本記事は、桑原晃弥氏の著書『世界の大富豪から学ぶ、お金を増やす思考法』(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています
「取引が成立しなかったら、二重に損をすることになる。金が手に入らず、他の会社がそれを手に入れることになるからだ」──「ビル・ゲイツ」
ビル・ゲイツ(マイクロソフト創業者。世界長者番付で首位18回)
ビル・ゲイツに莫大な富をもたらしたのはマイクロソフトの大成功です。成功法は、ロックフェラー並の市場の独占でした。同社の「ウィンドウズ」は、世界中のパソコンで使われ、ピーク時には95%近い圧倒的なシェアを実現しています。それを可能にした者こそ、ゲイツの凄まじい闘争心でした。
ゲイツは幼い頃から何でも一番でなければ気がすまない性格で、「僕はその気になれば何でもできる」と本気で信じていました。名門ハーバード大学を中退したのも、周囲に自分より優れた人がいないと失望したからです。
そんなゲイツですが、年長のポール・アレンとは気が合いました。世の中に出始めたばかりのパソコンに熱中し、会社を一緒に設立しています。当時は個人がコンピュータを持つことなど考えられない時代でしたが、ゲイツは「この世でのマイクロソフトの使命は、パソコンにあらゆるソフトウェアを提供することだ」という考えを持っていました。
単なるコンピュータ革命ではなく、自分たちが標準をつくり出し、市場を独占するという意味です。その目標に向かってゲイツは猛烈に働くだけでなく、凄まじい交渉力も発揮します。IBМやゼロックスといった超大企業を相手に、「取引が成立しなかったら、二重に損をすることになる。金が手に入らず、ほかの会社がそれを手に入れることになるからだ」という信念で戦い勝利します。
ライバル企業にも容赦ありませんでした。「A社を業界からたたきだしてやろう」が口癖で、ライバル企業は「自分に従わせるか、そうでなければやっつけるしかない」という決意で臨んでいました。当然、社員にも「毎日毎日、勝ちたいという気持ちで出社する」ことを求めています。「ウィンドウズ95」の成功はそんなゲイツの執念が結実したものでした。
ココがポイント 毎日、勝ちたいという気持ちで出社する。その凄まじい闘争心が成功を引き寄せる。
「良心がとがめるために、ある行動を控えなければならないのなら、私は腕のいい投機家ではなくなってしまう」──「ソロス」
ジョージ・ソロス(世界三大投資家の1人。イングランド銀行を叩き潰した男)
ジョージ・ソロスは1969年に「クォンタム・ファンド」を設立以来、ほぼ一貫して勝ち続けた「世界一のマネー・マネジャー」です。ソロスが世界中にその名を轟かせたのは1992年、イギリスがポンドの切り下げ、そしてERМ(欧州為替相場メカニズム)からの脱退を余儀なくされたERМ危機においてです。この時、ソロスは100億ドル相当のポンドを売ることで総額20億ドルもの利益を稼ぎ出しています。
この大勝利によってソロスは金融界における伝説の人物となります。この時、ソロスがやったのはヨーロッパの経済やイギリスの経済を冷徹なまでに分析、政府の政策と現実の市場との間にある矛盾を読み取って投機を行うことでした。当時、イギリスの経済は低迷しており、通貨だけが高値を保つのは難しい状況にありました。イギリスはいずれERМを脱退し、ポンドを切り下げることになるというのがソロスの読みでした。
イギリスの首相や蔵相は切り下げを否定したものの、ソロスはポンドの空売りをする一方で、ドイツ・マルクやフランス・フランを買い、株や債券の空買いや空売りを仕掛けます。総額100億ドルに及ぶ壮大な賭けでしたが、ヨーロッパ各国の動きを冷静に見ていたソロスにとって、それは「結果の分かり切った賭け」だったのです。
イングランド銀行は懸命にポンドを支えようとしますが、流れを止めることはできず、イギリス政府はソロスの読み通りERМの撤退を決めます。ソロスの大勝利です。ポンド危機という通貨の混乱を引き起こし、混乱に乗じて大儲けしたソロスをイギリスのマスコミは批判しますが、ソロスは「良心がとがめるために、ある行動を控えなければならないのなら、私は腕のいい投機家ではなくなってしまう」「私は、金を儲けるためにやったにすぎない」と平然としていました。ソロスは伝説の投機家となったのです。
ココがポイント 勝つためには冷徹にして非情であれ。
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