本記事は、桑原晃弥氏の著書『世界の大富豪から学ぶ、お金を増やす思考法』(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています

「私は小さな雪の玉をずいぶん若い時から固めた。10年遅く始めたら、今頃もっと山の斜面のずいぶん下にいただろう」──「スノーボール」下

雪の球
(画像=Татьяна Грязнова/stock.adobe.com)

ウォーレン・バフェット(バークシャー・ハザウェイCEО。世界一の投資家)

「世界一の投資家」と呼ばれるウォーレン・バフェットは子どもの頃からさまざまなビジネスに手を染めています。6歳の時、アイオワ州にあるオカボジ湖にある山荘を借りて、一家が休暇を過ごしたことがありますが、その時、バフェットはコーラ缶6缶を25セントで買い、それを湖に行って1缶5セントで売り、5セントの利益を上げています。休暇を終え、オマハに帰ってからは祖父の雑貨屋で仕入れたソーダを一軒一軒売り歩いてもいます。

生活に困っていたわけではありません。大恐慌の直後こそ父ハワードは職を失い、新しく立ち上げた証券会社の顧客開拓に苦労しましたが、バフェットが6歳になる頃には家庭の経済状態は随分と好転していました。「お金が好き」という以上に、自分の小さなビジネスによって「お金が増えていく」のを見るのが好きな子どもでした。

以来、競馬場で予想紙を発行したり、ゴルフ場でロストボールを集めて売ったり、あるいは友だちと組んで中古のピンボールマシンを理髪店に置いてもらうこともあれば、子ども50人を使って新聞配達を行ったこともあります。初めての株式投資も11歳で行っています。結果、高校を卒業する頃には既に1万ドル近い資金を貯め、さらに大学を卒業する頃にはその資金を倍にまで増やしています。

こうして早くから蓄えた資金がバフェットの「雪の玉」になりました。こう言っています。

「私は小さな雪の玉をずいぶん若い時から固めた。10年遅く固め始めたら、今頃もっと山の斜面のずいぶん下にいただろう」

お金持ちになりたいのならできるだけ早くスタートを切る方がいい。ゲームの後をついていくよりは、ゲームの先を行くようにする。それだけでゲームの主導権を握ることができるし、よほどのへまをしない限り成功もより確実なものにすることができるのです。

ココがポイント
できるだけ早くスタートを切り、常にゲームの先を行くことを心がけよう。

「1日も早くビジネスをやれ。人生はマネー、マネー、マネーだ」──「ライバル企業は潰せ」

ジョン・ロックフェラー(ロックフェラー財閥始祖)

米国史上最も莫大な富を築いたと言われるジョン・ロックフェラーの人生は、大きく2つに分けることができます。

週給5ドルの店員から身を起こして石油市場を独占し、「潰し屋」「追いはぎ貴族」「同時代最悪の犯罪者」と酷評された前半生。シカゴ大学やロックフェラー大学設立などの慈善事業に励んだ後半生です。

ロックフェラーの前半の人生に強い影響を与えたのは「ビッグ・ビル」と呼ばれた父親です。農夫に7.5%の利息をつけて50ドルを貸した息子を母親は叱りましたが、父親は「いいじゃないか。この国で一番大切なのはマネーなんだから」と賞賛しました。まだ学生のロックフェラーにこう言い続けています。

「1日も早くビジネスをやれ。人生はマネー、マネー、マネーだ」

これがロックフェラーの信条となります。

16歳で高校を中退したロックフェラーは今で言う商社の新人簿記係として採用されますが、やがて「天与の商才」を発揮するようになり、英国で飢饉が発生するという情報をもとに小麦やコーン、ハムなどを買い占めることで会社に大きな利益をもたらします。しかし、社長に昇給を断られたことで会社を退社します。ロックフェラーは20歳の頃に年長のモーリス・クラークと商事会社を設立、農産物や石油で最初の成功を収めますが、事業の拡大をめぐって慎重派のクラークと対立し、会社を大金を出して買い取っています。「彼らと別れたその日こそ、私の成功の始まりだった」と振り返っています。

ロックフェラーは石油精製に突き進み、1870年にスタンダード石油を設立、以後、凄まじい快進撃を開始します。

ココがポイント
1日でも早くスタートを切れ。時には人と別れることも成功要因の1つ。

「自由を得られるだけのお金が欲しかったから、5歳からビジネスを始めた」──「娘に贈る12の言葉」

ジム・ロジャーズ(「世界三大投資家」の1人。クォンタム・ファンド共同設立者)

ウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロスと並ぶ世界三大投資家の1人ジム・ロジャーズによると、人生で成功する方法の1つは「早いスタート」にあります。

子どもの頃のロジャーズは、お金儲け以外に興味がなく、友だちと野球をして遊ぶより、野球場で空き瓶拾いのアルバイトをする方が好きな少年でした。6歳の時にはリトルリーグの試合でソフトドリンクとピーナツを売る許可をもらい、父親から借りた100ドルでピーナツを炒る機械を購入、本格的なビジネスをスタートさせています。6歳で100ドルを借り、5年後には借金を返し、かつ銀行口座には100ドルの預金を持っていました。

さらにロジャーズはその100ドルを元手に父と子のロジャーズ&サンという投資グループを始め、子牛を育てて転売するビジネスを始めますが、こちらは失敗に終わります。十分な知識がなく、子牛を高値で買っていたのです。やがてイェール大学、オックスフォード大学に進みますが、この時も奨学金を投資で運用して利益を得るほど金儲けに熱心でした。

こうした経験を通して自分は起業よりも投資が好きだと気づいたロジャーズは、自分の投資予測にお金を払う人がいるウォール街で働き始めます。やがてジョージ・ソロスとのちのクォンタム・ファンドを設立、大成功を収めますが、同社は37歳で引退しています。早すぎる引退にも思えますが、そこにはロジャーズのこんな思いがありました。

「私は自由であり続けたいと思った。自由であるためにはお金も必要だ。自由を得られるだけのお金が欲しかったから、5歳からビジネスを始めた」

早いスタートがもたらした莫大な富がロジャーズに自由をもたらし、世界を自分の目で見て回るという「冒険投資家」としての自由こそが、ロジャーズの投資をさらに鋭いものへと変えていくことになったのです。

ココがポイント
何かをやりたい時には、年齢など気にせずやってみよう。

世界の大富豪から学ぶ、お金を増やす思考法
桑原晃弥(くわばら・てるや)
1956年、広島県生まれ。経済・経営ジャーナリスト。慶應義塾大学卒。業界紙記者などを経てフリージャーナリストとして独立。トヨタ式の普及で有名な若松義人氏の会社の顧問として、トヨタ式の実践現場や、大野耐一氏直系のトヨタマンを幅広く取材、トヨタ式の書籍やテキストなどの制作を主導した。一方でスティーブ・ジョブズやジェフ・ベゾス、イーロン・マスクなどの起業家や、ウォーレン・バフェットなどの投資家、本田宗一郎や松下幸之助など成功した経営者の研究をライフワークとし、人材育成から成功法まで鋭い発信を続けている。著書に『スティーブ・ジョブズ名語録』(PHP研究所)、『トヨタ式「すぐやる人」になれる8つのすごい!仕事術』(笠倉出版社)、『ウォーレン・バフェットの「仕事と人生を豊かにする8つの哲学」』(KADOKAWA)、『逆境を乗り越える渋沢栄一の言葉』(リベラル社)、『1分間アドラー』(SBクリエイティブ)、『amazonの哲学』(大和文庫)、『イーロン・マスクの言葉』(きずな出版)などがある。

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