相応の利上げをしなければ賃金上昇率を抑制できないという可能性もある。

利上げサイクル再考
(画像=ニッセイ基礎研究所)

さらに、インフレ率をとりまく不確実性が増している点も政策金利パスの見通しを難しくしている。足もとの高インフレに加えて、地政学的リスクや気候変動対応といった構造的な要因が中長期的な物価動向に上昇圧力を及ぼし得ることもあり、長期の期待インフレ率に上昇圧力が生じている(図表12)。

名目の中立金利は自然利子率にインフレ率を加えたものだが、インフレ率が上振れれば、自然利子率に変化がなくても、名目の中立金利水準は切りあがる。端的には、期待インフレ率が上昇すればそれだけ(緩和効果が生まれて)利上げの効果が減ってしまうということになる。

米英の中央銀行は、今回の利上げサイクルでは、長らく続いた低金利政策から脱却し、政策金利を自然利子率に引き上げる「正常化」の役割だけでなく、インフレファイターとしての役割も問われている。「どれだけ積極利上げをするのか」という点は久しぶりの注目点と言える。


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高山 武士(たかやま たけし)
ニッセイ基礎研究所 経済研究部 准主任研究員

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