この記事は2022年6月7日に「第一生命経済研究所」で公開された「インフレ給付金の再検討」を一部編集し、転載したものです。


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目次

  1. 選挙が近づくと強まる要望
  2. インフレ増税と給付金
  3. 賃上げをどう捉えるか
  4. 岸田首相への提言

選挙が近づくと強まる要望

これから7月に参議院選挙を迎える。すると、野党は岸田政権の物価対策を批判し、インフレ給付金の散布を求めるだろう。与党の側でも、物価上昇の痛みを緩和して欲しいという要望が一段と強まっていくだろう。生活コストが増えた分を臨時に支給される給付金で肩代わりしてください、というお願いである。

経済学の考え方では、インフレ時に財政刺激をするとそのインフレが助長されるだけだと一刀両断に斬り捨てられる。確かに結論はそうなのだが、本稿ではそこをより詳細に考えてインフレ給付金がもたらす効果について再検討をしてみたい。

まず、給付金がない状態で何が起きているかを考えよう。賃金上昇率を上回る物価上昇が起こると、そのときは貯蓄が取り崩されている。金融資産の利子・配当収入は乏しいので、結果的に貯蓄残高は取り崩される。実質賃金の低下は、貯蓄減少を伴う。

家計の貯蓄が将来の備えだったとき、家計は貯蓄残高を復元しようとして消費を削ろうとする。現在、値上がりしている費目は食料品・エネルギーである。基礎的支出(義務的支出)と言ってよい。消費者物価を基礎的支出と選択的支出に分けて物価上昇率を確認すると、2022年4月は前者が前年比4.8%、後者が前年比0.1%と明確なコントラストが生じている。

家計が削減するのは、おそらくレジャー・衣料品などの選択的支出だろう。物価上昇のしわ寄せが値上がりしない費目にも及ぶ。

現在、コロナ禍が完全収束しない中で、飲食店・宿泊・娯楽・交通など観光関連の事業者を支援するためにGoTo事業の再開が検討されている。物価上昇でレジャー・衣料品など選択的支出の需要にしわ寄せが起これば、観光関連の事業者は一層困窮してしまう。

そこで、政府がインフレ給付金を配るとどうなるか。給付金は家計の保有口座に振り込まれて、実質賃金の低下による貯蓄残高の取り崩しは緩和される。これは選択的支出への削減圧力を減圧させる。コロナ感染の悪影響が和らぐ中でレジャー・衣料品の消費拡大にはプラスであろう。

企業側にとって、家計の痛みがインフレ給付金によって緩和されるときは、今まで以上に値上げを促進できる。「家計の痛みを緩和=値上げを助長」という完全な裏腹の関係で生じるジレンマが避けられない。

消費市場では需要曲線が上方シフトして、それが間接的に物価上昇を助長することにもなる。政府はインフレ対策をしているつもりが、ますますインフレを助長することになる。意図せざるインフレ助長だ。

しかしその効果は長続きしない。給付金が使い果たされると1回切りのインフレ給付金では済まなくなり、何度も何度も追加給付することに追い込まれる。

インフレ増税と給付金

政府が本気でインフレを回避したいのであれば、金融引き締めと財政緊縮・増税をすることが必要になる。これは経済学が教えるところである。

ただし、厳密に言えば、増税をしなくともインフレと同時に税負担は増え、少しではあるがインフレを抑制する引き締め作用は起こっている。インフレが進むと黒字化する企業が増え、所得税の限界税率が上がって実質的に税負担が増えるからだ。

これは、税収の弾性値が1を大きく越えた状態である。財政のビルトイン・スタビライザー機能と言われる。高校の社会科で教えられるこの機能は長らく忘れられていたが、2021・2022年度の一般会計税収が大幅に上方修正される様子をみると、その機能が顕著に復活したと思える。

経済全体には、敢えて増税をしなくても、自動車のエンジンブレーキが働くように、アクセルを吹かせないだけで減速する圧力が働く。だから、逆に今、税収が増えて財政収支が改善する分をインフレ給付金に回すと、インフレにブレーキをかける安定化機能以上にインフレを助長することになる。

賃上げをどう捉えるか

インフレ給付金は企業の価格転嫁を助けるが、それはインフレを助長する。これに対して、価格転嫁を成功させた企業は、賃上げをして家計所得を増やせばよいという意見が強い。

厳密に考えると、インフレ給付金が尽きれば将来は企業の価格転嫁がしにくくなる。ベースアップのような賃上げが起こるときは、継続的に価格転嫁が可能になるから、こちらの場合のインフレは継続的なものになる。賃上げはそれこそインフレを助長する行為だ。

賃上げが起こったとき、基礎的支出よりも選択的支出が大きく増える。レジャー・衣料品は所得弾性値が高い。こうした選択的支出の場合は、物価が上昇しても消費者は取捨選択ができる分、物価上昇の痛みの実感は少ない。

食料品・エネルギーだけに集中した物価上昇よりも、賃金インフレの方が痛みは小さいだろう。政治サイドからインフレ給付金を配りたいという要請も、賃金が上がっているときは相対的に小さくなる。

反面、問題は日本経済が深刻な分配不全に陥ったままであることだ。企業はたとえ価格転嫁が進んだとしても、ベースアップ率を容易には高めないだろう。企業収益→賃金の目詰まりは、岸田首相が就任当時に問題視した通りである。企業の財務リストラは、デフレからインフレに変わっても容易に転換されない。

野党がインフレ給付金を求める理由は、賃金上昇が容易に起こらないと考えて、その代わりにインフレ給付金を望むのだろう。本質的に物価の痛みに対処できないと知りつつも、政府が実行可能な給付金を使う方が実利的と考えるのである。

この問題は、円安によって輸入インフレが起こるときも全く同様の理解ができる。円安デメリットで食料品・エネルギーが価格上昇する。その一方で、輸出企業の収益は円安メリットで嵩上げされる。

しかし、輸出企業は円安だけで賃上げをしないので、円安はメリットよりもデメリットが大きいという感覚が広く定着してしまう。企業収益が賃金に流れにくいことが、ネックになっている。

第一生命経済研究所
(画像=第一生命経済研究所)

岸田首相への提言

国会論戦をみていると、岸田首相は、物価対策について野党から攻められる場面が目立つ。筆者からみれば、インフレ給付金を配っても一時しのぎの家計支援でしかなく、企業の価格転嫁もごく短期的にしか進まないから、それで良いのかと反論したくなる。むしろ、岸田首相が就任時に強調していた賃上げ促進の方が正論と思える。

少し残念なことに、新しい骨太の方針では、分配戦略がまた新しく「人への投資」という名称で賃上げから離れてしまった。アベノミクスでは、課題が未解決なのに翌年度になると、また新しい看板で別の政策に力点が移ることがあった。岸田政権はそれを繰り返してはいけない。岸田首相には、初心貫徹で未完の賃上げをもっとパワフルに推進してもらいたい。

賃上げ促進税制の見直しなどアイデアはいくつかある。そこに力点が置かれれば、もっとインフレ給付金が欲しいという意見に対して、一時凌ぎの給付金では何も解決しないと反論できる。

第一生命経済研究所 経済調査部 首席エコノミスト 熊野 英生